第6話

※   ※   ※ 



親子そろって昇天コース、のはずだった。

 しかし、俺はなぜか篤志を連れて近くの公園まで移動していた。

 住宅街の途中に、ジロが用意してくれた逃走用の中型バイクが停めてあったのだが、それにふたり乗りして、一キロほど先の公園まで逃げてしまった。

 正雄の殺害に時間がかかりすぎていた。しかも声や物音を起こしてしまっている。まず正雄の死体を隠して、現場から移動することを優先させた。

 調子にのって芝居なんかしている場合ではなかった。反省するとともに、俺は公園でバイクを止め、篤志を降ろした。

 最後の仕上げをしなくてはならない。その前に、フードと軍手をとって、公園の水道で洗った。正雄の血でぬめる手を流す。ティーシャツの裾で手を拭き、ジャンパーをまくって尻ポケットから携帯を出した。ジロからの連絡はない。

「……おじさん、僕のことも殺すの?」

 篤志は小便の匂いがした。正雄の死を見たとき漏らしてしまったのだろう。黒いダウンジャケットにジーンズ姿だ。ズボンが濡れていてはさぞかし寒いだろうと思った。

「そうだ。お前は目撃者だから殺すしかない。おじさんの立場もわかるよな」

 ああ、と篤志は小さくうめいた。それから、俺のほうをうかがうように見ながら、近づいてきた。

「……あの、おじさんは、どうして人殺しをするの?」

「おじさんはな、お前くらいのときに家族を強盗に殺されたんだ。それ以来、世の中の全てを信じられなくなったんだよ」

 両親も兄も、些細な欠点はあったが基本的に善人で真面目に生きていた。それなのに、その命は理不尽に奪われてしまったのだ。

 携帯が光って震える。

『今どこにいるの?』

「ったく、いいかげんにしてくれよっ」

 俺は苛立った声をあげた。篤志がびくりと体をこわばらせる。

 俺はあの日のことを思い出していた。

 空手の道場から帰ってきた俺は、自宅で恐ろしい惨劇が起きているのを見た。玄関の前の廊下で、父親はカッと目を見開いたままこときれ、母は全身をズタズタに斬られて、キッチンの床は血まみれだった。その隣に、母の背中にかばわれていたらしい兄が、心臓をひと突きにされて倒れていた。

 夕暮れ時、どこかの家のカレーの匂いを嗅ぎながら、俺は自分の家族の血の匂いを嗅いでいた。

 近所の人に保護され、やってきた警察官に署まで連れて行かれ、そこへ祖父と祖母が迎えに来た。車で祖父の家に行くまでのあいだ、俺は狂ったように子供用携帯でメッセージを送っていた。

『みんな、どこにいるの?』

『ママ、どこにいるの?』

『パパ、どこにいるの?』

『お兄ちゃん、どこにいるの?』

 メッセージを送り続ければ、いつか何事もなかったようにメッセージが帰ってくる。そして本人も帰ってくる。そんなふうに思いたかったのだろう。

 そんな俺を、祖父と祖母は心配してカウンセリングに連れて行った。しかし俺は、事件のことをきかれても、なにも話せなかった。

 俺はあのとき、絶望していたのだろうか。

 結局、法があってもこの世は暴力が支配する。それを身をもって知ってしまったのだ。

『今どこにいるの?』――あれはきっと亡霊からのメッセージだ。家族が俺を呼んでいるのかもしれない。ひとりだけ生き残ってしまった俺を、家族が呼びたがっているのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る