第39話   時の人

 56-039

「取材は終ったわ!」

「貴女の名前と支店は何処なの?」

「私は小南圓さんと同じ支店の赤城美沙です!」

「小南圓さんの名前を知っているなら、間違い無いわね!そこの男、村井はモーリスの悪事を話した?」

「はい、全て話しました!記事の掲載は少し先になりますが、必ず掲載します!」

「どの様な事を村井は喋りましたか?」

「先ず、企業を奴隷にする方法を話しました!」

「奴隷ですか?モーリスではその様に言っているのですね!」

横で村井課長が怒り始めるが、妻の加代が「辛抱して!茜が殺されるから、相手は狂っているのよ!耐えて下さい」そう言って村井課長の身体を押さえている。

美沙は敢えて寺崎食品の事には触れない様に話をした。

身元が知られたと思われると、子供を帰さない可能性も有る。

美沙は今までの取材から得た情報から寺崎志乃が納得する様な事を次々に話すと、受話器の向こうからすすり泣く声が聞こえた。

「必ず、モーリスの悪事は私が記事にして告発しますから安心して下さい!」

「宜しくお願いします!」

「子供さんには罪はありませんから、早く解放してあげて下さい!」

「赤城さんが村井の家を無事に出られたら、解放します!ありがとうございました!」と言って電話が切れた。

村井は「お前!よくあれだけ嘘を並べるな!」と怒ったが、加代が「娘が帰るなら良いじゃないですか!」と宥めた。

「そうだな!私は何も喋っていない。記者さんの作り話だったな。俺も興奮していた。ありがとう!手荒な事をして申し訳無かった」そう言って軽く会釈をした頭を下げた。

「そうだわ、早く家から出さないと茜が帰ってこないわ」

今度は美沙を家から追い出すように急がした。

美沙は、茜ちゃんが無事に解放されることを願って外に出た。

その様子を車で見ていた貢は、携帯電話で母の志乃に連絡をしてから直ぐに車を発進させた。


村井課長宅近くのアパートに一ヶ月前から住んで準備を進めていた志乃は、貢からの連絡をもらうと直ぐに茜を解放し、貢の車が到着するのを待って纏めていた荷物を積み込み逃走した。

ウィークジャーナルの大阪支店のカメラマンと記者が、独占スクープの為に村井課長の家の近くに陣取り茜の帰宅の瞬間を撮影した。

一時間後には、呆気なく寺崎母子も包囲していた大阪府警に逮捕されて誘拐事件は決着した。

寺崎親子は寺崎食品が倒産した事の逆恨みで村井課長の娘を誘拐したと報道された。

逮捕後もウィークジャーナルが必ず真実を報道してくれる事だけを信じている寺崎親子。

その為、誘拐は計画的に行ったと自供して、寺崎食品が倒産に追い込まれた原因は全てモーリスと担当者の村井課長だと主張した。

モーリスは大阪府警の事情聴取に、公正な取引の上で寺崎食品さんとお付き合いをさせて頂いていましたが、ご家族の病気等が重なって経営が行き詰まった結果で、モーリスにも多大な損害が発生したと説明した。

事実、寺崎食品の頒布会は途中で中止になり加入者には返金処理がされていた。

大阪府警は寺崎母子の被害妄想による誘拐事件として、起訴する方向で検討に入っていった。


ウィークジャーナルも誘拐事件の報道を優先にして、美沙は一躍有名人になり社長賞を貰える事になった。

「凄いわ!入社初年度に社長賞貰えた人は美沙が初めてよ!」

「私も誘拐事件が起るとは思わなかったわ!でも、寺崎親子を止めることができなかった。でも寺崎親子、拘置所の中で私の記事を心待ちにしていると思うと、心苦しいわ」

「私達は早く千歳製菓を救って、記事にしましょう!それがモーリスの悪事を暴く事になるわ。私は手が空いたので三木君と不動産屋の線に探りを入れるわ」

「私は父に今の状況を話して対策を考えます」

「まだ、お父さんに話していなかったの?」

「心配して先走られると、全てが水泡になるのでまだ何も話していません。でも今回の事件でもう隠しておくのは限界ですね」そう言って微笑む。


「美沙さん、記者として自信を持った様ね、それに益々綺麗になったわ」

小南の言葉を聞きながら、事務所を出て行く美沙の後ろ姿に見とれている三木。


事件のあった翌日の朝、京極常務は美沙の報道を見ていた。

「親父!凄いだろう?この女性!」勢い余って自宅で両親に言ってしまった。

「晃!知っているの?この女性記者?」貴代子が尋ねた。

「今度、食事の約束もしている!凄いだろう?時の人だよ!それに美人だろう?」

「えっ、お付き合いをしているのかい?」母も驚く。

「お付き合いって言うか、まあそれに近い関係だな!遊びではなく本気だよ」

「晃の本気はいつもの事だから、直ぐに他の女の子に目移りするからな」父京極社長が茶化す。

「親父!知的で美人でこれまでの女とは違うよ!」

「何処のお嬢さんなの?」

「多分名古屋かな?」

「ほら、まだ付き合いはしていない様だぞ!相手は有名になった美人だ!お前は相手にもされないよ!」

「今日辺り会社に電話がある!必ずある!」と自分に気合いを入れる晃。


昼休みに美沙は信紀と千歳製菓の近くのレストランで食事をしていた。

事件の話は既に自宅で話していたが、千歳製菓が今どの様な状況になっているのかを説明する為にわざわざ外で会ったのだ。

「あの親子の事件も分かる気がするな!恐い会社だな!」

「一応商品を製造して貰える目処は出来たのだけれど、京極社長をどの様に説得するかが難題なのよ!」

「息子に期待している様だが、似てない親子はいないからな!」

「取り敢えず、常務を会社に呼んで説得してみるわ!お父さんも何か解決策を考えて」いよいよ説得工作に動き出した美沙を信紀は心配になった。


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