第36話 少しの違和感

「体は大丈夫そうですか?」

「手先や足先は痛みますが、血が流れ始めた証拠でしょうね」


 上体を起こしたマルベリーさんに、ジンジャーの香りがするハーブティーを手渡す。


 ルクスさんは、「女性二人の方が話しやすいだろうから」と気を遣って出ていってしまったので、今は部屋に二人きりだ。


 彼女はティーカップに口づけると、ふぅっと息を吐くように呟いた。


「温かい……」


 落ち着いた、穏やかな表情に私は安堵する。


 腫れていた手先や足先の状態に気をつける必要はありそうだが、ひとまず一命を取り留めたと考えて問題ないだろう。


「あの。マルベリーさんは、どうしてこんなところで倒れていたんですか?」

「……王都に向かう予定で南の方から来たのですが、ここまで冷え込むとは思っていなくて。私の準備不足が原因です」


 オリンズさんと同じ理由だ。

 もしかしたら今日――正確には昨日は、急な積雪と気温の変化に悩まされた人が、たくさんいたのかもしれない。


「王都にはお一人で?」

「はい。お恥ずかしながら、駆け落ちのようなもので。王都に恋人がいるんです」


 マルベリーさんは前髪を耳にかけ、窓の方を見て言う。


 丁寧な口調と相まって大人っぽく見えるけれど、恐らく彼女は十代後半から二十代前半くらいだろう。


 家出少年の次は、駆け落ち少女か……。


 もしかしたら『ハーブカフェ 木漏れ日の庭』には、訳あり人を吸い寄せる引力が働いているのかもしれない。


「カップ、預かりますね」

「何から何まですみません」

「私も半年前、溺れたところをルクスさんに助けてもらった身なので一緒ですよ」

「ルクス……」

「先ほどの男性です。魔法でマルベリーさんを温めてくれていたんです」


 空になったティーカップを受け取ると、まだほんのりジンジャーとルイボスの香りが残っていた。


「お腹は空いていませんか?」

「今はそれよりも、体が温まって少し眠りたいという感じです」


 マルベリーさんは遠慮がちに言う。


 意識が戻ったといっても、体は回復しきっていないだろう。


 一人でゆっくり休みたいかと思い、私はティーカップを下げるついでに部屋を出ることにした。


「私はもう一つの部屋にいるので、何かあったら呼んでください」




◇◇◇




「彼女は大丈夫そう?」


 ルクスさんは眠らずに、本を読んで待ってくれていたらしい。


「はい。眠りたいとのことだったので、一人の方が落ち着くかと思って出てきました。それでなんですけど……」


 マルベリーさんには「もう一つの部屋にいる」と伝えておきながら、許可を取るのはこれからだ。


 私が言葉を詰まらせていると、すべてを察したルクスさんはシーツをぽんぽん叩いて呼んでくれる。


「おいで」

「ありがとうございます」


 私はドキドキしながらベッドにお邪魔する。

 こういう時、エリックがいてくれたら緊張が和らぐのになと思う。


「ルクスさんは体調、大丈夫ですか?」

「平気。繊細なコントロールは、集中力が続かないだけだから」


 ルクスさんはベッド脇のキャビネットに本を戻すと、部屋の灯りを消して横たわる。


 私もそっと、隣に寝転んだ。


「彼女から、倒れていた経緯いきさつは聞いた?」

「はい。王都にいる恋人のところへ行くため、家を飛び出してきたそうです。倒れたのは寒さが原因と言っていました」

「そうか……」


 ルクスさんは歯切れの悪い返事をする。


 背を向けていた私は寝返りを打ち、「何か気になることがありましたか?」と尋ねた。


「何だろう。何か引っ掛かるというか……名前も、本名ではなさそうだし」

「そういえば、質問してから答えるまでに少し間がありましたね」


 名前を聞かれた時以外も、少し考えごとをしてから返事をしていた印象だ。


 もしかしたら、本当のことを話せない事情でもあったのだろうか。


「男の僕を警戒してるのかなと思ったけど、そういうわけでもないか。悪意はなさそうだから、大丈夫だと思うけど」

「悪意の有無が分かるんですか?」


 天井に向かって喋っていたルクスさんが、急にこちらを向いたので、私は慌てて目を逸らす。


「騎士団で色んな人と接していると、なんとなくね。プロなら違和感を抱かれないように普通を装うだろうし、彼女の場合は僕たちが信用に足る人間か、見定めている感じかな」

「目覚めて見知らぬ人に囲まれていたら、警戒するのも当然ですね」


 私がそう言うと、ルクスさんはくすくす笑った。


「スズは目覚めてすぐ、飛び出していこうとしてたよね」

「それだけ気が動転してたんです!」


 ルクスさんが半裸で私を抱きしめていなかったら、もう少し冷静でいられたと思う。


「何か、マルベリーさんの力になってあげられるといいんですけど……」


 彼女が助けを求めない限りは、どうすることもできない。

 

「そのことは明日考えよう」

「えっ?」


 ルクスさんは私の方を向いて両手を伸ばし、ハグのポーズをとる。


「今夜は冷えるから」

「そうですけど……」


 私が躊躇っていると、ルクスさんは冗談めかして言う。


「魔法の使いすぎで疲れたから、癒されたいなぁ〜」

「平気って言ってませんでしたか」


 ルクスさんは「そうだっけ?」と悪戯っぽく笑うだけで、手を引っ込めるつもりはないらしい。


 私は観念し、彼の腕の中に収まった。


 こんなの、いつものハグの延長線だ。

 そう自分に言い聞かせて平静を装う。


「おやすみ」

「おやすみなさい」


 ドキドキしていたのが、触れ合っているうちに、安心へと変わっていく。


 ああ、私。この人のことが好きだな。


 この時はっきりと、言葉にして思った。

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