#010 余韻

 色々なことが落ち着いたある日に、僕は電話をかけている。

 少し緊張しながらコール音に耳を傾けていたが、数コールもすれば、プツッという音と共に、もしもし、という女性の声が聞こえた。

「……西原先生ですか? お久しぶりです。天方です」

『天方くん、本当に久しぶりだね。元気にしていた?」

「それなりに? ……元気でしたよ」

 相変わらずさっぱりとした様子に僕は安心していた。電話口の西原先生は、僕のその曖昧で煮え切らない返事を聞くと、笑いながら「嘘つけ!」と言った。

『大変だったんでしょう。……私だって悲しかったし。君たち二人は、それはそれはもう特別仲良かったから』

「そう見えてました?」

『見えるよ、大親友じゃん』

 そうはっきりと言われると、少し照れくさい。電話口でよかったと思いながら、僕は手でぱたぱたと顔を仰いだ。

『大丈夫? なんか、こう、なんて言ったらいいんだろうな。ネガティブな気持ちにはなってない?』

「なってないですよ! 教師になるっていうのに後ろ向きになってる暇なんてないじゃないですか」

『あっははっ! そりゃそーだ!』

 こうして話していると、高校生の頃に戻って図書室で真も交えて取り止めのない話をしていた頃を思い出す。あんまりにも古典が苦手すぎて、西原先生にもっと勉強しろ! なんて冗談めかしながらよく言われたものだ。その節は……大変申し訳ない気持ちである。

『影谷くんからたまーに話を聞いていたから、頑張ってんだなとは思ってたよ』

「あ、それですよ! 僕、この前初めて知ったんですけど! 影谷陽山くんと実は友達だったって話!」

『あー。まぁ、影谷くんから従兄弟がそこの学校行ったみたいで、って話を聞いてたんだけどさ。変に贔屓してるって思われたくもないし、言う必要もないかなって思ってたからね』

「そんなそぶり一切なかったので本当に驚きましたよ」

『名俳優って呼んで?』

「いや、呼びませんけど」

 相変わらず、面白い人だなと思う。偶然、って本当に恐ろしいものだなとこれは実感せざるを得ない。そして、意外と世界は狭いものだ。

「日本語って、難しいですね」

『お、いいこと言うじゃない。そうなのよ、難しいのよ』

「前後の文を切り取られただけで、時に全く違う解釈が生まれてしまったりするじゃないですか。例えばほら……前の文が切り取られちゃったら主語がわからなくなるーとか」

『まあ、それは言葉全般そうだと思うけど。あぁ、あれね? 日本語を使ってると、普通に主語を落としちゃったりするからねってことでしょう?』

 僕は、そうですそうです、と強く肯定した。

 本当に言葉ってものは不思議だ。それ一つで、人を殺すことも、生かすこともできてしまうんだから。

「僕は今、国語の先生になりたいんですけど」

『うん』

「教師が、必ずしも全ての人を助けられるとは思ってなくって。でも、なんだろうな。できるだけ多くの人を助けたくって」

『うん』

「そのために僕は、言葉を使いたいというか。なんだろうな、ともかくみんなを、人々を守るための手段として、教えていきたいって」

 今回、僕がツルミヤさんの言葉に助けられたみたいに、そうやって与える側になりたい。うまく言葉がまとまらなくって、抽象的な言葉を連ねてしまう。そうして僕が黙ってしまった時に、西原先生は噛み締めるように「そうだね」と言ってくれた。

『いいじゃない。あとは、努力するだけだよ』

「そうですね、そこは頑張らないと」

 憧れの先生に向けて堂々とそう宣言してしまっては僕は、下手な真似はできないと頑張る決心をした。こうして話していると、なぜだか夢が現実になってくれるような気がする。

 西原先生は「救う、ねぇ」と独り言を呟く。

『昔、私の友達にあなたと同じことを言われことがあるよ。そのために、自分は勉強するんだって言ってたっけ』

 そんな人が、いたんだ。

「……その人ってどんな人だったんですか?」

 僕が興味本位で何の気なしにそう聞くと、西原先生は懐かしそうにふふ、と笑う。

 そして、「あの人はねぇ……」と静かに、でも丁寧に語り始めたのだった。

 開け放っていた窓から、生暖かい風が入り込み、頬を掠める。秋はまだやってきれくれないみたいだ。僕は、もうしばらく夏の余韻に浸かっていようと、静かに意気込んだ。

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