2065年7月16日
目を覚ましてみると家ではなかった。どこかで見たことがあるような白い天井に白い壁。自分の体には点滴の針が刺さっている。
…点滴?ってことはここは病室か?何でだ?
何があったのか、何故ここにいるのか思い出せないでいるとドアが開いた。ばあちゃん…⋯じゃない、美穂が入ってきた。
「亮!やっと目が覚めたの!?」
視界が美穂の顔でいっぱいになる。いつぞやのユキみたいだ。
「美穂…⋯近いよ」
「覚えてる?起きたと思ったら、倒れちゃって…。全然目を覚まさなくて…一週間も眠ってたんだよ」
「そんなに経ってんの?!俺も何かの病気だったの?⋯⋯その、記憶以外のなんか⋯」
「いや、特に病気ではなかったみたいなんだけど。…あのね…」
確かに表情からして、深刻そうな感じはしない。でも、何かがあったのは間違いないなさそうだ。
「病気じゃないなら何があったの?」
「純粋に喜んでいいのかわかんないんだけど…」
そう言いながら手鏡を差し出してきた。体を起こしてそれを受けとる。
「それで自分を見てみて」
「んん?」
言われたとおりに自分の姿を見てみると、倒れる前と違って⋯…あきらかに老けていた。髪は白髪混じりになっていて、肌にしわが増えている。少し痩せたように見える。記憶にある自分の姿はどこにもない。
「!?これって⋯…」
「寝てる間に徐々に老けてったっていう感じだよ」
「あれから何年も眠ってたわけじゃないんだよね?!」
「違うよ。一週間だよ。そんな何年も経ってたら私が死んでるよ」
「⋯⋯そっか。⋯⋯⋯あー、だからなのかな⋯⋯」
「え??」
老けている自分の姿を見て何故か納得してしまった。……今までの記憶が戻っている、ようだ。厳密に言えば『戻っている』とは違うかもしれないけど、クローゼットにあった写真を見て知った事、美穂から聞いた事だけではなく、それ以外の事も思い出すような感覚で知っている。
「美穂、落ち着いて聞いてほしいんだ」
「……何?」
「…今までの記憶があるっぽいんだよね」
「…え??」
「治った、って言っていいのかわかんないけど」
「本当、に……?」
「多分…去年より前の、知らないけど知ってるような記憶っていうか⋯⋯」
「……亮っ!」
美穂が勢いよく抱きついてきた。ボロボロと涙を流している。
「ほ、本当に思い出したの?!」
「思い出したっていうか、知ってるっていうか⋯」
「プ、プロポーズ!!どんな感じだったか覚えてる??」
「……仙台の旅館で、しゃぶしゃぶ食べてからの指輪だろ?」
「っっ!!!?」
「⋯あれ??違った??」
「っりょ、うっうっ、ちがわ、ない…。ひっぐ…」
もう何を言っているかわからないぐらい泣いている。今までも記憶をなくすことで何度も泣かせてきたのはわかる。それとは違って、今は喜んでくれてるんだと思う。もちろん、それだけではないのかもしれない。だって、ここまでが長すぎたもの。だから、思う存分に泣かせてあげよう。
数分後、美穂が少し落ち着いてきたところで先生を呼んできてもらった。今の自分の状態を話して、それから検査をしてもらった。
その結果は、ほぼいつも通り何も異常は見当たらない健康な状態だった。いつもと違う点は、あらゆる数値が年相応になってきているという事ぐらい。
今まで何十年もの間、ある程度一定の期間で記憶がなくなっていた事。何故かこのタイミングで記憶が戻り、それと同時に老けてしまった事。どれもやっぱりわからないそうだ。…⋯でも、何か意味があってこうなったんじゃないかと思っている。…そうじゃないと、自分と美穂の今までの時間が報われないじゃないか。
出会ってから結婚する前から、今に至るまでの長い間ずっと二人で過ごしてきた。けど、ちゃんと夫婦として過ごせたのは初めだけだった。
彼女として。
妻として。
母として。
祖母として。
いろんな美穂と過ごしてきた記憶がある。出来る事なら本当の子供に母として、本当の孫に祖母として過ごさせてあげたかった。…でも、残念だけどそれはもう叶えてあげる事ができない。今の自分に出来るのは、これまでと同様に一緒にいることぐらい。少し違うのは一緒に年を重ねていくってこと。美穂の病気の事を考えるといつまでできるかわからないけれど…。
そう思っていた。
「えーと、奥様の事なんですが…」
いつも淡々と話す先生が珍しく落ち着かない様子でいる。起きるまでの間に美穂の検査もしていたんだろうか。その結果、病気が悪化してしまってるんだろうか?今の状態で悪化なんてしていたら、もう……。
この間倒れてしまったことを思い出してしまう。美穂をチラリと窺うと俯いて黙っている。自分の体の事だし何かを察しているんだろうか。
「どうしたんですか?」
黙っている美穂に変わって、なるべく落ち着いて聞く。
「えーと、まぁ病気の事なんですけど、なんていっていいのか⋯」
なんなんだ。早く言ってくれ。
「…健康、なんですよね…」
「…………は?」
何をもって健康なんて言ってるんだ?余命宣告もしてたんだろう?もうダメだからって気休めのつもりか?
きっと、怒りや不信感がそのまま顔に出ていたんだろう。先生が慌てている。
「いや!あの、すみません!…だから!がんじゃなくなってます!」
黙って俯いていた美穂が顔を上げて聞く。
「どういう意味ですか?別の病気だったって事ですか?」
「いえ!それもなく、完全に健康な状態になってます!健康です!」
二人で顔を見合わせて、何も言えないでいると先生が続ける。
「去年倒れましたけど、先月までは落ち着いていました。ただ、それでも本当にいつどうなるかわからないっていう状態でした。…⋯でしたが!今回検査してみたところ、がんがどこかに転移したという事もなく跡形もなく消えてるんです!」
「消えて…」
「最初からがんになんてなっていなかったかのように」
「そんな事って…あるんですか?」
「もちろんそんな事は聞いた事ありません。もう治せるレベルではなかったので、余命宣告もしました。処方していた薬も治すようものではありません。だから、本当なのかもう少し経過を見てみたいと思います」
「わ、わかりました。お願いします」
自分の身に起こっていた事は棚に上げて思うけど、いったいどうしてそんな事に?……いや、病気じゃないなら素直に喜ぶべきだろう。
日を改めて、時間をかけて徹底的に調べてもらった結果、美穂の病気はやっぱりなくなっていた。本当にがんになっていたのかすら疑わしいそうだ。そんなこと言われても、こっちとしては健康なら問題ない。二人で過ごせるのが残り少ないと思っていたけど気にしなくてもいいなら、とても嬉しいことだ。
どうしてだろう?
過去何十回、何百回と自分の状況に対して思った事。今度は美穂の身に何か起きてるんだろうか。だとしたら少し心配になる。そう思って聞いてみたんだけど。
「案外、亮のおかげだったりして」
あっけらかんとしている。
「俺の?なんで?」
「ずーっと長いこと記憶が戻らなかったのに、急に戻ったでしょ?」
「うん」
「それで私も治るなんて、タイミング良すぎでしょ?」
「それはそうだけど…」
「亮の記憶が戻らなかったのは、私の病気の為だったとか」
そう嬉しそうに話す美穂の顔は、新婚当初のように見える。
「何十年も前から?そんな事は…」
「そんな事は普通はありえない事だけど、今まで普通じゃなかったでしょ?」
「⋯まぁ、そだね」
「そりゃあね、本当の事なんて私にもわかんないけど、そう思ってもいいんじゃない?」
「………」
「……それに、そう思えば今まで過ごしてきたことが報われるっていうかね、むしろ、ありがとうって思えるかもね」
「えー、それで釣り合うかなぁ」
「…何も解決しないで死んでしまうよりはいいよ。きっと他の人より特別な経験したし」
「それは間違いないね」
「でしょ?……亮を残して先に…なんてならなくて良かった」
そう言ってくれた事で、美穂に対して感じていた罪悪感が和らいだ気がした。いつも前向きな考えで引っ張っていってくれる美穂。付き合った当初の頃から何も変わってない。そんな美穂だから、何十年もやってこれたんだろうな。
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