(7)道の向こう側
「二人ともありがとう。今日は楽しかったー」
三幸来は、青信号を待ちながら屈託なく笑った。横断歩道の先には駅舎が見えた。門限には早い時刻だが彼女とはここでお別れだ。
美月は、微かに眉を下げた。
「こちらこそ。でも何だか申し訳ない気もしているわ。あなたを付き合わせてしまって」
「ぜんぜん! 私のほうこそごめんね。二人のお邪魔じゃなかったかな?」
「いいえ、とても勉強になったわ」
三幸来の手を両手で包んだ。
「また遊びに連れて行ってくれる?」
三幸来は、面食らったように瞬きをした。その大きな瞳が次第に輝きで満たされていく。溢れ出した感情に従い、彼女は「うん」と頷いた。
会話に区切りが付いたところで信号が青に切り替わった。三幸来は白線を渡りながら、いつもみたく大手を振った。
「じゃあね、沫波さん、星野くん! また学校で!」
「ええ、また学校で」
「八田さん、前見ないと危ないよー」
だいじょうぶー、と翻す姿は徐々に小さくなっていく。信号は再び点滅を始め、また元の色に切り替わった。血で染め上げたような真っ赤な色。
鉄の風が美月の制服をはためかせた。
「……どうだった? 今日の私は」
軽く肩を竦めた。
「及第点じゃないかな? 不自然なところはなかったよ」
美月はスカートの裾をぞんざいに摘まんだ。
「服を間違えたのは良くなかったのだろう?」
「言う程じゃないさ。指示を出さなかった俺も悪かった。それより葛城を睨んでたときのほうが肝を冷やしたな」
「肝を……何だ? そんなに奇妙な顔をしていたか?」
自らの頬に指を伸ばし、押し付けたりつねったりした。
「修正が必要だな」
香助は、ふっと笑った。
「今は大丈夫。こうして見ている分にも問題ないよ。君は普通の……まあ、かなり綺麗な女の子に見える」
「……ならば良いのだが」
憂色を帯びた双眸は駅舎のほうへ向いている。三幸来の姿は影もなく、代わりに一組の親子が見えた。父と娘。就学前ぐらいの年齢だろう。手を握る父親に向かって懸命に何かを話しかけている。父親は、その全てを笑顔で受け止めていた。映画を観たあとで感傷的になっていたのかも知れない。この世で一番尊いものを見ている気がした。
美月は、視界を閉ざした。
「例の件はどうなっている?」
「……ああ、いくつか目星を付けてある」
「近いのか?」
「近い場所が一箇所。やや近くない場所が三箇所。君の場合、死体の処分を気にする必要がないからね。ひと気のないだけの場所ならいくらでも。それよりそこへ運ぶまでのルートを考えたほうが良い。人の往来は勿論、防犯カメラも考慮に入れるべきだ」
「単独で生活している人間を襲えれば簡単なのだがな」
「それは理想だろうね。無職の独り暮らしで人付き合いのないタイプ。押し入って殺してしまえば移動させる手間が省ける。いなくなったところで事件にもならない。でも言っただろ? そんな人間は情報がないんだ。敢えて探し出すなんて足跡を残して回るようなものだよ。今は目撃されないことだけを考えるべきだ」
「拘るつもりはない。君の意見が正しいと認めたからこそ食事場の確保を依頼したのだ。まずは現地を案内してくれ。運搬ルートは追って考えるとしよう」
「マップ見る?」
スマートフォンを差し出したが一瞥もなかった。
「構わない。君を信用している」
香助はきょとりと瞬いた。彼女は、それ以上何も言うつもりはないようだった。
スマートフォンをポケットに突っ込み、口角を上げた。
「了解。案内いたしますよ、お嬢さま」
慇懃に一礼し、踵を返した。近場の食堂までは徒歩十五分。現場と周辺を見て回っても日暮れには十分間に合うだろう。そう算段を付けて数歩進んだところで、付いてくる足音がないことに気付いた。
「? どうしたの?」
美月は、まだ駅舎を眺めていた。道路で隔てられた向こう側を。
三幸来の姿はない。あの親子の姿もない。横断歩道は鉄の塊で轢き潰され、観望すらもままならない。行き場を失くした視線は空へと逃れたが、眩い光に眩むばかりで何も見えはしなかった。
やがて彼女は景色に背を向けた。
それはまるで何かを諦めるようだった。
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