第7話
篤志がおずおずと俺の携帯を指さした。
「あの……おじさん、ほんとに気がついてないの? それ今、自分で打ってたよ」
俺は言葉の意味が分からず、まじまじと篤志をみつめた。
「ほんのちょっと前に、そのメッセージ、自分で送ってたよ」
おびえた顔で、しかし素直な目で篤志が言う。嘘を言っているようには見えない。
俺は携帯の画面に目を落とし、送信者を見た。
送信者は、ルカ。Looker――目撃者。
そうか。
俺が俺に問いかけ続けていたんだ。『今どこにいる?』と。
俺が空手の道場から帰ってきたときに、家のドアは開いていた。そして、強盗はまだ家の中にいた。父が苦しみもがく音がきこえ、母の痛々しい悲鳴がきこえた。兄の泣き声も。
『そのとき、お前はどこにいた?』
もうひとりの俺が問いかける。
――戸口の陰で、腰を抜かしたままチビってたんだよ。こいつみたいに。
空手の道場ではいつも教えられていた。強くなるのは、弱い人を守るため。悪い人と戦うため。だったら、俺はあのときどこにいた? どこで、なにをしていた?
どうして、父を助け出さなかった?
母と兄を助けに行かなかった?
どうして大声を出して近所の人を呼ばなかった?
『今どこにいるんだ? お前はなにしてたんだよ?』
ずっと俺が、俺を問いつめていたんだ。
暴力に屈したのはお前自身なんだよ、と。
役立たずの意気地なしだったのはお前なんだよ、と。
お前の非力が、あの理不尽を目の前でのさばらせたんだよ、と。
これからお前が生きる世界は、もうそういう世界なんだよ、と。
突然、篤志が俺の腰に飛びついてきた。バランスを崩して、ふたりで地面に倒れ込む。
ぱっと離れた篤志は、俺に向かってナイフを突き出していた。
俺のキャンピングナイフだ。これを俺の腰から抜き取るために、こいつはさっきからあれこれ話しかけては近づいていたのだ。
「お、おじさん、僕を追っかけてきたら、これでぶっ刺すからね! 母さんにも手を出すなよ!」
相変わらず小便臭い篤志が、精一杯の虚勢を張って俺を脅しにくる。
熊と戦おうとしている小鹿のように、細い足を踏ん張りブルブルと震えていた。
「そうだ、それでいい」
俺は喉の奥が熱くなった。この子はちゃんと父の最期の姿を見届けていたのだ。
「それだよ。篤志、お父さんがお前に教えたかったことは、それなんだよ」
篤志は肩透かしをくったような顔になった。
「お前さ、学校では、暴力はダメ、人を叩くなっていつも教えられてるだろ? でもな、本当に大切なものを傷つけられそうになったら、全力で戦うんだ。死に物狂いで抵抗するんだ。それが、お前のお父さんが最後に教えたかったことなんだよ。じゃないと、おじさんみたいに、二度と自分を信じられない人間になっちまうんだぞ」
篤志はなにか言いたそうな顔をしていたが、ナイフを構えて後ずさりし、俺と距離をとった。そして、公園の出口までくると、踵を返して一気に走り去っていった。
お前は大丈夫だ。道を踏みはずさずに生きていけるからな。
俺は遠ざかる小さな背中に語りかけた。
ああ、目撃者を逃がしてしまった。これでジロに怒られるな、と小さくため息をつく。
手の中にある携帯は、もう震えることはなかった。
了
Looker(ルッカ―) 沢村基 @MotoiSawa
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