その告白は、重く

「わたし、実の親を知らないんです」


 食事処に向かう道中で、アイが脈略なく告白を始めた。困惑に顔の筋肉が痙攣し、上手く表情を拵えるのに苦心する。どうしてこのような自罰的な話を始めたのかを、下記に続く言葉を通してその意図を咀嚼した。


「物心がついて間もなくして、道端に捨てられて、行き場のないわたしを一人の男が拾いました」


 行き倒れた人間のもとへ直ぐに駆け寄り、施しを与えようとしたのは、似た境遇にある存在を見て見ぬふりを出来なかったからか。


「それから、地獄はそれから始まりました」


 影を知らない大通りでアイだけは顔に暗がりを貼り付け、その案配が如何に悪意に満ち、傾聴すれば悪食めいた酷い読後感に苛まれることは、火を見るよりも明らかであった。だからといって、アイの口を塞いで露悪的な吐露を止めるような堂々たる処世術は備わっていない。つまり俺は、ししおどしのように相槌を打って滞りなく話し終えるのを待つ他なかった。


「奴隷の印として熱した火搔き棒を股座に押し当てられ、生涯付き合っていく火傷を負いました」


 聞いているだけで辟易とする劣悪な環境を口上し、晴れやかな空模様と相反する花曇りの顔色が二つ並ぶ。


「毎夜毎夜、男はわたしに語りかけました。『まだ大丈夫。まだ大丈夫』と、繰り返す男の肩越しに天井を薄ぼんやりと眺めていたことが今でも鮮明に思い出されます」


 遠い目をするアイの瞳に、過ぎ去った忌まわしい記憶がこべり付き、光の届かぬ仄暗さは傍らでも分かった。


「お酒を浴びるように飲んでいた男は、とある日の朝、酒気を口から溢れさせ床へ倒れました。子どもながらに、わたしは男が倒れた理由を肌で理解していたし、起き上がることはないと、頭の片隅にありました。それでも、明くる日も明くる日も、身じろぎ一つしない男の家で僅かにあった蓄えを口にしつつ、そこから離れようとしなかった」


 眉間や目尻、口端などに深い筋が入り、喜怒哀楽のどれにも当てはまらない、複雑怪奇な表情が浮かび上がる。それでもアイは滔々と口を動かし、過去の記憶を引っ張り出し続ける。


「そのうち男の身体から、黒い液体が染み出して、腐臭と思しき臭いを嗅ぎました。そうしてやっと、男のもとから離れました。わたしが自発的に選んだ訳ではありません。離れざるを得なかったからです」


 往々にして人格を形成するのは環境だ。その環境が良かれ悪しかれ、人は影響を受けて育っていき、適応していく。全く異なった世界を二つ経験したことにより、俺はそれを身をもって知った。


「これって何ですか。わたしは男のことを愛していたのでしょうか」


 醜悪な男の趣味に付き合ったアイは、きっとこの世を底なしに恨み、いつか殺してやろうと思っていたはずだ。しかし、男が不慮の死を遂げたにも関わらず、その場から離れ難く、「臭い」という環境の変化によって、漸くアイは逃げ出せた。それは俺にとって、理解し難い感情の変化ではない。


「考える間もなく隣に居て、もし気持ちが傾いていたなら、天秤のように釣り合いを取ろうとする。愛とは重さだよ」


「重さ……」

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