8 愚か者の独白
湯気がゆらゆらと立っているティーカップを三杯お盆に乗せて、フロダロントは部屋に戻って来た。フロダロントはソファに座る俺と対面するように向かいのソファへ座り、俺の前にティーカップを差し出した。
「いい茶だぜ。多分」
「多分かよ」
ズボラさが見え隠れする目の前の探偵の言動に呆れながらも、俺はずいとカップを啜った。中身は何の変哲もないストレートティー。少しだけ残念な気分になった。
「聞きたかったことから話そうか? それとも聞きたくなったことが先か?」
「……聞きたくなった方から頼む」
今はそっちのが先だ。もしかするとこの状況は予想以上にまずいのかもしれない。それが真であるかどうかを確かめねば。
「何ですぐそばに事務所があるのに、俺がボロボロの浮浪者に化けていたのか──だな。あれは他人に化けた上で本当にボロボロだった。影の攻撃を受けちまったんだ」
「! ……いるのか? まだ、この辺に」
俺は声を潜めて訊く。フロダロントはチラとシャッターの隙間から外を覗いた。そして小さく首を振る。否定の動きじゃない。俺は固唾を飲んだ。
「お前さんも知っての通り、いつもみたいに影の情報収集をして回っていた。その結果ここから東に約十キロ、東区と中央の境に奴らの拠点があるのを確認したんだが……尻尾を掴まれちまってな。このスラム街に入ったところで敵の魔法が被弾して、命からがら近くにいたオッサンの体を拝借させてもらって凌いだってわけだ」
「……概念系能力『
俺は半年前、ラースヒルズと共に魔法連合を訪れたが、途中ではぐれ、広大な魔法連合の内部で迷子になった。そして誤って連合の侵入禁止区域に入ってしまい、逃げようとした時にこの探偵と出会ったのだ。
「よく覚えてたな、迷子の兄ちゃん。そうだ。俺は他者に化ける力を持つ。探偵にはもってこいの能力だ。だが完全な模倣はできない。例えば化けた相手の固有魔法、能力は使えねえ。つまり戦闘能力は大してないってことさ、俺には。だからバレちまったら勝てねえ。そんなこんなで結構な痛手を食らっちまったんだが……まさかマキナの嬢ちゃんに助けられるとは、俺にとっちゃ僥倖だったよ」
「俺にとってもアンタを探していたから僥倖だったよ。……マキナには申し訳ねえがな……」
「……そうだな。また今度、助けてくれたお詫びに嬢ちゃんが好きな赤色の薔薇でも贈るよ。んで、何だったんだよ、俺への用ってのは?」
そうだ。本題がまだ残っている。これを知らなければ帰ることが出来ない。
「ああ、第一に訊いておくが……アンタ、エーデルヴァルトに潜入調査とかしてねえよな?」
「してねえな。少なくとも今は」
どこか含みのある言い方だが……今は問いたださないでおこう。必要なのはその能力の性質についてだ。
俺は学校で置かれている現状について話した。そして決闘の情報を漏らした誰かが偽装する力を持つ能力者なら、同じような力を持つフロダロントから話を伺うのが最も情報を得られる可能性があると踏んでここに来たことも。
「なるほどねぇ……興味深いなそりゃ。
「と、いうと?」
「『認識を書き換える』みたいな能力の可能性があるってこった。俺みたいに視覚から化かすんじゃなくて、そう錯覚するように認識へと働きかける。実際は化けちゃいない。“そう見える”“そうなる"“そうとしか考えられない”こんな風に誤った認識を他者へ摺り込むんだ。だから実際には誓いを結んでなくても、他の奴らから見て誓いを結んだように見える。何食わぬ顔で、変装も何も無しにそいつは、ありのままの姿で堂々とお前の姿を見ていた。お前さん、確実に狙われてるぜ?」
……あの闘技場に入り込み、俺とローベンの戦いをそいつは平然とした顔で見てたってのか。自分は仮面を被ることなく、魔法的拘束さえも騙す仮面を他の人間に被せて。……舐めやがって。
「……誰がそんなことするってんだよ? 魔法も能力も使えない時点で人権すらないってのに、俺は剣使いで、生きる権利さえ取られちまうようなやつだぜ? これ以上俺を貶めて何がしたいってんだ」
フロダロントは茶を啜る。熱かったのかすぐティーカップから口を離したが、冷静を装うように軽く息を吐いた。
「……冗談抜きで既にいるのかもな。あのクソ野郎が」
憎しみを込めた目でフロダロントは机の額縁写真を眺める。そして愛でるようにその額を取ると、何とも言えない表情で笑った。風を静かに切るような息が吐き出された。
「殺されたんだ。妻も娘も。目の前であの男に。ゲルダは殲滅局でも腕利きの局員だった。冷静で、思慮深くて、誰よりも家族を愛していた。皮肉にも、その愛がゲルダを殺した。娘のアリシアを人質に取られて、彼女は手を出すことが出来なかったんだ。そして無抵抗のまま切り殺された。目の前でバラバラにされる様を見て、俺はどうしたと思う?」
フロダロントの目は俺を見てはいなかった。額のフィルムによる光の反射で映った自分の顔を恨めしそうに見ながら、額縁を握る手に力が籠る。
「……何の抵抗もできなかったんだ。いや、しなかった。ただただ怖かったんだ。あれだけ頼りになった妻が、無抵抗で死ぬ様を見て、何の力も持たない俺が抵抗したところで何の意味もないと悟ったんだ……。気がついたらあの男は退屈そうに娘に何度も剣を突き刺してたよ。まだ二歳で、何も知らない無垢な子供を守ることさえ、俺は忘れた。よほど滑稽だったのか、あの男は俺の耳元で笑い声を上げて帰って行った。惨劇の場に残されたのはバラバラになった妻と穴だらけになった娘、そして何の価値もない愚か者だけだった」
悔しさが彼を突き動かすのか、それとも守れなかったことへの贖罪の心による義務感か。または……純粋に己を燃やし尽くすような憎しみか。どちらにせよ、フロダロントは強い恨みを糧に、自らの身を危険に投げ出して闇の王に対抗している。
「アンタは愚かじゃない。今こうして自分に出来ることを精一杯やって戦ってるじゃないか。戦わず、諦める人間ばかりがこの世界にはありふれている。みんな何かしらの理由をつけて逃げるんだ。例え愚かだったとしても、自分から逃げずに戦う人間がこの世界には必要だ」
フロダロントは顔を上げた。その目にはさり気ない雫が溜まっていて、少しだけ目の下は腫れている気がした。俺は手を差し出す。それは感謝と共に彼への敬意を感じたからだ。
「……へ、坊主にカッコ悪い姿は見せたくなかったんだけど……サンキューな」
手と手が重なった。予想以上にその手は冷たかった。だけど手が冷たい人は心が暖かいという。彼はきっとそうなんだ。
「……お茶、美味しい」
俺とフロダロントの体が同じタイミングで跳ね上がる。気配もなくマキナは目覚めて、何なら茶を啜っていた。暗い雰囲気を常に纏っているせいか、気配を遮断する力は達人級であるらしい。
「探偵さん、体、大丈夫です?」
マキナは相変わらずぼんやりとした目をしながら、言葉を繋ぎ合わせたような口調で尋ねた。
「ああ。おかげさまで。嬢ちゃんに助けられるのは二度目だったな。そろそろ借りを返さねえと利子が跳ね上がっちまいそうだ」
照れ臭そうにフロダロントは頬を掻いた。聞いた話によると五年ほど前、まだあの夜の復興が続いていた頃、貧困で今回のように弱っていた変装無しのフロダロントを見つけたマキナは、彼をその能力で助けた。マキナは同じような苦しむ人々を助け続けていたらしい。
その後マキナがどうなったのかは明かされなかったが、恩義を返すためにフロダロントはマキナの家を援助し、何度かマキナは相談のためにここを訪れていた。だから今回、悩める俺のために案内を買って出てくれた。だけど、これも危険を顧みないその心のせいだというなら、俺は素直に喜ぶことは出来ない。
◆◆◆
しばらくフロダロントと色々な話(主に集めた情報の数々など)をして、俺とマキナはエーデルヴァルトに戻ることにした。しかし気掛かりがある。このスラム街にまだ影の連中がいるということ。無抵抗であろうと目をつけられたら無事では済まない。
「俺んとこの用心棒がここにいりゃ、護衛を頼むんだが、あいにく任務中でな」
「用心棒?」
「ああ。言っておくが、めちゃくちゃ強い。さっき見つけた敵の拠点の位置情報を伝えたら、すぐに壊滅させるために単騎突入していったよ」
「は? 影の集団に一人で?」
影は大半が剣使いで構成されている組織だ。そして剣使いの力量は通常の魔法能力者三人がかりでやっと一人捕えるのがやっとと言われている。もし十人剣使いがいたら、魔法能力者は三十人必要。それ以上の剣使いがいる中をたった一人でなんて自殺行為だ。
「そいつの心配はいらねえよ。今は自分の心配の方が先だろ?」
「……そうだな。とにかく安全にこのスラム街を抜けねえと」
「俺の顔は割れてる。護衛したいのは山々だが、バレた瞬間にお前らも標的になる。他の人間の顔を奪うにしろ、抵抗される可能性もあるし、そう気軽に奪っていいもんじゃねえし、なんせリスクが高え。やつらに通用するか分からねえが、
本が敷き詰められた棚の下段が引き出される。中には液体に満たされた試験管のような容器がびっしりと敷き詰められていた。そしてフロダロントはその中から鼠色の液体の容器を取り出した。
「『
こいつは魔法陣そのものである使い捨ての魔道具だ。使用方法はこの容器を丸ごと叩きつけて割ることで、外に出た内容液と容器の破片がそれぞれ魔法陣の触媒と刻印の関係を成し、効能を発揮する。
「了解した。対価は後払いでいい」
「金とんのかよ」
「金なんざ興味ねえさ。興味があるのは、お前がこの街を無事抜け出し、お前の目の前で見えない仮面を被っていた卑怯者を暴き出す結果だ。もしそいつが誰だか判明したら、また俺の元に来い。嘘つきってのは何重にも皮を被ってるもんよ」
ニヤリと吊り上がったその頬は、少しだけ自虐を含めた不敵な笑みを作り出していた。それを見て、俺の首筋に形容し難い不快感がどろりと流れ込んだ。
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