第35話 行き倒れ
その日の夜、ドンドンドンという物音で目が覚めた。
誰かが玄関を叩いている。
ただ事ではない様子に、恐る恐る部屋を出た。
すると、もう一部屋の扉もタイミング良く開いて、私は反射的にビクッとする。
「ルクスさん……」
「僕が見てくる。スズは念のため部屋にいて」
こういう時、男の人――しかも騎士団出身の戦いのプロがいてくれると安心だ。
私は部屋の扉をうっすら開けて、聞き耳を立てる。
「夜更けにすまない。人が倒れてるんだ。助けてやってくれ」
切羽詰まった、男性の声。言葉の通りなら強盗の類ではなさそうだ。
私は静かに部屋を出て、階段まで忍び足で歩く。
しばらくすると、外から人が戻ってくる音がして、男の「死んでないよな?」という震える声が聞こえてきた。
私はゆっくりと階段を下り、カフェの方を覗く。
「微かだけど脈はある」
ルクスさんはそう言うと、テーブルに寝かせた人物を魔法で温め始めた。
長い黒髪に華奢な体。どうやら外で倒れていたのは女性らしい。
彼女を見つけて、助けを求めに来たおじさんは、たくさん荷物を背負っていることからして行商人だろうか。
おろおろと落ち着きがなく、ルクスさんを手伝える雰囲気ではない。
「スズ、治療セットを持ってきてもらってもいい? あとブランケットもお願い」
私に気づいたルクスさんは、早口に指示を出す。
珍しくルクスさんが焦っている。危険な状態なのだろうと思い、急いで治療セットを届け、家中のブランケットをかき集めた。
「持ってきました」
「服は乾いたと思うけど、もう少し魔法で温めてからブランケットでくるむよ」
私は行き倒れた人の姿を見て、低体温症で意識を失ったのだろうと悟る。
血の気のない顔に反して、凍傷を負ったのか手先は赤く腫れ、靴を脱がせた足なんて紫色だ。
酷いと腐って黒く変色するというから、まだましなのかもしれない。
若い女性が、こんなに薄着でどうしたんだろう……。
オリンズさんのように、温暖な南から来て気を抜いていたのだろうか。
「後は任せてもいいだろうか? 心配なのはやまやまだが、明日の朝までに届けなければならない荷物があってね……」
おじさんは何も悪くないのに、申し訳なさそうに言う。
「分かりました。お気をつけて」
「よければお菓子を持っていってください」
私は余りすぎてどうしよう、と思っていたお菓子を袋に詰めて渡す。
おじさんは「何かあれば」と名前と宿泊先を書き残し、何度も頭を下げて出て行った。
それから一時間近く、ルクスさんは魔法を使い続けている。
真剣な横顔に、どことなく疲労の色が滲んでいた。
「大丈夫ですか?」
「そろそろ限界かも」
魔力不足というより、温めすぎないよう力をコントロールする方が大変らしい。
「ブランケットにくるんで私が人肌で温めます」
「そうだね。二階に運ぶよ」
ルクスさんは魔法を止め、女性を抱えて二階に上がる。
「スズの部屋でいい?」
「はい」
数日使った後のシーツだけど、この際、そのくらいのことは許してほしい。
「……んん」
私のベッドに寝かせた時だった。
全く意識のなかった女性が、うっすら目を開け、身じろぎをする。
「聞こえますか?」
私が尋ねると、女性はゆっくり言葉を口にした。
「……ここは?
「雪の中、倒れていたんですよ。無理せず寝ていてください」
体を起こそうとする女性を止め、私はブランケットを重ねがけていく。
「そうでしたか……ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
女性は力無く、長い睫毛を伏せた。
控えめで、儚げな雰囲気の人だ。
男の人のような服装をしているけれど、言葉遣いから品の良さが滲み出ている。
「寒くないですか?」
「はい。ちょうど良いです」
「ご自分のお名前は分かりますか?」
「……」
返事がない。
記憶喪失なのかと思いきや、彼女はしばらく黙り込んでから小さな声で答えた。
「私のことはマルベリーとお呼びください」
マルベリー、桑のことだ。
実から根まで食べることができて、カフェでも葉の部分をハーブティーとして扱っている。
そういえば、彼女の深紫が混じったような黒髪は、完熟したマルベリーの実に似ているかもしれない。
「何か、温かいものは飲めそうですか?」
「はい。お気遣い、ありがとうございます」
ハーブティーを淹れに行こうとする私を、ルクスさんが呼び止めた。
「僕が淹れてくるよ。スズは彼女といてあげて」
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