第2話 お庭の小さなハーブ園
名前の通り地味で平凡な独身OLで、あのまま溺れて死んだのだとしたら、享年三十二。
未婚の母は私を産んですぐ亡くなってしまったらしく、写真でしか顔を見たことがない。
父親に至っては名前すら知らない。私を育ててくれたのはおばあちゃんだ。
そのおばあちゃんも、私が二十歳の頃に倒れて体が不自由になり、それから全快することなく先日息を引き取った。
要するに、私が異世界に転生したとしても、悲しむ者はいないのだ。
遺産を狙って突然現れた親戚たちは、むしろ邪魔者が消えたと喜んでいることだろう。
「元の世界に戻りたい?」
ブロンドの彼は、一連の話を聞いてそう尋ねた。
「今はまだ分かりません」
私自身、元いた世界への未練はあまりない。
それでも答えが出ないのはきっと、この世界のことをまだよく知らないからだ。
目の前の彼のことも、私はまだ何も知らない。
背が高く、がっちりとした体つきに甘いマスク。爽やかな雰囲気もあって、某テーマパークの王子様役が似合いそう――なんてこっそり観察していると、彼ははにかみながら自己紹介をしてくれる。
「ルクス=ルトヴィエといいます」
「ルトヴィエさん……?」
「ルクスでいいよ」
「ルクスさん。私のことはズズと呼んでください」
少しでも短い方が呼びやすいかと思い、学生時代の愛称を口にする。
ルクスさんは確かめるように「スズ」と呼んだ。
そして、「次は自分の番だね」と朗らかに言い、彼の身の上話をしてくれる。
歳は今年で二十七。物心ついた時には孤児院に預けられていて、本当の親は分からない。
十五の時に孤児院を出てからは王国の騎士団にいたけれど、それも性に合わなくて現在休職中。
ここは元々小さなレストランで、高齢のため店を畳もうとしていたオーナーから土地と建物を譲り受けたそうだ。
「レストランだったんですね」
私はきょろきょろ店内を見回す。
カウンターが六席と、二人掛けと四人掛けのテーブルが計三つ。小さくて可愛らしいレストランだ。
「今は開店休業状態だけどね」
ルクスさんは困ったように笑って言うと、カウンターから出て私を手招いた。
「こっち」
私は誘われるがまま、彼について外へ出る。
「わぁっ……!」
なんて素敵なハーブ園なんだろう。
建物の隣にあるその場所は、あまり広くはないものの、きっちり整えられていて、たくさんのハーブが植えられている。
煉瓦造りの花壇やところどころ置かれた動物のオブジェも可愛らしい。
「おばあさんがハーブを育ててたって聞いたから、気に入ってくれるかなと思って」
「祖母の庭よりすごいです。ルクスさんが作ったんですか?」
「そう。修道院のハーブを分けてもらったり、各地から取り寄せたり。唯一の趣味なんだ」
ルクスさんは柔らかな視線を庭に向けた。
大切で、愛おしい。そんな表情に私は目を奪われる。
きっと、穏やかで優しい人なのだろう。
出会ったばかりだけど、言葉や雰囲気でなんとなく分かる。
「先ほどのハーブティーは自家製だったんですね」
「そう。だから、美味しいって言ってもらえたのが嬉しかった」
ルクスさんは当然のようにすっと手を差し出す。
お手をどうぞと言われるなんて、人生初めてのことだ。私は緊張しながらもその手をとった。
リンデン、タイム、ローズマリー。
レモングラスにルイボス、フェンネル、ハイビスカス。
呪文のような言葉を聞きながら、ハーブ園を案内してもらう。
その途中でふと、花壇のあちこちに刺さっている、
「あの土に刺さっているものは何ですか?」
尋ねると、ルクスさんは近くにあった一つを引き抜いて見せてくれる。
「これは魔道具。先端の魔法石に魔力を流して使うんだ。肥料になったり、植物周りの温度調節までしてくれる」
「もしかして、調理器具も……?」
「うん。あれもそう。友人が魔道具職人で、用途に合わせて作ってもらってるんだ」
なんと、この世界には魔法があるらしい。
一気にファンタジー感が増して、自分にも魔法が使えるのかな? と淡い期待を抱いてしまう。
「スズの世界に魔道具はないの?」
「魔道具どころか魔法もありません。代わりに技術が発達しています」
それを聞いたルクスさんは、神妙な顔で「いいな」と呟く。
そんな反応をされるとは意外だった。
私が魔法という言葉にワクワクするのとは反対に、この世界の人は技術に惹かれるのだろうか。
「そうですか? 私は魔法が使えた方が楽しいと思いますけど……」
言いかけたところで、建物の方からコンコンという音がした。
騎士様とハーブの箱庭 藤乃 早雪 @re_hoa_sen
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