(3)失踪事件

 手帳と男を見比べた。警部補というシンプルな肩書きの下に葛城慶一郎と記されている。貼付された顔写真は眼前の男と同じもの。片面には県警察に属していることを示す鈍い金色のエンブレムがあった。

 葛城慶一郎。刑事。警察官。失踪事件の捜査。

 美月に報せなければ!

 振り返りたい衝動を、辛うじて抑え込んだ。

 自分が事件に関わっていることを、こんな早く掴んでいるはずはない。

(ただの偶然だ)

 やり過ごしてしまえば問題ない。

 動揺を悟らせまいと、軽薄な貌を繕った。

「け……刑事さんが、こんな神社に何の用ですか?」

 相手は、手帳を内ポケットに仕舞いながら、ははと笑った。

「刑事とて神頼みをしたくなるときはあるのさ。仕事が捗らないときは特にね。ああ、もしや君が御祭神だったりしないかな? それならば死者と交信する力があっても納得だが」

 頭から爪先まで矯めつ眇めつ眺めてくる。言うまでもなくポーズだろう。相手の背格好を確かめるぐらい目を動かせば十分だ。つまり言外にこう宣言しているのだ。今から君を探らせて貰うが構わないな、と。

 推察通りのことを葛城は口にした。

「そのズボンの柄は……足原高校? 土曜日だけど授業があったのかな?」

「部活です。朝のうちに行ってて」

「運動部?」

「生物部です。飼育している動物の餌やりに」

「なるほど。では、ここに来たのも部活動の一環かな? 野鳥観察とか?」

「いえ。でも猫の世話をしているのは本当です。今日は餌は持ってきてないんですけど……。すみません。面倒臭くて適当言いました。まさか死んでいるなんて」

「心中察するよ。では、いつも猫の世話に来ているわけだね」

「そうです」

「毎日、一人で?」

「ええ、そうです」

「学校からはどうやって? ここからは少し離れているね」

「電車です。駅からは徒歩で」

「なるほど」

 葛城は、一応は納得の表情を浮かべてみせる。露骨に不審がる様子はないが、何を気取られるか分からない怖さがある。動揺すまいと意識していると彼は再び懐に手を入れた。

「では、この顏に見覚えはないかな」

 次に出してきたのは煙草でも警察手帳でもなかった。写真だ。覇気のない女性が真正面からこちらを睨め付けている。見覚えはない。だが誰であるかは一目で分かった。

 ふと見やると男の顏から笑みが消えていた。正確には、目の奧だけが笑っていなかった。御覧じろとばかりに写真を差し出してくる。

「ご近所付き合いという風習はもはや過去のものだが、一人の人間が誰とも交わらずに生きていくことは、それでもやはり難しい。ホームレスですら人間関係というものは在るのだ。それが二十三歳のフリーターとなれば猶のこと。バイト先があり、友人があり、実家に帰れば両親がいる。大抵そのいずれかから連絡が入る。一週間ほど前からこの女性と連絡が取れない。何か心当たりは?」

 来た。やはりこっちが本題だ。葛城は行方不明事件の捜査をしている。周辺で聞き込みを行っているのだ。どうやら偶々見つけた学生に話を聞いてみようという魂胆らしい。だったら過剰に意識するのは却って良くない。疑われているわけではないのなら。

(けど……)

 足元のバッグだけが気がかりだった。中身を検められると全てが終わる。今のところ関心は引いていないようだが、いつ興味を持たれるかも分からない。相手も何百人と聞き込みをしなければならないのだから、手荷物検査など逐一やっていられないはずだが……。

 葛城は話を進めた。

「彼女は日常的に仲津駅を利用していた。最後に姿が確認されたのも駅の構内だ。知っていることがあれば教えて欲しい」

 香助は、改めて写真に目をやった。最初の行方不明者は会社員と報道されていた。アルバイトなら二人目だ。頭部を破壊されていたのが三人目。諫武未花が四人目で、沫波美月の父親がそのどこかに入る。

 五人。改めて並べると途轍もない数字だ。うちが四人家族だから一家丸ごと消滅して猶足りない計算になる。今後もこの数はさらに増え続けるだろう。

 葛城が踏む石畳。そこも諫武の血でべったりと汚れていた。溢れ出した液体は、石畳の溝を這い、境内を真っ赤に染め上げ、香助を足元から侵食していく……。

 空想を、振り払った。

「……いえ、知りませんね。見たことない人です」

「本当に? よく思い出して欲しいのだが」

「すれ違ったことぐらいあるかも知れませんけど……すみません」

 嘘ではない。すれ違ったことぐらいはあるかも知れない。

「では、こちらの女性は?」

 別の写真が示される。恐らく免許証用の顏写真を流用しているのだろう。眼鏡をかけた女性が、やはり正面からこちらを見ている。見覚えがあった。

「先月に行方が分からなくなった人ですよね。確かニュースで」

「ああ、彼女も同じ駅を利用していたようだ」

「そうですか。でも、すみません。覚えてないです」

「どんな些細なことでも構わない。手がかりが欲しいのだ」

 葛城もまた真正面から見据えてくる。圧の強い男だと辟易したが、違うだろう。こちらの反応を窺っているのだ。凝視されれば動揺する。動揺すれば綻びが生まれる。綻びからは嘘が溢れ出してくる。それを捉えようとしている。

 意識した途端、自然に振る舞えているのか自信がなくなってきた。努めて小市民的な態度――つまり聞き込みという特殊な状況に戸惑っている――を装っているつもりだが客観視は難しい。相手からは不自然に映っているかも知れない。

 煩悶を理性で観察し、問題ないと信じることにした。

「……すみません。特には」

 沈黙が落ちた。残響が石畳へと吸い込まれていく。その静寂は、香助にある事実を思い出せた。つまりはここが神域であることを。鳥居も、木々も、草の匂いも、全てが清らさを孕んでいる。審判を待つ心地で唇を結んでいると、葛城が「そうか」と引き下がった。写真を懐に仕舞い苦笑した。

「君は本当に知らないらしい。お休みのところすまなかった。また何か思い出すことがあったら最寄りの警察署に連絡をくれたまえ」

「お役に立てず申し訳ありません」

「構わないよ。ところで拝殿の中に誰かいるだろう?」

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