(3)二人の放課後
それから一週間、二人は沫波家で『特訓』を重ねた。特訓と言っても寄生生物が宿主を効率的に操作するためのノウハウなどあるはずもない。思い付くことを試すほかなく、まずは例示した映画……比較的リアリティのあるヒューマンドラマや恋愛物を鑑賞することにした。美月は、事前に映画の概念こそダウンロードしていたものの作品を鑑賞した経験は勿論ない。一緒にソファに腰かけながら大層興味深そうにしていた。「この女は間もなく病で死ぬのだろう? 繁殖もできないのに恋仲になるのか?」「バカな。その脆弱な体で病院を抜け出すとは」「キスだ。香助、キスをしたぞ」「御託は良い。さっさと交尾をしろ」 彼女自身それを使命に掲げているからだろうか。ストーリーより繁殖にまつわるシーン……平たく言えば性行為や出産に関する要素に興味を惹かれているようだった。尤も一般的な映画――二人は洋画ではなく邦画を観ていた――では、そこまで露骨な描写はない。いよいよというところで場面が飛ぶと何故カットされているのかと訝しんでいた。
「沫波美月の記憶にも性行為に関するものはないのだ。知識としてないわけではないが本人が経験していないからだろう。どうにも漠然としている」
さらりとプライバシーを暴露されてしまった沫波美月に同情しつつ、それはそういうものなのだと説明すると「恥の概念だな」と勝手に納得していた。
そもそも目的は飽くまで擬態の練習だ。鑑賞後、適当なシーンを見繕って俳優の喜怒哀楽を模倣させることにした。美月の学習能力は高く、表情や声音を真似ることにさして時間はかからなかった。問題は咄嗟の反応ができるかどうか。そして沫波美月本人のそれとかけ離れないことだった。演技を見本にするのだから、そのままではどうしても大袈裟になってしまう。笑うときは控えめに。仕草や喋り方も芝居がからぬよう微調整は必須だった。
また、意識的に表情を取り繕えたとしても状況に応じて使い分けられなければ意味がない。嬉しいときには嬉しい貌が、哀しいときには哀しい貌ができなければ用を成さないのだ。ここでもフィクションは有用だった。多様なシチュエーションを確認するのに映画ほど参考になるものはない。なぜヒロインは穏やかに話をしているのか。なぜ主人公は怒りに打ち震えているのか。香助は、登場人物のやり取りを示しながら、状況に応じた適切な表情、自然な反応をつぶさに解説した。
美月は勤勉だった。否、元より怠慢とは縁遠い性格をしている。不明瞭な点があれば突き詰め、不足を補うための反復を厭わなかった。人形染みていた相貌は、日を経るごとに感情で彩られ、週末を迎える頃には不自然でない程度に沫波美月を演じられるようになっていた。
「どう? これなら八田三幸来を騙し切ることも不可能ではないでしょう?」
美月は、薄く笑みを浮かべながら胸元に手を当てた。
「一番騙しやすい相手を選んだんだよ」
そう軽口で返すと「そういうことにしておいてやろう」と黒髪を掻き上げた。
香助は、花が開くような感慨を覚えていた。
『美月と遊びに行くって話、今度の日曜とかどうかな?』
そう三幸来に打診したのは金曜の夜だった。余程嬉しかったのか、スマートフォンの通知音が立て続けに鳴った。「何着てったら良い?」だの「お昼はどこで食べる?」だの矢継ぎ早に送られてくるメッセージを適当にあしらい、日曜にショッピングモールへ行くのはどうだろうと持ちかけた。間を置かず『OKです!』と敬礼するカラスのスタンプが送られてくる。香助は苦笑し「じゃあ集合場所は」とキーを押した。
そして……。
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