24 孵化

  作戦開始直前。スパーダは宿舎で休息を取るレビンに会いに行った。


「……どうだ。気分は」


「……まぁ、良くはねえ。かと言って休む気もねえが」


 むくりとベッドから起き上がったレビンの顔色は、お世辞にも良いと言えるものではなかった。そして彼は深い溜息をついて頭に手を置いた。普段ではあまり見られない光景だ。


「……やれるか。デウトールと」


  スパーダのその問いかけはレビンに気を使ってのものではない。それはレビンの過去に問いかけたもの。過去にあった因縁との決別をつける覚悟があるのかどうか。それを彼は確認したのだ。


「……やるさ。俺には勇気があるからな」


  その声は低く、何かを思い出すかのように空を見上げながら出された。その音は宿舎の壁にぶつかり、溶け込むように消えてゆく。二人の言葉も消える。しばらくの沈黙が二人を包んだ。とても、とても、長いように感じる数秒の沈黙だった。


「……なあ、スパーダ。『グリム』って知ってっか?」


 レビンは独り言を呟くかのように、軽い息と共にスパーダへと尋ねた。


「グリム? グリム童話の話か?」


「なんだよそれ」


  突然質問されたスパーダは、レビンが隣界の知識を全く持ち合わせていないという事を念頭に置き忘れていた。


「すまん、冗談だ。グリムって確か、断層における“最も関わってはいけない生物”のことだろ? 確か出現したら各国最強の魔法能力者である『ルーガ第五魔法能力者』に討伐要請がかかって、殲滅局も総出で対処にかかるとかいう。でもそれって都市伝説じゃねえのか?」


 ──グリム。正体不明の災害級生物。詳細については全く公表されておらず、スパーダが話した内容も出所がどこかも分からない信憑性ゼロの話だ。


 まずルーガ第五魔法能力者が全員集まるというのは、それこそ世界を救う戦いに赴く時くらいのものだろう。魔法の世界と聞いて、隣界に伝わるユニコーンなどの幻獣がいるのかもと淡い期待を持ってスパーダはこの世界に来たが、この世界に変わった生き物というのは存在しないことを彼は一年半の生活で知った。この世界には明確な人類の敵になる強大な力を持った生物がいる気配は微塵もない。


「そいつはいる。俺はこの目でそいつを見た。俺が見たそいつは禍々しい姿をしたライオンみたいなやつで、なによりめちゃくちゃデカい。多分全長十メートルはあるな」


「は!? デカすぎんか!?」


「そして体表は黒いオーラみたいなもんで包まれていて、毛はぶっとい針の山みたいになってるんだ。そしてその毛を飛ばして人を殺す。その毛はなんでか知らないけど、人のを狙って飛んでくる。誰が言ったか知らねえけど、『必死の棘』って言われてるらしい」


「……へ、へえ。そりゃ、怖えな」


「多分だけど、その棘はを狙ってるんじゃねえかな。ほら、“心は脳にあるのか?”それとも古来より伝わるように“心臓ハートにいるのか”ってな。分からねえのなら欲張ってどっちも狙っちまおうってこった。そしてその棘が刺さった物体からは、グリムが纏っている黒い瘴気が発生して、誰も刺さった物体に触れられなくなる。近づいてもまるで弾かれるようにな」


「…………」


「俺が思うグリムの正体は『』だ。神様という目に見えない存在が、誰かに乗り移って現れるみたいに、感情という高次元の存在が、夢想された姿を模ってこの世に顕現する。それならさっきの棘が感情の在処である脳と心臓を狙うのも納得いくだろ?」


「……ちょっと待て。なんでお前そんなに詳しいんだよ。それにもしお前がその時近くにいたってんなら、なんでお前はんだ?」


 スパーダは固唾を飲んでレビンに尋ねた。するとポカンとした表情を浮かべた後、レビンは深いため息を吐いて哀れむような目でスパーダを見た。


「……お前、もしかして俺より馬鹿なんじゃね? なんでここにいるって、ここにいるんじゃねえか」


「……え? それってどういう──」


「ただ、次に出た時はそれこそ俺が終わる時だ。次で俺はヤツに飲み込まれて終わる。時間が来たらどう足掻こうと俺という全てを食い潰して滅びるだろう。だからまあ、その時は察しろ」


 その時のレビンはまるで全てを超越したかのようなただならぬ魔力の波を放っていた。その時にスパーダは察した。──こいつは人じゃないのだと。


◆◆◆


 白光があたりを包む。百を超える赤い閃光とその閃光を上回る魔力量を持つ青い閃光が、飛び出したレビンに向かって集中した結果か。いや、違う。スパーダは見た。レビンの体が雷を放つ黒いに変化し、被弾した閃光が掻き消されたその瞬間を。


 閃光が消える。眩い光もそれにつられて失せていく。そこにあるのは巨大な黒い卵。空中に浮かび、雷を放ち、孵化する時を待つ。


「なんだあれは!?」


  隊員たちが列を崩し、その卵の不気味さを凝視する。大きさは二メートルほど。原理が全く分からない未知の光景に彼らは驚きを隠せない。


「……グリム。グリムグリムグリムウゥゥッ!! 俺は貴様を許さぬ! 忌々しき感情の獣よッ! 貴様は必ずここで滅ぼす! 俺の許されざる過去に誓ってなァッ!!」


  デウトールは過去を恨むかのように眉間を歪ませ、怒りを露わにする。彼はただちに粛正武装の再チャージを始める。これから始まる鏖殺おうさつの惨劇を打ち壊すために、過去との因縁を断ち切るために。


「……スパーダ君。もう、レビン君はいないんだね」


「……はい。人のレビンはもう死にました。あとは……レビンが残した最後の意思が、奴らを倒すだけです」


  ルーナは悲しさと悔しさを交えたように歯を軋ませる。最愛の人がもうここにはいないのだと、その事実が何よりも辛い。しかしこれが彼の選んだ人生の最後だというのなら、彼女はそれを拒む事はない。


「……だけど、やっぱり行かせられないな。スパーダ君、マッくん。私はここに残って彼の最後に付き添いたい。勝手を言って悪いん……だけど」


  ルーナは申し訳なさそうに俯いて言った。するとその両肩に二人の手が優しく乗せられる。顔を上げ、二人の顔を見ると、彼らは納得したような顔で笑ってくれた。マックは相変わらず笑っているのか分からないが、それでもその行動が彼にとっての笑顔そのものなのだろう。


「しっかりとあいつの面倒を見てやってください。ほら、あいつ馬鹿だったでしょ? 理知的でしっかり者の先輩がやっぱりそばに居てやらねえと、何しでかすか分かりませんからね」


「この先のことは任せてください、ルーナさん。あの向こうにいるやつを相手取るのは、やはりスパーダとこの俺でなくてはなりません。ご武運を」


 二人は道が開かれる時を待つ。先にいるであろう、彼らの因縁に繋がるその道が開かれる時を、そのためのアレが孵化する時を。


「……うん。ありがとう二人とも。しっかり付き添うよ。私たちの愛は、決して誰にも壊されないんだから」


 卵にヒビが入る。少しずつ、少しずつ軋み、中からソレが生まれ落ちる時が近づく。


 執行委員会は皆、再戦闘の体勢を取り、魔素血管との接続、魔力の充填を始める。全ては目の前にいる敵達を粛清するために。


 ルーナは杖を抜き、同調を開始する。スパーダ達はこの場を切り抜けるために魔力強化を全身に施す。一人は愛した者のために。二人はこの先に待ち受ける試練を踏破するために。


 ──卵が、砕ける。感情の獣が生まれる。


 その産声は凄まじい絶叫だった。けたたましい咆哮が轟く。まるでこの世の全てを終わらせる黙示録の獣が顕現したかのようにスパーダは感じ取った。


 ──巨大な体を持つ獅子。それが皆が抱いた第一印象。しかし、凶悪かつ巨大な殺すための爪と牙。全身から突き出した剣山のような棘とも言い取れる強固なる赤黒い毛皮。強靭なる腕と脚、槍のように尖った尾。そしてなによりも、猛々しいその立髪。この世にいるべきではない生物がここに生まれ落ちてしまった事を全員が思い知る。


 ずるりとソレが卵から生まれ落ちた時、この空間は氷張になったかのように張り詰め、時空の再定義が行われる。


 溢れだす黒い瘴気。それを見た瞬間、ルーナはその瘴気に執行委員会達が飲み込まれる前に、その中へ入るため走り出した。


「!! 来るなッ! ルーナァァァ!!」


  デウトールはルーナを止めるために大声で叫んだ。しかしその声は彼女を止めるに至らなかった。黒い瘴気が包み込む寸前に、その足が躊躇なく前へと進んだ。


 その黒い瘴気がドーム状に執行委員会達を囲い切った時、その範囲は潜在空間から消失した。一般魔法科への道は開かれた。誰一人の血を流すこともなく。戦う者は生物が持つ「自我の空間エゴ・フィールド」に足を踏み入れた。


 そして二人は走り出す。邪魔をする者は誰もいない。この先にいるのは機械の心に苦しみ、救いを求める銀髪の少女と、彼女がその存在を隠す嘘つきの少年だけだ──。

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