(7)Bottom of the Dark

 彼女たちの攻防は続いている。一見戦況に変化はないように思われたが、目を凝らせば美月の手傷が増えていた。肩や胴に裂傷を負い、大半の触手が失われている。対するハヅチに負傷はない。このまま続けばどうなるか。いくら鈍くとも想像はできる。

「あいつを殺せばこんクソ仕事も終いや」

 彼は、煙と共に、言葉を浮かせた。

「ハヅチも、やっとミカのこと弔える」

 そうして、漂い、消えていくものを、ただ黙って見送った。

 その静寂にこちらを責める意図はなかったのだろう。だが居たたまれなさに胸が疼いた。同時に、相反するようではあるが、彼と哀しみを共有できるような気もした。その共感は、身勝手で、醜悪ですらあったのかも知れない。だが嘘ではなかった。

 波の音に、呟きが重なった。

「あんバケモンに恨みはない」

 感情を排した――少なくとも、そう努めようとする声だった。

「あいつは元々ああいう生きもんや。プログラムに従って同種を喰らっとるだけで、悪意がないことも理解しとる。あいつは生きるために人を狩って、オレらは生きるためにやつを狩る。それだけの関係や。ハヅチもミカを殺られはしたが……それで怒り狂っちゃあおるが、憎んどるわけやない、とオレは信じとる。せやけど、お前は別や」

 屈み、こちらに向かって無造作に腕を伸ばしてきた。

 指先には、吸いかけの煙草が握られている。

「あッ……ぐぁ……」

 折れた左腕に、熱が刺さった。

 香助は、歯を剥き、身を捩り、その反応が更なる激痛を腕に招く。

 地獄のような苦痛は、煙草が皮膚から離れるまで続いた。

 カトリは、煙草の屑を、香助の顔に投げつけた。

「今すぐにでもブッ殺してやりたい」

 今度は立ち上がり、左腕に靴底を押し当てる。叫びすら上げられないほどの痛みに襲われたが、それで終わりではなかった。折れた箇所に徐々に力が加えられていく。骨はさらに歪み、肉が裂け、気が狂いそうなほどの激痛に蝕まれても、踏み潰す力は緩まない。

 身悶え、反吐を溢す香助に、彼は冷然と言い放った。

「十人や。お前があんバケモンを野放しにしたせいで十人の人間が喰われて死んだ。死んだ命は戻って来ん。宿主の娘もそうや。もう助からん」

 カトリはすうっと脚を上げ、腕を一気に踏み抜いた。

 もはや痛みはなかった。脊髄に電流が奔り、全身が弓なりに仰け反った。痙攣する身体に、今度は爪先が突き刺さる。鳩尾に、胸骨に。

 癇癪を起したようにカトリは叫んだ。

「カノジョでもできたつもりやったんか!? あァ!?  宿主の娘は美人やもんなァ!? キッショい寄生虫相手によお……女の子を守る優しいボクとか妄想垂れてこいとったんか!? 頼んでヤらせて貰うたりでもしたんか!? おぅコラ!? 何とか言えやコラァッ!!」

 手加減のない蹴りが執拗に胴を抉る。

 何度も。何度も。動かなくなっても。

 やがて罵倒が止んだ頃には、荒い息だけが残った。

 カトリは、口許を拭った。

「クソ変態野郎が……! 殺せるもんなら百でも二百でもぶっ殺したいわ……ッ」

 煙草をさらに一本咥える。だが安物のライターは今度こそ役には立たなかった。カチカチと嘲るばかりの容器を地面へ叩きつけ、煙草を握り潰した。

「くそったれッ! ハヅチも何やっとんねん。さっさと仕舞いつけんかい……!」

 蹴りつけ、罵って、それで溜飲が下がったのだろう。香助のことはもう眼中にないようだった。意識は戦闘へ向けられている。

 ゆえに気が付かなかった。

 散々痛めつけられ、反吐を吐き、死体のように転がっている香助が、まだ完全に意識を失っていなかったことに。無事な右腕で石畳を掻き、僅かながらも這って動いていることに。そして、彼の求めているものがすぐ近くにあったことに。

 香助は、落ちていたリュックを引き寄せ、慎重にファスナーを開いた。中へ手を突っ込み、目当てのものを掴み取る。拾ったままの状態で保管していたから簡単な手順で使用できるはずだった。安全装置を外して、先端を相手に向けさえすれば。

「あ……?」

 彼は、ようやく気付いたようだった。

 口から、火のない煙草がぽろりと落ちる。

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