(4)白昼夢

「どっちって言われても……」

 今、目の前には「どっちが可愛い?」などと小首を傾げる美月がいる。

 一階のショップに立ち寄ったのは目当ての商品があったからではなかった。だが、休日に友達と遊ぶのに制服を着てくる女子がいたら服を見に行こうという話にもなる。美月曰く「用途が異なることは理解していたが何が適切なのか見分けが付かなかった」らしい。ジャージやパジャマを着て来なかっただけとしたものだろうがテストとしては減点だ。

 尤も、当の三幸来は、戸惑いこそすれ怪しんだりはしなかった。「沫波さん、あんなのどう?」と近くの店舗へ手を引くと、無数の商品を前に立ち尽くす美月に対し、あれも似合うこれも似合うと服を薦め始めた。最初こそ着せ替え人形よろしくされるがままの美月だったが、次第に冷静さを取り戻してきたのか、何が良いものでどこが違うのかと興味のある素振りを見せ始めた。三幸来は益々面白がって陳列棚から商品を引っ張り出し、香助はひとり放置された。半時間経ち、さらに半時間経って、まだ終わらないのかと心がどこかへ旅立とうとしたところで冒頭のそれが投げかけられた。

「ねえ、香助くん? どっち?」

 一体何の真似だろう。二人で観た映画にもこんなシチュエーションは存在しなかった。彼女が独自で得た知識なのか、はたまた沫波美月の記憶の模倣か。渋面を作ってみせても引き下がる様子はなく、じっとこちらを見つめてくる。

「私はこっちが似合うと思うな~」

 三幸来が横槍を入れてきた。覗き込む先には白のトップスがあった。

「ほら、沫波さん髪が長いでしょ? コントラストがはっきりしたほうが綺麗に見えると思うんだよね。それにこの服ネックラインが広いから首元の印象も明るくなるよ」

 聞き齧ったような知識を披露し得意気に胸を張る。的を射ているのか外しているのか。香助は唸ることしかできなかったが可愛いと言うより大人っぽい……三幸来流に表現するなら『お姉さんっぽい』雰囲気になるだろうとは思った。片や美月が目を付けたワンピースは、涼しげな水色の生地で胸元や裾にフリルが飾られている。可愛さを基準に選ぶならこちらに軍配が上がるかも知れない。だがにしては少々あどけない気もする。

 そもそも素材が良いのだから何を着ても大抵は可愛いはずだ。

(……って、待て待て、そうじゃないだろ。可愛いかどうかって重要か?)

 重要ではないはずだ。外見はどうあれ寄生生物なのだから。必要なのは栄養と安全の確保であって可愛らしさをアピールすることではない。だとすれば飽くまで擬態のために訊いているのか。

(いや、それなら八田さんの言うことを聞いていれば良いだけだ。俺にまで意見を求める必要なんてない)

 では他に何かあるのか? 可愛い服を選ぶ理由が?

 額を拳で小突き、改めて美月の真意を探る。こちらを捉える瞳の奧に何か浮かんではいないだろうか? そう疑ってみたもののジャッジを迫ってくるばかりで拾えるものは何もなかった。

(まさか本当に……)

 本当に、答えを知りたがっているだけなのか?

 私にはどちらの服が似合うのかと、普通の女の子が尋ねるように?

 眉間に皺を刻みながら二枚の服を秤に架けた。白いトップスとワンピース。果たしてどちらが美月に似合うのか。唾を呑んだそのとき、彼女の瞳が微かに煌めいた。本人も意識して見たわけではなかったのかも知れない。視線の先――通路の突き当りに一組の母娘の姿があった。二人で買い物を楽しんでいるのだろう。両腕を目一杯広げる娘の体に母親が服を当てていた。その手にあったものは――……。

「……君には、こっちのほうが似合っていると思う」

 答えを指すと、母娘に注がれていた視線がゆっくりと引き返してくる。そのまま指先を追いかけ、やがて回答に辿り着いた。

 マネキンに飾られたワンピース。

 白い手が水色の生地を柔らかく撫でつけた。

「そうか。君は、こっちが可愛いのか」

 口許に微笑が浮かんでいた。

 歪さも、無機質さもない。屈託のない少女の微笑みが。

 これじゃあ、まるで、本当に。

「あ、でも沫波さん、こっちのも可愛いよ?」

「!? 見せて、八田さん」

 途端にトップスを押し付けられた。呆気に取られる香助を捨て置き、二人は陳列棚の一角を囲う。そしてまただのだのと不毛な議論に興じ始めた。香助は、暫しその場で立ち尽くしていたが、後ろから客が来たので道を譲った。ううむと唸り、渡された服を陳列棚に戻した。

(どう見ても楽しんでるよな。買い物)

 擬態ではない。素の反応だ。

 これは一体どう捉えるべきなのだろう?

 まさか寄生生物の本能にショッピングなどというものが備わっているわけでもあるまい。

(宿主の……沫波美月の影響を受けてるってことなのか?)

 あり得ない話ではないように思えた。彼女の脳を乗っ取っているのだから。

 あるいは知性を得たことで娯楽を楽しむが生まれたとも考えられる。カラスやクジラなど知能の高い動物が実益のない『遊び』に興じることはよく知られている。人間と同等の知能を獲得した生物が『遊び』に興味を抱かないほうが、寧ろおかしいのかも知れない。

 しかし重要なのはメカニズムではなかった。学者ではない香助にとって仕組みは重要ではない。重要なのは注視すべきかどうか。寄生生物としての行動に何らかの支障が生じるかどうか――。

「香助」

 気付けば目の前に本人がいた。何度か呼びかけられていたのだろうか。やや怪訝な貌をしていた。その自然な反応に感慨を覚えながら、香助はごめんと口許を緩めた。

「考え事してた。何?」

「この服を試着しようと思ってな」

 右腕に服を提げていた。スカートだろう。香助が薦めたものとは別の商品だった。それは構わないのだが断りを入れてくる理由が分からなかった。

 美月は、真面目腐った顔で続けた。

「君も試着室に来るか?」

「いや、女子の試着に男子は入れないんだよ」

「む、恥の概念だな」

 胸を両手で隠す姿に苦笑を返す。外で待っていると告げると、頷き、三幸来の元へ引き返していった。連れ立って歩く二人を見送りながら、香助はふと、奇妙な感覚に囚われていた。既視感……こんな光景をどこかで見たような気がしたのだ。美月が誰かと一緒に歩いていく。友達や姉妹がそうするように。穏やかに、楽しそうに。

(……ああ、そうだ。確か、彼女の死体を処分したときに……)

 夢を見ているようだった。とろとろとした微睡みの心地良さ。それに意識を委ねているうちに二人の姿は見えなくなった。景色が次第に喧噪で満たされていく。

 夢はいつの間にか覚めていた。

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