舌足らず
まるで凹んだ車体を内側から叩いて戻したように、元の形を取り戻している腰に安堵の息が漏れた。ただ、直ぐに気付くのである。握り込もうとした足の指が、全くもって反応しない。太腿から足先にかけて、感触を覚えない下半身はまさにマネキンめいた。
「っ……」
声にもならない吐息が口の端から抜けて、頭の上で星が回り出しそうな酷い目眩に襲われた。受け入れ難い事実の連続に僕は、事故の原因となった運転手を空目して、筆舌を尽くして罵倒する他なかった。が、この身体にそのような力は蓄えられておらず、病床に伏せって、時間が刻々と過ぎていくのを待ち続けた。
どれくらい長く、眠っていたのかは分からない。しかし、病室に入ってきた看護師の反応を窺うに、それなりの時間が経っていることは察せられた。身体の状態を明言しないまま諸々の事情をつらつらと説明されたが、右から左へ筒抜けていき、ほとんど頭に残らなかった。薄ぼんやりとした頭の中でハッキリしているのは、事故に遭った際の衝撃と、命には関わらないと直感的に確信し、冷静な判断を下したことだ。そしてその過程は、つぶさに語らずとも下半身の事情を説明するだけで、事足りるだろう。
暫くして、乱れた髪と胸を激しく浮き沈みさせる両親が病室に飛び込んでくる。今まで見せたことのない泣き顔を晒して僕を抱き寄せた。知らぬ間に張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れ、どこか客観的に捉えていた身持ちが卑近なものとして真に迫り、いくつもの筋が頬を伝って下りた。溢れ出して止まらない感情の波にひとしきり振り回されていると、面会の規定に従って、名残惜しさをそのままに両親は病室を出て行く。
不規則であった生活のリズムは、病院の稼働時間に合わせて整えられて、すっかり真人間と呼んで相応しいものになった。その間、下半身のことは頑なに触れられることはなく、両親でさえ何も言わなかった。恐らく、僕の心情を慮って、結論を先延ばしにすることでなるべく心身に負担をかけまいとしているのだろう。僕からすれば既に答えは出ていて、今後の人生がどのように進んでいくかを想像し、絶望に近い落胆を味わっていた。
僕は人と積極的に関わろうとする人間ではなかった。只、数少ない友人とは良好な関係を築いてきたし、僕にとって家族の次に腹を割って話せる貴重な存在である。だからこそ、見舞いに病室を訪ねてきた中村の姿を見て心の底から喜んだ。だが、病室のドアを開いて踏み入る足に躊躇が見て取れ、露呈する動揺は僕の状態に対してどのような声を掛けるべきか迷っているようだ。
「やあ、中村。元気か?」
互いの立場を入れ替えたかのように気軽な挨拶をすれば、中村は苦笑混じりに返す。
「俺はボチボチかな」
下手にいつもの調子を演じようとした結果、意識は散漫的になり、丸椅子を引っ張り出そうとした中村の指は、みごとに掴み損ねる。伽藍とした病室に派手な音が落ちれば、皿を割ったかのような焦り具合で直下に詫びた。
「ごめん!」
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