(2)ピュートーン
「街へ出たい」
放課後、階段の踊り場で呼び止められたのは死体を処理した二日後だった。
居残っている生徒も、部活に意気込んでいる生徒も大勢いる。聞き耳を立てられても面白くないので一階の空き教室を使おうとしたら当たり前だが施錠されていた。仕方なく引き戸を背にして腕を組む。左右に目を這わせ廊下に誰の姿もないことを念入りに確かめた。
人間を狩るのは二週間後以降だったはず。加えて街は人通りも多い。狩場としては相応しくないのではないか?
美月は、抑揚のない声で答えた。
「だからこそ良いのだ。人が多いからこそ良い。練習になる」
「練習? 何の練習?」
訊き返したが返事はない。回線が途切れたような沈黙を寄越し、そして、
「にこぉ」
「だから怖いって」
「それだ」
再び真顔に戻る。どうにも掴めないでいると彼女は窓硝子越しに中庭を覗いた。人形めいた虚像の上を女生徒たちが横切っていく。何か冗談を言い合いっているのか、楽しそうに肩を揺らしていた。青春の一幕を見送ってから続きを口にする。
「私の擬態は精度が低いのだ。使い分けられる表情も乏しい。この程度の擬態しかできないのでは、いくら言動を取り繕ったところで容易に見抜かれてしまう」
「沫波美月は元々表情豊かな人間じゃあなかったみたいだけど?」
「運良くそこに助けられていた面もあったのだ。だが不充分であることは明白。私は擬態の技術を向上させる必要がある」
「それで街へ出向いて訓練を?」
「理に適っているだろう?」
目で同意を求めてくる。
「この場所も人間は多い。だが日常的な活動の場で不自然な挙動はなるだけ避けたい」
「成る程」
やりたいことは分かった。確かに美月は表情のバリエーションが少ない。少ないどころか皆無と言っても良い。情緒は備わっているようだが表情や仕草にフィードバックする機能が働いていないのだ。快や不快に眉一つ動かさない。頭も抱えず棒立ちのまま。笑みを作るのは口周りだけ。出来の悪いロボットを眺めている感覚に近い。
一方、素地があるのだから訓練で上達することも確かなのだろう。
(……諌武未花の件もあるしな)
諫武未花。美月の……寄生生物の排除に現れた少女。敢えなく美月に返り討ちにされたが行方不明にはなっていない。理由こそ伏せられているものの休学扱いになっている。死んでからまだ三日しか経っていないので警察の発表が遅れているだけという可能性はある。しかし学校側に動揺や慌ただしさが見受けられない点からも犯罪被害に遭ったとは認識されていないのではないかと香助は見ている。
恐らく隠蔽されているのだ。彼女を社会的な死者・行方不明者として扱いたくない連中が裏にいる。それは諫武の『任務』が秘密裏に遂行されていたものであり、引いては寄生生物の存在が秘匿されるべきものであることを意味している。諫武が失敗したからと言って簡単に引き下がるとは考えにくい。
だが焦る必要はなかった。諫武に仲間がいたとしても誰が宿主であるかまでは把握していない。諫武が沫波美月の名前を知らなかったからだ。香助の口からその名を聞いたあと誰に伝えることなく命を落とした。連中はただ駒だけを失った。相手がふりだしに戻っている隙に対策を打てば、再び探りを入れられたとしても直ちに不利になることはないはずだ。
「でも街へ出向くのは早いんじゃないかな。と言うよりあんまり意味がない」
「なぜだ?」
「人が多いところへ出かけたってそんなに喋る機会はないからだよ。今の君程度の表現力でも充分一日やり過ごせる。表情の観察はできるかも知れないけど、それなら他にいくらでも方法はある」
「たとえば?」
「映画を観るとか」
「えいが? えいがとは何だ?」
そう疑問符を浮かべたまま動かなくなった。検索モードに移行したのだろう。どの程度の時間で記憶から知識を引き出せるものなのか。興味は尽きないところであるが後にして貰おう。近寄り、ぽんと肩を叩いた。無防備な体がびくりと強張る。彼女は――何となく雰囲気で察せられるという程度ではあったが――微かに驚いた様子を見せた。
やはり素地はあるようだ。
「焦る必要はないさ。街へ出るのは充分な訓練を積んでからで良い。どうせなら俺以外の誰かがいるような状況で試したほうが成果も……」
「なになに? デートの話?」
「おわッ!?」
突然、声が割り込んできたので香助は飛び上がった。対して平然とする美月の隣……窓枠の外から、ひょっこりと覗く顏がある。人懐っこい笑顔で、胸元の手を小さく振ってきた。
「八田さん!?」
その女子生徒……八田三幸来は、えへへとはにかみ、ポニーテールを傾けた。
「どもども。この間はごめんね。二人に迷惑かけちゃって」
「いや、それは別に……」
良いんだけど、と彼女の後方へ目を向ける。もうひとり、眼鏡をかけた三つ編みの女子が遠巻きにこちらを窺っていた。確か三幸来と同じ生物部員だ。
「……今から部活?」
「うん、そうだよ。今日はピューちゃんのお部屋を掃除するの」
「? なに? ハムスター?」
「ううん、アオダイショウ」
へえと頬を引き攣らせていると「アオダイショウとは何だ?」と素朴な疑問が飛んでくる。ひとまずは聞き流して三つ編みを見やった。寄り道をする友人を待っているだけで何かを不審がる様子はない。三幸来にしても同じだ。
(聞かれちゃいない、か)
擬態だの、人間を狩るだのという話は、流石に言い訳に苦労する。
ほっと息を吐いてから、不意に馬鹿らしくなった。三幸来の瞳には猜疑心の欠片もない。在るのは子供のようなあどけなさだけ。あるいは犬だろうか。人間を疑うことなく、いつも期待に満ちた目で尻尾を振ってくる。
塩梅としては丁度良い相手かも知れない。
「……この娘と一緒に出かけるのがゴールってことでどう?」
「成る程、承知した」
「え? なになに? 何の話?」
三幸来のポニーテールは今にもぶんぶんと振れそうだった。
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