(6)信頼
「この玩具が、彼女の衣服が埋められていた場所から見つかった。一緒に埋められていたと言うよりは土中に紛れていたと言ったほうが正しいな。それだけ凝視してくれたら分かるかも知れないが、触手の部分に血痕がある。鑑定の結果、これもまた被害者のものと一致。危害を加えたときに付着したものと考えられる。……大丈夫かね? 少年。顏色が悪いようだが」
葛城の顏が直視できなかった。国見の顏も。三幸来の顏も。
目を逸らし続けていれば現実は過ぎ去ってくれるのか?
男の声は、そうではないと告げてくる。
「このフィギアは誰のものか? 当初は被害者の所持品と目されていたが近しい人間から聴き取っても彼女がカプセルトイに入れ込んでいた事実はない。自室にもそれらしきコレクションは一切置いていなかった。ならば誰が? まさか犯人の遺留物では? 我々はその線で持ち主の特定を進めた。指紋は検出されなかったから主に流通面での捜査だ。まあ、ぶっちゃけ虱潰しだよ。取り扱っている店舗の特定。防犯カメラから購入者の特定。聴き込み。在庫の照会。ネットオークションの落札履歴。犯人は土地鑑があるという想定から、足原・仲津に絞って捜査を始め、駄目なら範囲を広げていく算段だった。だがリリースが比較的最近で事件まで日が経っていなかったことが幸いしてね。結果、足原・仲津近辺でこの……アカチョウチンクラゲ? を引き当てた数人を特定。さらに紛失や譲渡の事実を洗い出し、最終的にこちらの八田三幸来くんに辿り着いた。星野香助くん」
葛城は、写真を摘まみ上げた。
「君が譲り受けたものだろう?」
釣られて顏を上げただけだが、丁度、突きつけられたような構図になる。
視界を覆う写真……そのフレームの外側に、こちらを射抜く眼光があった。
――犯人は必ず捕まえる。それだけは約束できる。
いつか聞かされた彼の声が、生々しく頭蓋に響いた。
葛城は、懐からメモ帳を取り出した。
「三幸来くんの証言によれば購入日は五月十四日の午前八時前。通学路の途中にあるコンビニエンスストアにて五百円で購入。君との合流後に開封したが、以前引き当てた商品と重複していたためその場で君に譲渡したと。そして君がこのストラップをバッグに飾っていた事実はクラスメイトを始め複数人の証言からも裏が取れている。あー、その日に転校してきた子がいたらしいね? 君がその転校生と、カプセルトイの話題で盛り上がっていたところを大勢の生徒が目撃しているし、覚えてもいた。週明けにはバッグから外していたという証言もあって……私自身それを確認している。土曜日の時点で君の荷物には何も付いていなかった。それを踏まえたうえでもう一度訊こう。このストラップは、君が落としたもので間違いないか?」
肺と心臓を鷲掴みにされる心地がした。
内臓を握り潰されてしまっては答えることなどできはしない。
追及は、返答を待たなかった。
「さて、この五月十四日が何の日か分かるかな? そう、宮下つぐみさんが失踪したとされる日だ。彼女はとある宗教団体の信者でね。十六時に定期集会の打ち合わせを終え、事務所を出たのを最後に消息を絶っている。事務所から母親の待つ自宅までは徒歩で凡そ十五分。誘拐犯が接触したのもその間ということになるだろう。帰路の途中には彼女の手提げバッグが落ちていて、佐野神社ともさほど離れていないことから、力づくで連れ去られ殺害ないし負傷させられた可能性が高いと我々は見ている。そして、奇しくも同日・同時刻に君も神社近辺で目撃されている。十六時過ぎには最寄りの駅の防犯カメラに映っているうえ住宅街を神社のほうへ歩いていく姿を見たという証言もある。君は、佐野神社を訪れ、猫に餌をやり、このストラップを彼女が危害を加えられた現場に落とした。それが、いつか? 少なくとも殺害前か、殺害と同時だ。犯人が遺体を移動させしまったあとではフィギアに血が飛び散ることなどあり得ないからね。つまり彼女が殺害されたとき君はその場にいたのではないかというのが我々の――」
「飛躍ですッ!」
遮ったのは三幸来だった。打ち据えられたテーブルの上で、グラスが慌ただしく波を立てる。彼女は、普段からは想像もできない勢いで叫び、腕を振るった。
「そもそも前提がおかしい! 今の話で分かるのは星野くんがストラップを失くしてしまったことだけ! 別の場所で落としたものが拾われただけかも知れないし……本当に星野くんが事件現場にそれを落としてしまっていたのだとしても、犯罪が起きたのはもっとずっとあとかも知れない!」
「その通りだよ、弁護士さん。完璧ではない。推理小説ではないのだ。完璧な推理などありはしない。だから今こうやって聴き取りをしているのだ。少年」
背を屈め、吐息がかかるほどに顏を寄せてくる。
「君が知っていることを話してくれないか」
「……星野くん、答えなくていい」
葛城は、囁くように続けた。
「あの日、君は自宅に帰っていない。御両親から伺っているよ。君は帰宅が遅くなることはあっても無断外泊をしたことは一度もなかったと。まあ、君も多感な時期だ。衝動に駆られ突発的な非行にはしることだってあるだろう。御両親との仲についても家庭の問題だ。介入はすまい。だが事実確認は必要だ。少年」
テーブルを指で二度小突いた。
「君はなぜ帰らなかった? あの日の夕方は雨だった。計画的な外泊ならまだしも野宿にはいかにも不適だ。そして君が計画的に宿を取った形跡はない。恐らく拝殿の屋根を借りたのだろう? 君が侵入を認めた、あのボロ屋だよ。しかし、なぜそんなことをしたんだ? 帰れば良かったじゃないか。多少雨に降られたとしても。駅で傘を買ったところで安いものだ。百足や蜘蛛と一緒に寝る必要なんてどこにもない。だが君は帰らなかった。いや、帰れなかった。何か事情があったのではないか? たとえば……そう、誘拐した宮下さんと一緒にいたとか?」
傷口を抉るように沈黙を挟んでから、ふっと口許を緩める。
「結論が性急だったかな? 君が殺人鬼などと決めつけるつもりはないよ。君ひとりでは土台無理な犯行だ。仲間がいると考えたほうが自然に思える。君は彼らに協力しているか、あるいは、協力させられているかだ。少なくとも……何かを見聞きしているはずだ。どうかそれを話してくれないか? 君が、見たものを、素直に、話してくれれば、それで良いんだ」
一言一句、耳へ吹き込んでくる。間近で注がれているはずのその声は、次第に遠ざかり、意味を失い、言語の形を成さなくなった。脳が理解を拒んでいる。認識を拒絶し、現実を拒絶し、閉じた頭蓋へ逃げ込もうとしている。どこにも逃げ場などないというのに。
(これで、終わりなのか?)
葛城の推測は間違っていない。事件を目撃したことも、拝殿で美月と過ごしたことも全て事実だ。細部に相違はあれども問題ではないだろう。彼は自分たちを追い込むと決めている。ならば、あとは時間をかけて齟齬を修正していくだけの作業だ。もはや、そんなフェーズへと移行してしまっているのだ。
海へ旅立つまで、あと少しだというのに。
(なのに、どうして黙ってる?)
先刻から彼女は、一言も発していない。折目正しく背筋を伸ばしたまま事の成り行きを静観している。その相貌に感情らしきものは見出せなかったが、元の人形に戻ってしまったかと言えば、それも違う。ただ冷静に、ただ落ち着いている。
しかし、なぜ? 俺が、無様に泣き喚くとは考えていないのだろうか? あらいざらいブチ撒けてしまうとは?
浮かんだ疑問は、そのまま答えに直結していた。
(……考えてないんだ)
考えていない。相棒が口を割るとは露ほども。
まだ事態を打開できると――俺が折れないと信じている。
身震いし、爪が喰い込むほど手を握りこんだ。
そして、ひとときでも忘れてしまっていたことを強く恥じた。
重ね、握り返した手の温もりを。
「何のことだかさっぱりですね」
滑り出た言葉は、自分でも驚くほど力強かった。
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