25 勇気の獣

 潜在空間から切り離された、赤い太陽が登る荒野の如き空間。これこそが人間が持つ自我を具現化し、人間の罪を表す世界「天元領域エゴ・フィールド」である。


 ここで人間達は罪を精算していく。自我に塗れ、他者を蹴落とし続けた、冷血なる心への報いを。


 百を超えていた隊員達はすでにデウトールだけとなっていた。皆、勇気の獣から放たれた必死の棘により、彼らの罪の原点たる脳と心臓を穿たれ、生み出された小規模の天元領域に侵食されて死に絶えた。


 天元領域が発生した人間には近づくことができなくなる。必死の棘が突き刺さった箇所から、天元領域は徐々にその被刺者の魔力を奪ってその範囲を広げていく。助けを求めても助けは来ない。天元領域とは強固なる自我が他者を拒絶する領域。今まで振りまいてきた自我への制裁。己を愛し、他者を愛さなかった自分自身への罰そのもの。


 そうして皆、苦しみながら、救いがないことを絶望しながら、それが自分に与えられた今までの人生の報復なのだと自覚して死んでいく。そして魔力を奪い尽くされた後に残るのは、墓標のように地に突き刺さった巨大な棘と、それを囲む霊園のような天元領域のみ。


「……ハァッ、ハァ……ッ! これが我々の罪だというのか……!?」


 ただ一人、未だ倒れぬデウトール。彼は仲間の死に様を直視した。その様は納得できないものではなかった。この世の真理たる因果応報をその目に見せつけられているようで、彼はそれに対し、見て見ぬふりができなかった。


「……人間は皆、罪深い生き物です。あらゆる人から尊敬を抱かれる聖人であろうと、生きている時点で我欲に塗れている。どのような人間であろうとそれは変わらない。私も、貴方も、ここにいる彼も、それは同じなんです」


  ルーナは隣で唸る勇気の獣を見た。変わり果てた愛した人の姿を見つめるその視線は、複雑な感情が入り混じっていた。


「違うッ! お前はそんな人間じゃない! 罪を被るべきは人を殺し尽くすこの化け物と、この化け物に人生を狂わされ、悪に走ったこの俺だ!!」


  自責の念を織り交ぜながらデウトールは吠えるように否定した。


「分かるだろ、ルーナ!? お前の両親はこの獣に殺された! 俺は二人を守れなかった! お前は俺に言ったではないか!! 『貴方が強ければ、父と母は』と!! 俺は無力だった、弱かった、だから強くなりたかった!! そうすればまたお前と共にいられると思ったんだ!! お前は違うんだ……! お前は何も悪くない。なのに、何故……ッ! この罪の世界へやって来た……ッ!」


 その顔には涙が浮かんでいた。その涙は人間性を捨ててまで強さを求めた彼が、唯一残していた彼女を思う心そのものだ。それは彼が愛し、そしてその愛を突き放し、修羅の道へ進ませた彼女のために残した最後の希望だった。


「……違いますよ。私だって罪を背負っています。貴方にずっと辛い想いをさせ続けたという許されざる大罪を。ここにいられる私も、ここに入れられた貴方も、大切なものを捨てられなかったんです」


 彼女の顔にも涙が浮かんでいた。そして二人の涙は頬を伝い、共に落ちる。その二滴が荒れた大地に染み込み、世界は緑に溢れた。まるで罪を解放するかのように、世界を焼き尽くすような赤い太陽は優しく世界を照らす白い月に変わり、この世界に立つ二人と人だった生き物を照らす。


「私は貴方を捨てきれなかった。誰よりも私を思い、人生を賭けてくれたその優しさを知っているから。大切だったはずの人に罪を背負わせ、その罪を見ようともしなかった怠惰。それこそが私の罪。そして貴方は私を捨てきれなかった。私を捨てれば、貴方が欲しがった獣の力は手に入ったでしょう。そして──貴方はそれを知っていた。なのに、捨てなかった。貴方は、貴方が思っている以上に人間だったという蒙昧。それこそが──貴方の罪です」


 爽やかな風が吹いた。ここで初めて彼は知った。彼が背負った罪が、如何に矛盾に満ちたものだったのかということを。捨てなければ手に入らない渇望した力こそが、彼が最も欲しくないものであったということを。


 ──彼が欲しかったのは、ルーナ彼女だけだったのだ。それだけで良かった。なのに彼女を手に入れるためには力が必要だった。しかし力を得るということは、彼女を捨てるということ。それでは意味がない。それに気がついた彼に残されたのは、罪の世界ここに立っているという事実だけだった。


「……そうか。俺は初めから間違ってたんだな。何のための力を、俺は得ようとしていたのか。全ては……お前のためだ。ならば……捨てられるはずがなかろうに」


「……はい。もう、覚めましたか。長い悪夢から」


「……ああ。ありがとう、ルーナ。これでやっと、俺の罪と面向かうことができる」


  デウトールは笑った。それは彼にとって、実に八年振りに見せる微笑みだった。そして──彼は決意を固めた。


 彼は宿命を感じた。それはどこまで行こうとも彼の人生に付き纏う宿敵との因縁。もはや逃げられぬ──いや、戦うしか道はないのだ。それが例え、彼が抱いた一方的な憎しみの末路であろうとも。


 デウトールの魔力炉の開度が倍加する。溢れ出た魔力は獣の放つ圧倒的な魔力量と拮抗するほどのものだ。


「……獣よ。最後にわがままに付き合ってくれるか。俺はどうしても、お前を許せない。たとえお前のあの日の行いが、不本意によるものだったとしても。だから俺はお前を打ち倒したい。そして長きに渡るお前との因縁を断ち切る。それだけで許されるはずがないが……それが俺の償いだ」


 獣は、彼の願いに応えるように低く鳴いた。


 ──レビンも受け入れたのだ。全ては彼が抑えきれなかったその力から始まった罪の連鎖。それを受け止めることが彼の役目であり、そして目の前で家族を殺した男との決着になる。そしてそれこそが、憎しみを生み出してしまった自分自身への償いとなると。


「──我が粛正武装、『大山猫の眼リンクス』よ。その身に宿りし、星の呪いを今ここに解く。我に……力を」


 デウトールの持つ大砲が、その砲身に青い光を放つ。点状に輝くその光はまるで星座のように線を結び、そしてその線に沿って大砲は分解した。


 デウトールの体に大砲だった鋼鉄が武装されてゆく。戦闘服の上からさらに粛正武装を纏い、デウトールはまるで兜を被った騎士のような鎧姿へと変貌した。


『起動確認。

粛正武装識別個体名“大山猫の眼リンクス

登録者名デウトール・クーガー。

魔素血管マナベッセル、使用者魔力炉への直接接合から、粛正武装内の壊滅原理デスルールを魔力源とし、神経回路接続へと切り替え完了。

バイタル、現段階正常。

──リミッター解除、活動限界まで壊滅原理デスルールを注入します』


 鎧に張り巡らされた道管に青いエネルギーが循環し始める。黒い鎧に青い光。まるで漆黒の宇宙と輝く星々。デウトールの両手に青いエネルギーが集中し、超高密度の魔力による光の剣が生み出された。


“──行くぞ。獣よ。俺はお前の天敵だ”


  デウトールの纏う装甲背部から光の翼が生える。そしてデウトールはその魔力噴射を生かし、空中へ飛翔した。


 空より滑空し、獣に向かってデウトールは降下する。獣は頭上から攻撃を仕掛けるデウトールへ死を馳走せんと必死の棘を振り撒いた──が。


「!? 棘がデウトールを狙わない……!?」


  ルーナは先程までの獣が振り撒く棘の凶悪さをその目に焼き付けていた。例え棘に狙われた者が避けようとも、棘は執拗にその脳と心臓を突き刺すために軌道を変えて追跡する。しかし今の棘は狙いが何なのかを分かっていないように真っ直ぐに飛ぶだけ。デウトールの進行軌道上に飛んだ数本の棘はデウトールの光剣によって焼き切られ、残る無数の棘達は明後日の方向へと飛んでいった。

 

『光剣への壊滅原理凝縮総量二十装填分。対象の対人魔力障壁貫通可能』


  デウトールが光剣を振り下ろす。空気を焼き切りながら青白く発光する光剣と、獣が纏う強大な魔力障壁が接触した。光剣はその魔力障壁を破壊し、獣の体表を切り裂く。


「G……!! OOOOOOAAAAAA!!」


  獣が激痛による叫びを上げた。切り裂かれた体表から真紅に発光する血が吹き出し、周囲一体に天元領域をばら撒く。


「レビン君!! くっ!?」


 ルーナは獣に近寄ろうとするが、辺りを包み込んだ天元領域がそれを許さない。この世界では誰も力を貸すことはできない。罪を背負うのはこの世界を作り出した獣であろうとも同じ。生きとし生けるもの全てが生まれながらに持つ罪を精算する場所。孤独に、孤高に戦い続ける。


「Gaa……!! GOOOAAAaaa!!」


  獣は負けじとデウトールに向かって鉤爪を横薙ぎに振るった。鋼鉄の装甲を容易く破壊し、彼は遥か後方へと吹き飛ばされる。


“グッううう……!! 星の名を冠する粛正武装でも歯が立たぬか! やはり化け物だな、レビン・ムートフリード……ッ!!”


  露出したデウトールの肌からは赤い血がぼたぼたと流れ出していた。しかし傷口に装甲から伸びた魔素血管が付着し、傷を癒しながら装甲が再生されてゆく。


“だが──ッ!?”


 もう一度立ち上がり、構え直したデウトールの目の前には、大きく口を広げた獣がいた。強靭な脚力を生かし、大地に大穴を開けながら飛んだ獣はその勢いのままデウトールの全身に噛み付く。


“ぐあああっっっ!! ぐうぅぅぅ、レ、ビンッ……お前、自滅するつもりか……!?”


「G、OO……! AAAAAAAAAaaaaaa!!」


  獣の体が徐々に溶けてゆく。粛正武装とは対獣に特化した武装である。神に嫌われるものイレギュラーとして最も高い地位にいる獣は粛正武装の壊滅原理には勝てない。己を殺す毒素を超高密度に纏ったデウトールに噛み付くということは、獣にとっての死を意味する。


『バイタルの急激低下を確認。注入壊滅原理量減少。外的干渉による肉体への損傷、重篤。機能停止まで残り十九秒』


“ぐっ……はっ!! そう……か。お前も、辛かったのだな……。すまなかった……俺はお前に全てを押し付け、理解しようとしなかった……殺したくて人間を殺す人間なぞ、あの闇の王くらいのものだと、いうのに……”


  血飛沫を上げて骨は砕け、肉は裂ける。そして顔を隠す兜も鎧の破壊と共に砕けていく。明かされた顔には何の迷いもなかった。陽だまりに照らされ、優しく微笑む顔がそこにあった。


「ならば……共に朽ちよう。レビンよ。俺とお前の終着点ゴールテープは同時に振り切ろう。だが、ここに辿り着かせてはならない者がいるだろう。俺とお前が深く愛した、あの人が……な……」


 デウトールは血を口から垂らしながら、愛した者の顔を見つめた。その目には彼女を愛したレビンに負けないほどの慈しみが込められていた。


「さらばだ……ルーナ。最後に俺を救ってくれてありがとう。これでお前の罪は償われたよ。……こんな清々しい気持ちはいつぶりだろうか。やはり、もっと素直になれれば良かったのだろうな……そうすれば、お前とも、レビンとも、ずっと一緒にいられたかもしれないのに……な……」


『最終シークエンス突入。壊滅原理と魔力炉の融合反応による変異魔力生成。登録者の死亡まで残り七秒。死亡後に対断層粛正術式、『超新星爆発ビッグバン』起動します』


「生き……ろ、ルー、ナ……」


 空間が収縮する。粛正武装を纏ったデウトールに吸い込まれるように、天元領域は崩壊を開始する。そしてその発生源たるデウトールに噛み付く勇気の獣の体は、その超エネルギーに耐えきれず、焼き尽くされてゆく。


 デウトールは震える手をルーナに向け、魔力を飛ばした。その魔力はルーナを優しく包み込み、世界を崩壊させる粛正武装の壊滅原理からその身を守る。そして彼女の無事を確認して、デウトールは息を引き取った。


 ──さようなら、俺と兄貴が愛した、ただ一人の貴方──。


 最後の足掻き。理性は崩壊し、ただ感情のままに殺戮を続けた獣は、かつて人として愛した少女の幸せを願い、自身を守る魔力全てを使い切ってデウトールの魔力と共に、彼女をこの罪の世界から解放した。


 ──星は爆発し、自我の世界は滅びた。滅ぼし合う関係にあった兄弟はこの世から消え去り、元の世界に帰った少女は、晴れ渡るそらから木漏れ日のように降る光の粉雪を見つめる。


 優しく手に乗ったその光は彼女のために人生を狂わせ、最後に自分を取り戻した高潔な兄と、誰かの為に笑顔を絶やさず、たくさんの人を笑わせようとした心優しき弟の暖かな残り香。


 だからこそ彼女は笑った。生きろと願われ罪の束縛から解放された彼女の心は雲ひとつなく、この宙のように晴れ渡っていた。


「──ありがとう。私をずっと愛してくれた二人の男の子」


  彼女は両頬に涙を伝わせる。しかし彼女はその二つの涙を拭った。彼女は生きる。これからも。二人が残してくれた大切な自分自身のために。そして一足早く元の世界に戻った彼女は今も戦い続ける残りの仲間たちが帰ってきた時のために、エーデルヴァルト帰る場所の平和を守ることを誓ったのであった。

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