30 黒き者

 ──ローズベルバード。七年前の神殺しの夜を起こした史上最悪の人間。神を殺した者。断層という世界を破壊し、最低の世界へと変貌させた、俺という人生の宿敵。


「ローズ……ベルバードォ……ッ! なぜ、この学校……に!?」


 頭がどうにかなりそうだ。生き延びられる気が全くしない。紋章も起動しない。剣使いの力も使えない。魔法も能力もない。何もない。腹は裂かれ、再生しない。俺に出来るのはこいつが答えるかどうかも分からない質問だけだ。


「理由? まぁ、簡単に言うとエーデルヴァルトの崩壊だな。だがそれは大義名分に過ぎない。本当の興味はお前とだ」


「……なん……だと……?」


「さっきも言った通り、お前は俺のだ。父親は違うがな。お前には俺を捨てた母親の血が流れている。事実として、俺はお前との兄弟なんだ」


 さらに俺の頭がおかしくなる。もうぐちゃぐちゃになって息をすることすら忘れてしまいそうだ。俺がこいつと兄弟? 母親が違う? ならローレンスはどうなる? そんなことよりも単純に、俺は腹の中から湧き上がる怒りを感じ取った。


「……く……っ! お前と血が繋がっているなんて、反吐が出そうだぜ……っ! お前みたいな人間のクズとッ!! 俺を……!! 一緒にするんじゃねえ!」


  俺は力を振り絞ってベルバードを殴ろうと拳を振りかざすが、その拳は当たり前のように空を切る。そしてそのまま倒れ込み、ベルバードは俺の頭を踏みつけて地面へと俺を押さえ込んだ。


「ぐっ……!」


「勇敢だねぇ、リンドバーグは。そうやってお前の親父も勝てるはずのない俺に挑み、死んでいった。ん? そういうのは蛮勇と言うのか。少なくとも俺にはない概念だから理解できないよ」


  ベルバードは俺の頭をさらに踏みにじり、教室の床で俺の額が擦れる。力が入らない。抵抗できない。何故働かない……ッ!? 神家の紋章……ッ!!


「ああ、そういえば、お前の情報を外にバラした理由は、単に俺がお前にをしたかったからだ。それに対してお前がどんな反応をするのか気になってな。お前の反応は予想以上にもんだった。もっと怒りのままに立ち振る舞ってほしかったぜ。お前、感情に振り回されるのは悪いことだって思ってんだろ?」


 俺は顔を押し付けられ、声を上げることもできない。そして俺からの返事がなくとも、ベルバードの饒舌は止まることはない。


「そいつは違う。人間ってのはもっと自分勝手なのが普通なのさ。その点、この世界に生み出された人間ってのは我欲が薄すぎる。どんな人間も獣の素質があるはずなのによ。俺から言わせてみりゃ、この世界の人間は。自我が無い人の形をしただけの生命──神に設計された舞台装置にすぎぬ『レギュラー』だ。真の人間とは、俺のような“自我のある人間イレギュラー”のことを指す」


 ベルバードは俺の頭から足を離し、俺の髪を掴んで顔を強引に上げさせた。憎たらしい笑みを浮かべながら、俺の顔の前で話を続ける。


「しっかし悪い癖が出ちまった。これだけは全てにおいて完璧な俺でも払拭できん。俺はな、お喋りなんだ。一回喋り出すと、余計なことまで口走っちまう。俺は口を滑らせて、レビンに捕まっちまった。そして執行委員会が俺を秘匿し、奴らは俺から情報を吐かせようとした。影であるデウトールが、突然エーデルヴァルトに粛正武装の提供を始めた理由の裏に、闇の王が絡んでいると踏んでな」


「お前は……レビンの正体に、気がついていたのか?」


「ああ、もちろん。獣同士だからな。俺がアイツとコンビを組んでいたのも、互いが互いを狙うことはしないという不可侵条約を結び、さらに互いの行動を監視し合うためだった。しかし……アイツは馬鹿ではあったが鋭かった。俺がお前の決闘をバラした方法にいち早く気がつき、条約を破棄したんだ」


 ベルバードは口角を上げ、笑みを見せながらかつての行動を告白する。その内容がやつにとって良いものではないはずなのに、どこか楽しげに語るのは何故だ。


「こいつは誤算だった。本来ならデウトールと共同し、最速でエーデルヴァルトを裏から食い潰す作戦が、奴の迅速な対応によって崩されちまった。俺は執行委員会から監視を固められて孤立し、デウトールはレビンに討ち取られた。そして奴の存在が抑止力となり、俺はマキナに近づくことが出来なかった。アイツの勇気がマキナとエーデルヴァルトを救ったんだ」


 ベルバードはやはり嬉しげな表情でレビンの行動を讃えた。しかしすぐに邪悪な笑みを顔に戻し、ヤツは笑う。


「だが、もとより俺の興味はお前とマキナだ。今こうして、俺はお前と面を向かっている。“俺とお前だけの世界”でな」


「……がはっ……! くっ……ここは、表のエーデルヴァルトじゃない……! ラースヒルズの潜在空間もすでに消滅したはず……! ここは一体どこなんだ……!」


  俺は口から大量に逆流してきた赤い血を吐き出す。しかし目だけは逸らさない、逸らすことができない。目を離した次の瞬間には殺される……!


「ここは俺の能力でその消滅を止めたラースヒルズ・ネクトの具現化潜在空間だ。俺が定義した範囲の潜在空間のみが切り取られ、維持されている。ヤツが生み出した潜在空間は、この教室を除いて全て消滅している。つまり──お前を助けられるヤツはどこにもいない」


 髪を掴まれたまま、俺の首元にベルバードの剣が突きつけられる。黒いその刀身からは、赤黒い魔力が雷電のように走っている。肌身に感じるその魔力。この剣は──圧倒的に格が違う。


「俺の愛剣に惚れたのかい? こいつの名前は

創造の黒剣ヘーレグラン』という。かつて戦乱の世を終わらせ、七百年の平穏を世界にもたらした大英雄テガロスが所持した二振りの神剣の一本。感謝してるぜ、お前の義父であるラースヒルズにはよぉ」


「! まさか……ラースヒルズの腕を奪ったのは……!」


 ベルバードの口角が吊り上がる。溢れんばかりの悪意を引っ提げて、ヤツは俺の耳元で答える。


「そう、この俺だ。俺はこの剣を復活させるためにオースター・ネルソンと画策してディール侵攻を引き起こした。そしてラースヒルズの腕を奪い取り、贄に捧げ、この剣を蘇らせた」


 首元の黒剣から溢れる魔力が俺の肌を焼く。削られるというよりも開かれるような鋭い痛み。やはり紋章は機能しない。まさか、この剣が紋章の働きを阻害しているのか?


「やはりルーガの血はよく馴染む。テガロスの最後の壁として立ちはだかった現人類の始祖ルーガ。皮肉にもやつの血が最もこの剣との親和性が高い。今のこいつなら再び世界の新生を成すことも可能だろう。我がテガロスもさぞかし嬉しかろうよ」


 ベルバードは黒剣を後ろへ引く。それは俺の命を奪うことをやめたのではない。後ろは引くということは、振るうということ。次の一振りで、俺の首は刎ねられ、そして死ぬ。


「気づいてると思うが、こいつの前ではお前の紋章も作動しない。ヘーレグランの特性は“全てを開く”力を持つこと。どのような物理、概念防御を持ってしても、この剣を止めることはできん。止められるのは“全てを塞ぐ”もう一振りのみ。剣を破壊されたお前では話にならんがな」


 黒剣に魔力が込められる。日がもう少しで落ちる夕闇に輝く赤黒い雷電はさらに弾け、それを止める術はない。俺には何もない。力も、剣も存在しない。最後の最後だけ、俺は化け物でも剣使いでも魔法能力者でもない、ただの人間として殺される。それは──幸せな最期かもしれないと思った。


「……殺す前に答えろ……っ。何故マキナを狙うんだ」


 その質問はこの男の動きを止めるに値したようだ。ベルバードから一瞬、魔力の供給が止まり、黒剣は輝きを薄める。そして悩むように軽くベルバードは唸り、低い声で答えた。


「……そいつは答えられんな。その話は流石の俺でも自重する。だが死への手向けとして答えてやるならば──神殺しの夜を引き起こしたのはお前たちリンドバーグを滅ぼすためではない。その真の狙いはだった。つまりお前たちは、で滅ぼされたんだよ。王家なんぞ滅ぼさずとも、この世界を書き直すことは、あの娘を手に入れるだけで可能だからな」


 再び魔力の供給が始まる。ベルバードは先程よりもさらに魔力の出力を高めてゆく。何か引っ掛かりが取れたかのように、常に余裕を持っていたその顔は真剣さに満ちていた。


 ──俺は殺されるのか。親父のように、名前も知らない妹のように、惨たらしい死を与えられるのか。意味も無く殺された俺たちは、また、邪悪な力の前に負けるのか──?


 胸の奥が冷たくなるような諦めが俺を襲う。もうだめなのだと。希望はなく、事実が俺を殺しにかかる。それに負けそうになった時、俺の胸の底から目を瞑りたくなるような眩い光が溢れた気がした。


 ──罪を背負ってこうぜ、スパーダ──。


 輝く勇気を持つ男が俺にそう言い残したことがあった。彼ならこんなことで諦めることはないだろう。彼の輝きを奪うことは誰にもできなかった。地獄を生み出した責任を背負い、戦い続けた。彼は最期を得てまで、人生の宿敵を打ち倒すために戦い続けた。


 ……俺だって、倒さないといけないやつがいる。そいつは、目の前にいる。


 さらに、溢れた光に青色の輝きが混じり出す。そいつはとても落ち着いていて、俺を送り出すようにそう言ってくれた。


 ──闇の王を倒せ──。

 ──無事に帰ってこい──。


「……そうだ。まだ、死ねない……」


「……あん?」


 盛大に血を吐いた。止まらない出血。死に近づいているのが分かる。だけど俺は死ねない。死ねないんだ。倒すべき敵が、いや、殺さなきゃいけない敵が目の前にいるんだ……っ!


「……俺はな、まだ死ねねぇんだよ……。俺には背負わなきゃいけない罪がある……清算しなきゃいけない責任がある……ッ! 生きろと言われたッ! 無事に帰ってこいと言われたッ! そしてお前を倒せと言われたんだッッ!! 目の前にテメエがいるってんのに、このまま死んでたまるかァッ!!」


 吠える俺を嫌悪の目でローズベルバードは睨みつける。理解出来ないものを見ているような不快感がその声に混じる。


「……チッ、どいつもこいつもイカれてやがる。無駄な足掻きと知りながら、俺にひれ伏すことなく立ち向かってくる。俺がする無駄は好きだが、俺以外がする無駄は反吐が出るほど愚かで見てられんな。……俺にも情がないわけではない。お前が俺の認める人間であれば、助けてやりたかったぞ弟よ。しかし、お前は人間ではない。俺が望む世界に、人間でないものは必要ない」


 ついにその黒剣が振るわれる。髪を掴まれ、刈り取られるように俺の首は刎ねられるのだろう。だが俺は諦めない。あいつが言っただろう。諦めなければ、勝てると。


 無駄な足掻きか──だからどうした? 無駄そんなものが諦める理由になるのか? 死ねるか。死ねるものか。俺の手で殺してきた人、俺のせいで殺されてしまった人への罪と責任を俺は投げない。


 だから、お前なんかに、殺されてたまるものか──!!


「──は?」


 剣を振るった男は間抜けな声を出した。何も理解出来なかったその結果に対する声。


 俺の首は繋がっている。俺の首は刎ねられなかった。何かに守られるように、いや、するかのように、黒剣は振るったベルバードの腕ごと弾け飛んだ。


 ──曲げられない意志が“それ”に応えたのか。俺は首が刎ねられる寸前に見た。彼女によってつけられた左親指の指輪が瞬雷のように輝き、そして砕けたのを。


 砕けた瞬間、黄金の輝きが俺を包み込んで剣を跳ね除け、そして輝きは消える間際に俺の腹の傷へと吸い込まれていった。腹の傷は、跡一つなく再生していた。


「何が起こ──ごはっ!?」


 そして、これは俺にも理解の出来ないことだった。一瞬の出来事。ローズベルバードの首が刎ねられた。時の概念さえも忘れさせるような速さ。ただ、そこにいることはこの目がしっかりと捉えている。


 ──闇を思わせる真っ黒な外套。無駄なく鍛え上げられた屈強な肉体。そして夕闇を切り裂くような人間離れした青い眼光。その黒き者は高く蹴り上げた足を地に下ろした。


「──とくね、下郎。貴様の軽き命と少年が賭けた命の価値は、柔い天秤では計り知れぬ。これ以上この少年に手を出すというのであれば、この神殺しの眼光をもって、貴様の命のことごとくを黒き闇に葬り去ってみせよう」


 突如現れたその男の外見はとても若く見えた。しかしその声は酷くしゃがれていて、積み重ねてきたものの過酷さを物語っているかのように感じた。


「……デカくなったな、閣田のせがれ。まさかお前がこの空間に来るとはな。いや、お前だからこそか」


 重々しく鐘が何処からともなく鳴り響く。その反響と共に、闇の王はこの世に返り咲く。


  ベルバードの体は鐘の音と共に一瞬で再生された。刎ねられた首と、弾け飛んだ腕は跡形もなく消え去り、もとからついていたかのように五体満足の闇の王がそこにはいた。


「……ここの空間はお前の専売特許だ。大人しく引かせてもらおう」


 冷ました顔で男を見たベルバードに交戦の意思はなく、こちらに背を向けて歩いて行き、床に突き刺さった黒剣を抜いて同調を解除した。そして後ろを振り返り、顔につけた不敵な笑みと共に俺を見た。


「じゃあな、弟よ。次に会う時は是非死んでくれ。お前の存在は確実に俺の障害となる」


 そう言い残して闇の王はこの空間から消え去った。夕闇は深まり、ソラに輝く星々が台頭し始める黄昏時。二人だけの世界には、互いにその顔と名前を知らない者が同じ教室に立っていた。


「少年よ、名は何という」


「……スパーダ・リンドバーグ。魔法も能力も使えない、ただの剣使いです。貴方は──誰ですか?」


「私は閣田かくた栄独えいどく──魔法も能力も使えない、ただの『魔術師』だ」


 男は紛れもなく暗い闇だった。だけど、俺にとってその黒色は、俺を救い出してくれた黒き希望であることに変わりはなかった。


           ──第一章 前編 完

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