26 スケープ・ロック・シュレディンガー
「うっ……!? 今の魔力は……!?」
マナは痛みで頭を抑えた。まるで張り詰めた空気が一気に爆発したかのような衝撃が伝わったからだ。その余波で牢獄内の棚に置かれた拷問道具が次々に落ち、鉄格子は重々しく
「……だから言ったじゃねえか。相手にすんなって」
「え?」
「……何でもねえよ。それより来るぜ、アイツらが。お前はアイツらと本当に戦えるのかよ」
金髪混じりの黒髪だけが見える。顔は俯いていてよく見えない。彼の手指は小指一本を残し切断され、残る小指はじわじわとペンチで潰されてぐちゃぐちゃになっていた。彼は低い声色で銀髪の少女の覚悟を問う。
「……もちろん。そうでなければ私に意味は無いわ」
そう言って彼女は机に置かれた剣状の粛正武装を手に取る。そしてそれをベルトに差し、鉄格子を開いた。
「けっ、つまらねえ反応。まあいいさ、せいぜい楽しんでこいよ。お前の大切なお仲間なんだろ? 俺はここで大人しく指の本数でも数えておくよ」
少年は大きく欠伸をした。まるで興味がないというように。
この少年は“異常”だ。そう言わざれるを得ないとマナは確信していた。痛みはあるが、気にしない。苦しみを与えられているのだと、気づかない。普通の少年がこのような感性を持ち合わせているはずがない。
──フレッジ・ローハイド。フローラ北区コーラルポンド出身。区立ウィルガード養成所から王立エーデルヴァルト魔法学校に入学。父スキャマー、母フローレンス・ローハイド。家は孤児院の経営をしている。特に変わった点は無いように見えたが、調べるうちにフローレンスはフレッジを産んですぐに家を出たという記録が残されていた。その後の消息は不明となっている。それを除けば、彼が特殊な家系出身でもなければ、特別な過去を持つわけでも無い。
しかしその出自から今までの経歴のところどころにぼかしがかかっているに感じる。ただの直感であるが、こちらでの執務もあるため、外部の支援者に調査を依頼した。だが未だ音沙汰も無く、調査の結果は以前として不明のままだ。
「……今は棚に置きましょう。彼らを抑え、必ず私の手で正体を暴いてやる」
マナは牢獄から出て、地上へと出る。少なくとも分かるのは、彼をあの少年に接近させてはならないということだけだ。
◆◆◆
見慣れた廊下を走る。誰もいないため、「廊下は走らない!」の張り紙も無視してただひた走る。目指す先は「低所」と呼ばれる牢獄。レビンが教えてくれた執行委員会が保有する拷問の場だ。
「なあ、マック。マナは何で執行委員会にいるんだと思う?」
走りながらスパーダが問いかける。
「……知らん。あの女の考えることなど考えたくも無い」
マックは素っ気なくスパーダに返した。廊下を走る乾いた反響音だけが聞こえる。互いに無言。ただ先へとひた走る。
「だがあの女は執行委員会にいる。それならば理由はただ一つだろう。あの女は聖席十二貴族でありながら影と繋がる売国奴、いや売女か。何はともあれ、我々の敵に違いない」
スパーダは何も言い返さない。事実として彼女は敵対し、攻撃を仕掛けてきた。目的が何であれ、行動で彼女は示している。それに応えるのは彼らだ。彼らにしか、彼女の道行を左右することはできない。
「……俺は剣を抜く覚悟がある。マック。お前も容赦はするな。結果がどうなろうと、口出しは出来ない。これからやることはそういうものだ」
「無論だ。もとより俺はあの女が嫌いだ。容赦しろと言われても出来る
互いの覚悟を確認する。そして二人は杖を抜く。目の前にいる、かつての仲間と戦うために。
「……二人なのね。あの馬鹿はどうなったの?」
「……死んだよ。とっくの前に」
「……そう」
小さく呟いて、マナはゆっくりと鞘から剣を抜く。目を瞑り、軽く息を吐いた。無駄な言葉は必要ない。それはこの場にいる皆が理解している。
「──魔力炉解放。我が粛正武装よ、その身に宿りし、星の呪いを今ここに解く。我に力を」
放たれた魔力が地面を裂き、粛正武装の刀身は青白く輝く。
「──同調開始。蠢け、我が身に巣食う蟲どもよ」
スパーダの右腕が発光し、内側から赤黒い線虫が溢れ出す。そして十の指を持つ異形の腕となり、彼が持つ杖は剣へと変化した。
「一つ確認するわ。迷いはないのね?」
「……ない。この剣に誓ってな。お前も覚悟は決めたか?」
「……ええ。もちろん」
互いが同時に地を蹴った。そして肉薄した二人は剣を振るい、苛烈な斬り合いを始める。
激しい剣撃音が鳴り響き、二人は一歩も引かずに鍔迫り合う。互いの表情には一点の曇りもない。──ただ倒す。それだけを考えている。
「ラアッ!」
力ではスパーダが押す。当然だ。スパーダの剣使いとしての力は別格のもの。並の剣使いの三倍の出力を持つ彼に真っ向から勝てる者などそういない。
「ハアッッ!」
しかしマナは負けていない。それどころか押し返し始めた。鍔迫り合うマナの粛正武装の魔力がスパーダの剣に纏われた魔力を消滅させていく。物理的な力では測ることができない高次の概念である魔力は、その量と質の良し悪しが戦闘を左右する。
「グッ……!? 魔力浸透が掻き消される……!」
基本魔力操作の一つである魔力浸透。自身の性能を向上させる魔力強化とは違い、魔力浸透は触れた物体に魔力を纏わせる魔力強化の応用である。鎧に纏えばより強固に、剣に纏えばより強靭になる。
この魔力の性質の差でスパーダは押し込まれていき、教室の壁へと背中を着かされる。
「──爆ぜろ、『
「! まずい……ッ!」
青白い光が膨張する。スパーダは急いで壁際から飛び、廊下側へと回避しようとしたが、輝きを増したその光はその身をを飲み込み、至近距離で激しく爆発した。
「ぐっ──! あああ!!」
バキッという嫌な音と共に、体からは黒い煙が上がり、まるでボロ切れのようになってスパーダは宙に吹き飛んだ。
「スパーダ!!」
魔力強化を施したマックが後ろへと走り、廊下の遥か後方に吹き飛ばされたスパーダをスライディングキャッチする。彼の右腕は吹き飛び、体のあちこちからは火が上がっている。
「すぐに治療魔法を」
マックはスパーダの傷口に触れようとする。しかしスパーダは伸ばされたその腕を掴み、僅かに首を振って静止させた。
「……治さなくて、いい……すぐ、戻る。だが……」
「──剣が死んだか」
苦しそうな息を吐きながらスパーダが横を向く。そこには粉々にされた剣だったものがあった。
剣使いにとって、剣の破壊とは「死」を意味する。同調する大元の剣が無くなった時点で新たに剣を同調しなければ
「……休んで体の回復に全てを尽くせ。あの女を止めるべきは俺だ」
マックはスパーダを廊下の端の壁に寄せ、少しずつ近づいてくるマナと面向かう。
「……貴様は一体何なんだ? 現時点で選択肢は三つある。狐、犬、猫。この中でまだマシなのは狐だと思うが、今の貴様はエーデルヴァルトに尻を振る犬に見える。さて、貴様自身はどう思う?」
「いつも下品な質問ばかりしてくるわね、カーマック。そういったことが大好きなあの穢らわしい男にやはり似たらしい」
珍しくマックの表情が動く。血管が浮かび、それは紛れもない怒りの証だった。
「……ふん。あの男は少なくとも俺のように質問はしない男だった。奴にできるのは弱者を痛ぶることと、女を卑しく弄ぶことの二つだけ。言葉でのやり取りなどできん。あれほどまでに醜い人間は見たことがない」
「だが貴様にもその血が流れている。その自覚はあるのでしょ? 一体何を思ってあの
「黙れッ!!」
マナの体が跳ねた。マックが大声を出すことなどあり得ないことだ。それほどまでにこの話は彼にとって触れてはならないものだということ。
「黙れ。それ以上は決して許さん。これ以上口を開くな。お前がどうなるか俺にも分からんぞ」
「……どうなるの」
そう言った瞬間、マックは稲光のような速さでマナの懐に潜り込んだ。そして容赦なく無防備な腹へと掌打を叩き込む。
「──口を開くな、と言っただろう」
マナはまるで撥ねられたかのように吹き飛ばされ、廊下を盛大に転がった。
「かはっ……!! 女の、腹に、なんて、最低ね……!!」
吹き飛ばされたマナは腹を押さえながら立ち上がった。目には恐ろしいまでの敵意が込められている。
「……かつて俺はこの苦しみを味合わされた。そしてこれを何度も二人はあの男にされてきたのだ。いや、こんなもの序の口、それ以上は到底俺の口からは言えん。貴様は上に立とうとするだけで、身をもって痛みというものを知ったことはない。そんなお前に女の苦痛が理解できるはずがなかろう」
手を払いながらマックは拳を構える。杖はポケットに仕舞い込んだまま。彼は得意の格闘術でマナを倒すつもりだ。
「……ッ。舐めるなよ。カーマックッ!!」
紫電のような魔力の閃光がマナの体から放たれる。その閃光をマックは躱し、その体に雷電を纏わせながらマナとの間合いを一気に詰める。
「……くっ!」
「フンッ!」
雷撃の如き拳が次々にマナを襲う。近距離に持ち込まれ、武器を構える隙さえも与えない怒涛の攻勢こそ最大の防御。詠唱もできない。攻撃もできない。出来ることは回避と防御、そして──
「……馬鹿め。私の能力を忘れたか」
──能力の発動。予備動作、魔力の溜めも必要としない瞬時発動型の能力であれば、嵐のような攻撃の中でも逆転の一手を投じることができる。
「!?」
ピタリとマックの体が止まった。まるで何か迷いが生じたかのようにギリギリと体を動かそうとしても力の拮抗が生じる。動けないマックを無視して、マナは前へと進んでいく。
「くっ……!? 体が動かん……っ! 視界が……ッ! 先程の閃光は暗示の類だったのか! 計ったな、女狐……!」
「──精神干渉系能力、『
マックの意識は消えてゆく。向かう先は黒い鉄格子の檻の中。そこは冷たく凍りつくようで、誰も逃げられない独居房。
「……? 何だ? 視界が急に、暗く……」
マックの意識が消えると共に、マナの膝が崩れ落ち、そしてそのまま目がゆっくりと閉じていく。
静寂に包まれた廊下。少しずつ、少しずつ潜在空間の魔力が薄まっていく。タイムリミットが近づいている。その様子を薄れる視界の中でスパーダは見つめていた。
床に倒れ込んだマックと、膝をつき意識を失ったマナ。ぼんやりと見つめると、マックの指先から青く光る線が伸び、マナの頭にその線が繋がっている。
「……マック……マナ……」
もう一度目が閉じていく。体を再生する紋章の働きが弱まっていることにスパーダは気がついていた。
──時間がかかる。本来なら喜び、宿主の体中を這い回るはずの蟲たちの動きが、何かに怯えるように緩慢になっているのだ。治りが遅く、消えない痛みによって意識が飛び掛かるのをスパーダはなんとか堪えていた。
しかし体の限界には耐え切れず、視界は完全に閉じ、意識もついに途絶えようとしていた。
「……? だ……れ……だ……?」
完全な暗闇に呑まれる直前、スパーダはこちらに近づいてくる足音に気がついた。ゆっくりと聞こえてくるその足音は、まるで必死になっている自分たちを小馬鹿にしているようだ。
「……無事だな。ほら、怖くねえぞ、蟲たち。さっさと治しな」
重いような、軽いような。揺れ動く鐘のような形容しづらい男の声。その一声を聞いて体の中の蟲たちは焦ってスパーダの体の中を駆け回り始めた。
スパーダにはその声の主が誰だか分からなかった。今までに聞いたことがない声だった。だが何となくだが、その声の主はとても親しい仲の人間のような気がして、とりあえずスパーダは目を閉じることにした。
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