(4)若者のすべて
――そこからきたか。
図らずとも手が強張った。あるいは頬や肩も同じようになっていたのかも知れない。相手はプロだ。その動揺を見逃すはずがない。だが追及はなかった。美月が、平静に言葉を返す。
「さあ? 私にも何とも。ひとりで旅行へ行くのが好きな人ですから。今もどこかでインスピレーションがくるのを待っているのでしょう」
「悠々自適な印税暮らしか。羨ましいね。必死に働くのが馬鹿らしくなってくる。では、いつから出かけているのだね?」
「五月の初め頃だったと記憶しています」
「君は父子家庭だろう。それなのに行先を告げぬまま二か月も一人娘を放置しているのか? それは感心できない状況だな。同じく娘を持つ父親として全く感心できない。君は、それで大丈夫なのか?」
「ええ、特に困ったことは。食事もそれなりに摂れていますし」
「そうじゃない。正常な家庭の在り方なのかと訊いているのだ」
目を瞬かせる美月の前で、あからさまに呆れを表す。
「父親とは我が子の傍らにいるものだ。見守り、過ちを諭し、深く愛する。自活能力があるからと放置することを多様性と呼ぶのなら私は明確に否定させて貰うよ。父親とは、そんな酷薄なものであってはならない」
窘められた美月は、ほんの微かに目を伏せた。そこに自嘲めいたもの浮かんでいるように見えたのは錯覚だろうか。彼女はただ、乾いた声を返す。
「……かも知れませんね。けど」
ひじ掛けに預けていた左手を滑らせる。
そのまま、香助の手に、手を重ねた。
「私には香助くんがいてくれますから」
葛城は言葉に詰まったようだった。三幸来や、無表情を装っていた国見までもが無言のまま声を失っていたのかも知れない。香助は、ただ、触れられた肌に温もりを覚えていた。深く息を吸い、重ねられた手を握り返す。
葛城は、降参とばかりに両手を上げた。
「若人の青春に口を挟むつもりはない。ただ望ましい家庭環境だとは評価できないな。お父さんとはちゃんと連絡を取っているのかね?」
「ええ。もちろん」
「確認させて貰っても構わないかな」
誘うように手を差し出してくる。鍛錬の結晶とも、代償とも形容できる分厚い皮膚。見下ろす瞳は冷ややかだった。
「スマートフォンを見せろ、ということですか?」
「余計なものは見やしないよ。たとえば君と少年のプライベートなどはね。それとも見られたら恥ずかしい写真でもあるのかね?」
安い挑発に乗ったわけではないだろうが、彼女は僅かに沈黙を挟み、
「いえ」
スカートに手を伸ばした。スマートフォンの操作方法は既に熟知している。手早くロックを解除し、テーブルに置いた。
「どうぞ」
葛城は、筐体を台の中央に引き寄せた。手には取らずに画面を覗き、軽い調子で指を滑らせる。香助の位置からはメッセージアプリが立ち上がっていること、そして過去の記録へ遡っていることしか窺えなかった。周囲の視線や沈黙。そうしたものをまるで意に介さず葛城は黙々と文面を考査する。そして簡素なやり取りを読み解くには十分過ぎる時間を費やしてから「ふむ」と唸った。
「頻繁ではないが……連絡は取り合っているようだね。近況報告に、君の生活を気遣う言葉。現在の行先は愛媛、か」
「安心していただけましたか」
彼は「まさか」と苦く笑った。
「家庭として最低限機能していることが分かっただけだよ。まあ、余所さまのことだからこれ以上口は挟むまいが……不可解だな。君からのメッセージには返信するのに、なぜ他からの連絡は無視するのだ?」
「さあ。何か気に障ることでもあったのでは」
スマートフォンを仕舞う美月を横目に、香助は肩の力を抜いた。
無論、死人と会話ができるわけではない。偽装だ。死体の指を使って指紋認証を解除し、履歴を参考にやり取りを偽った。それは、どれだけ不在を怪しまれようとも家族とさえ連絡が取れていれば発覚を遅らせることができる、という子供騙しに過ぎなかった。裏を取られたら容易に見破られるだろうが、今この場においては有効に機能したようだ。
(どうせ疑われてるんだろうけど……)
国見が懸命にペンを走らせる隣で、葛城はグラスを手に取った。
「まあ、連絡が付かないものは仕方がない。速秋氏の依頼元がどれだけ混乱し、損害を被ったところで我々の知ったことではないしな。あとで君から一報を入れておいてくれたまえ」
悠長に一口含み、テーブルに下ろす。ことりと控えめな音が鳴った。
「本題に入ろう。我々が尋ねたいのは他でもない。足原・仲津を中心として頻発している行方不明事件についてだ」
三幸来が、スカートの裾を掴んだ。
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