7 青い薔薇は自分には咲かない

──フローラ スラム街


 神殺しの夜以来、最も裕福な国と言われたフローラでさえ、今となってはスラム街が出来上がるほどの治安悪化を余儀なくされた。中央街であるメルバーダでも、白昼堂々と強盗が行われるような情勢だ。


 暗い路地裏、人の気配はあっても、それは苦しそうな唸り声を上げる弱者か、その弱者から金や食い物を巻き上げる卑怯者の息遣いだけ。


「……大丈夫か、マキナ?」


「……大丈夫」


 俺とマキナはフードで顔を隠し、面倒ごとに巻き込まれないよう注意しながら路地裏を歩いていた。


「こんな場所にいるのか? あの探偵が」


「うん……いるはず。引っ越してなければだけど……」


 ……まさかマキナが自ら出向いて俺を案内してくれるとは思わなかった。マキナだってこんな場所に来たくはないだろうに……。


 ──三日前、俺が今置かれている状況を話すと、マキナは手掛かりになる人物と俺を引き合わせると約束してくれた。その時、マキナは震えていた。きっと勇気を振り絞って言ってくれたんだ。


「……く……れ……たす……け」


 痩せ細り、壁に背をつけ、焦点の合わない目でなんとかこちらを見て、助けを求める男性。残念だが食い物は持っていない。なんとかしてあげたいが……。


「あ、おい、マキナ!」


  マキナは男性のもとに駆け寄り、ポケットから出したカッターナイフで自分の指を切りつけた。血はポタポタというよりボタボタと少し勢いをつけて出てくる。


 その血を溜める。水たまりのように。そして男性のボロボロな服にまで染み込むほど血は広がり、マキナは男性の手を握る。


「『──あなたはまだ、生きているスティル・アライブ』」


 ──そう唱えた時、時間は逆行する。奇跡が起きる。


 血溜まりはその赤色を青色に染め上げる。赤い薔薇のような彼女の髪も青く、青い薔薇へと生まれ変わる。マキナの手を起点に青い薔薇が咲き誇り、男性を優しく包んでいく。薔薇の絨毯に寝かされ、男性は目を閉じた。


 汚れ、擦り切れた肌。潤いを失い、痩せこけた頬。その全てがかつてあった輝かしい日々の姿へと巻き戻っていく。


  男性が目を開けた時、彼は光を取り戻した。傷はない。枯れもなく、飢えもない。何もかもあった日常の姿へ、彼は再び返り咲いた。


「うっ……! あぁ……!」


  苦しそうに息を吐き出し、再び赤色に戻った血溜まりへとマキナは倒れ込んだ。


「! マキナッ!!」


  俺は急いでマキナのもとに駆け寄る。抱き抱え、体を起こすと、その顔色は血の気が失せていて真っ青だった。


「無理すんなっていつも言ってんのに……!」


 その能力は奇跡を起こすもの。しかし奇跡は人の身で扱うには多大なリスクを背負う。


 彼女の能力「逆行開花ブルーローズ」は使用者の魔力と血を大量に持っていく上、常にそれらは不足し、その分を使用者の寿で担保する。使えば使うほど死は迫る。


 青い薔薇の花言葉は「奇跡」であると同時に「不可能」でもある。他者を救う奇跡を起こせるのに、自分を救うことは不可能。強烈な皮肉だ。彼女は自身の救いを求めているのに、他者を救うことにのみ神はその権利を与えた。神様ってもんはつくづくタチが悪い。


「……まさか嬢ちゃんに救われることになるとは、この街は俺のホームグラウンドだってんのに情けねえ」


 立ち上がった男は、マキナに救われたボロボロの男ではなかった。至って健康そうな血色のいい肌。黒い貴族服に赤いネクタイをつけ、大きなシルクハットを被った道化のような男。あの日に出会ったあの男だ。


「……フロダロント・メイガス。アンタ、なんでまま倒れてたんだよ?」


 俺が探していた相手とこんな形で出会うとは思わなかった。この男の事務所がこのスラム街にあると知りやってきたが、手間が省けた。


 探偵フロダロント・メイガス。彼とは今から約半年前に初めて出会った。場所は断層の中央、“地図にない場所”「魔法連合」の本部。地図にないのは魔法連合が国として成立しておらず、七百年前の終末大戦後に各国が主権を統合させたことが理由だ。そしてそれが近年の戦争の原因にもなるのだが……。


「その話は後でだ。えらく衰弱しちまってたが、今は嬢ちゃんのがまずいだろ? 治療は俺んとこの事務所で出来る」


  フロダロントは急ぎ足で路地裏の奥へと進んでいく。ただならぬ様子を察し、俺はマキナをおぶり、後を追った。



◆◆◆



「入れ。隠蔽の魔法陣の上にこの事務所は作ってある。並大抵のヤツじゃ見つけられねえ」


  フロダロントは古ぼけた扉を軋ませながら開き、中へと入る。パッと見たところただの寂れた二階建ての普通住居だ。俺は少し心配になりながらも中へと入った。


  部屋は外見の寂れ具合と打って変わって片付けられたとても綺麗な部屋だった。


 上品にあしらわれた木主体の部屋で、黒い革作りのソファや、規則的に書物が埋められた大きな書架、テーブル上の簡易魔法陣。そして路地裏にも関わらず、太陽の光がシャッター越しに木漏れ日のように差し込む事務机には、小さな女の子を肩車し、楽しげに笑う若い男性と、隣で幸せそうに微笑む女性の写真が額に収められ飾られていた。


「使えそうなのはこの辺りか。嬢ちゃんをこの魔法陣の上に寝かせてくれ。嬢ちゃんに足んねえのは血と魔力だろ? 今からその二つを錬成する」


 俺ではマキナを治療することは出来ない。俺は言われるがままにテーブルの魔法陣へとマキナを寝かせると、フロダロントは彼女を中心にして陣の角へ、机の引き出しから取り出した魔石やら魔薬やらをごっちゃに置いて準備を始めた。


「こんな適当な陣で大丈夫なんだろうな?」


「大丈夫さ。助けられた借りは絶対に返すのが俺のモットーでね」


 苦しそうに呻くマキナの頭にフロダロントは手を当てる。そして軽く息を吸い、詠唱を開始した。


「──我、ここに命ず。その身に宿る命の鳴動よ、我が魂の輝きを分け与え、そして今一度、肉体を構成す赤き血潮、仮想を現実へと引き出す魔の力を湧水の如く生み出せ。生きよ、時はまだ其方を捨てぬ」


 黄金の輝きが魔法陣より生まれ、マキナを包み込むように光はゆっくりと揺らぐ。そして静かに光は消えてゆき、それにつられるようにマキナの息遣いも落ち着いたものへ戻っていった。


「これで大丈夫だろうが……嬢ちゃんは無茶をする癖があるからな。次からは死ぬ気でお前が止めないと、早死にさせることになるぜ?」


「……分かってる。これ以上無理はさせねえ」


  マキナは自己犠牲の塊のような少女だ。いや……違うか。その自己犠牲は保身のため。彼女は。よほど辛い過去を送っていたのか、まるで“助けなければ殺される”とでも思っているようだ。事実、以前同じように人を救った彼女自身が『“誰かの為に”なんて立派な理由はないよ』と暗い声色で言ったのを俺は鮮明に覚えている。


 彼女を救いたければ、まず今の彼女を変えなければならない。だが……彼女が抱える傷と闇は計り知れないものだ。少しでも触れた瞬間、傷は広がり、彼女は本当に帰って来れなくなるかもしれない。それが、たまらなく怖い。


「……ま、茶でも飲んで考えてくれ。俺に用があって来たみたいだし、ゆっくり話そうや」


 フロダロントは俺に配慮してか、給湯室の掛札がある部屋へ入っていった。


 奥の部屋から微かに聞こえる湯を注ぐ音。チクタクと静寂に刻まれる掛け時計が針を刻む音。気持ち良さそうに眠るマキナの寝息の音。様々な音に反響されながら、ここにある当たり前と、当たり前で無くなってしまった当たり前の数々に頭を悩ませる。ふと顔を上げて目に入った、シャッター越しの太陽光を失った額の写真は、まるで遺影に見えた。太陽はすでに雲で覆われたようだ。

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