信頼への一歩目

 底冷えに曇っていたアイの顔はそぞろに上向き、陽光を浴びて温もりを取り戻す。腹拵えをするつもりで外出したつもりが、青空教室まがいの自己探求に至り、図らずも差し当たった苦難が解かれた。そして、昼食に舌鼓を打つ食事処の扉を開くと、通い慣れた常連客の注文方法をアイはする。


「いつもの!」


 偶さか他の客の注文を取っていたウェイトレスに託けた声掛けに合わせて、アイは空いている席を自ら選び座った。


「今日はどうしましょうね? また見て回るだけ?」


 口内で糸を引きそうな先刻の湿度の高い弁舌から打って変わって、カラッとした語気で俺達はやりとりをする。


「いや、町へはもう行かなくていい。アイ、そうだろう?」


 俺がそう言うと、アイは顔を凍らせた。それは、難産を意味する長物たる吟味であり、終尾に身の処し方を判断し、新たな道筋を産み落とす比類ない瞬間が待っている。よく注視するといい。強張った表情が徐に紐解かれ、誰も寄せ付けない張り詰めた空気は弛緩し出す。決断を下す前の最後の一押しにアイは息を吸って吐く。


「分かりました。貴方に従います」


 恭しくテーブルの上に両手を揃え、アイはバエルの前で見せるべき侍従的姿勢を象った。俺はそれを素直に受け止め、運ばれてきた料理を食するようにアイを促した。


「ご馳走様でした」


 疎かにしてきた食事の作法を今更になって慣例とする天邪鬼な一面は、流転した環境に順応する前の地均しだろう。異世界の住民として身も心も移り変われば、以前の身の振り方は全て剥落し、「中村春人」という名前もいずれ消え去る。


「それじゃあ、戻ろうか」


 バエルの配下であるアイとの関係を貴賎なしに語る訳にはいかないが、付かず離れずの曖昧とした仲にあった。だが今し方、それらは覆り、俺の言うことをアイは軽々に従い、顕示的な振る舞いをしても毛ほどの抵抗を覚えないまま、首を縦に振るだろう。


「はい」


 雨風に晒されながら歩いていたかのような歩調は霧散し、頭上に広がる青空に相応しい軽やかな足運びで城にとんぼ返りする。たった一度の往来でこれほどの画然たる差異を生めば、早々に城へ着き、俺は真っ先にバエルの部屋へ向かう。


「コンコン」


 バエルが部屋に居ることを前提にした段取りは、自分の都合ばかりを追った手前勝手な発想だったが、恙無く返事は返ってくるものだから、反省の仕様がない。


「どうぞ」


 アイを連れて入室すると、俺の真意を一目で見抜いたかのようにバエルは仔細顔をし、ジッと互いの踏み込みを探り合った。もはや答えは、それぞれに持っていると推して知るべき状態にあったものの、俺から話し出すのが適当だろう。


「村の問題は解決しました。この通り」


 俺はアイを自分の前に引っ張り出して、背中を押した。手持ち無沙汰を隠すように両手を背中に組み、落ちかない様子を窺わせるアイは、君子たるバエルの前でどうにか立派であろうと胸を張って仁王立つ。


「さすがだね。レラジェ、君はやはり素晴らしいよ」

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