#006 絶望

 僕は、一体どうしたらいいんだろう。

 手の中に収められた封筒の中身の解釈を求め続けても一向に解はもとまんない。

 階段を登って二階にある喫茶店の扉を押す。カランカラン、と入店ベルがなり、僕は今日も周囲を見渡した。

 畳んだ傘は、傘立てに入れて、少し濡れたところをハンカチで拭いながらいつもの席の方へと向かう。いつもなら日が照っていて暖かいそこも、今日ばかりは暗く重たい影を落としていた。いつもなら心地よいくらいの店内の空調も、今日ばかりは本当に寒いとさえ感じられる。それでも彼はいつも通りそこに座っていた。

「ツルミヤさん」

 僕がそう声をかけると、ツルミヤさんはいつも通りに本に栞を挟んで閉じ、静かに面を上げて微笑んでくれる。エメラルドグリーンの綺麗な目は、こんな日でも宝石みたいに輝いているような気がする。

「水曜日のツルミヤさんをみたのは初めてかもしれないです」

「今日は雨が降っていて、洗濯ができなかったから」

 ツルミヤさんは、それと、といって頬杖をつきながらこちらの方をじっと眺めてくる。

「なんか、そろそろ黎明くんに会えるんじゃないかなって思っていたから」

 そうして僕は、いつも通りツルミヤさんの真向かいに座る。

「今日は一段と暗い顔だね。……その前に俺は君に謝らなきゃ。この前は根拠もないのに偉そうなことをたくさん言ってしまってごめん。思っても自分が説明できるまで飲み込んでおくべきだった」

 そういってツルミヤさんは、頭を下げる。

「どのみち、僕は同じ疑問にぶつかっていたと思います。それがただ早かっただけですから、お気になさらず」

「ありがとう。それで」

「何かわかったか、ってことですよね」

 僕は、結局考えてもそれが広がるばかりで収縮していかなかったことをどうやって伝えたらいいかをしばらく考える。結局、対馬真はどうして死ななければならなかったんだろう。真は、何かに反抗あるいは復讐をしようとしていて、あまりにも感情が交錯するあの小説に感化されて自死を選んだ。……あまりこのシナリオはしっくりこない。

「あの、黎明くん。その封筒と便箋を見せてもらえないかな」

 急に話しかけられて僕は驚いてしまったが、僕は握りっぱなしだったその遺書を手渡し、さっと何かを確認する程度にみた後にそれをすぐにしまって僕の手元に返してくれた。

「ありがとう」

「このくらい大丈夫ですよ」

「それで……」

「あんまりうまく話せないかもしれないですけど、頑張って話します」

 ツルミヤさんは、一度大きく頷いた後にわかった、と優しく返してくれた。僕はそして彼に、自分なりに考えた言葉を紡いでみる。

「僕、昨日の朝に『黎明の天使』という小説を読み終えたんです。少女と元天使の歪な二人の電車旅。そんな話ですよね」                   

「内容までは詳しく覚えてないんだけど、おそらく君の言っている内容で間違いないと思うよ」

「僕、その中に出てきた幸せっていうことにずっと引っかかっているんです」

「幸せ?」

 ツルミヤさんがきょとんとした顔で首を傾げたものだから、僕はうまく言葉にできていないんじゃないかって不安になる。

「どういうふうに引っ掛かっているの」

「なんというか……天使の彼は、あれを本当に幸せを手に入れたっていうのかなって。だって、もう存在を消してしまった彼に『君幸せ?』って聞くこともできないし、あくまで残された側の少女が勝手に彼の幸せを解釈したに過ぎないじゃないですか」

「それは、そうだね。俺もそう思う」

 ツルミヤさんはそう言いながらすっかり湯気の消え失せた紅茶を飲む。

「でも、死んだ人間の言葉は生きてる人間がかってに作るしかないんだよ」

「なんで作りたいって思うんですか」

「許されたいから」

 ツルミヤさんは、両手で紅茶のカップを支え、静かに波紋を浮かべる水面をじっと見つめていた。

「だって、自分が死んだその人を不幸にしたんだって思いたくないでしょ」

 僕は、その言葉を聞いて頭から大きなハンマーを叩き起こされたような気持ちになった。ハンマーの力はあまりにも力強くて、瞬く間に土に埋まって動けなくなってしまいそうなほどだ。それくらい僕は気持ちを叩き落とされたような感覚だった。

「君だって、親友が自分のせいで死んだとは思いたくないでしょ。自分が彼の異変に気づいてあげられなかったから死んだんだって思いたくないでしょ。きっとそういうものなんだよ」

 僕はそこでようやっとなんとなくではあるが、陽兄ちゃんの言っていた意味がわかったような気がした。僕は、対馬真のためと装いながら結局自分のために真実を見つけようとしていたのに、都合よく勝手に神様を気取って「どうすれば助けてあげられたか」なんてことを考えようとしていたんだ。起こってしまったことは、もう二度と元に戻すことはできない。あの時こうしていれば……は通用しないんだ。

 だから、神様気取り、教師気取りはやめろって言ってくれたんだ。

「そっか、僕は勘違いをしていたんだ」

「勘違い?」

「結局、全部自分のためなのに相手のためを装おうとするなんで愚かでした」

 両の手拳に入る力が自然と強くなるし、それを自分で気づくことのできなかった不甲斐なさでいっぱいになって唇を噛んでしまう。

「真には、もしかしらた反抗したり、あるいは復讐したい何かがあったのかもしれません。本当はそのためにいろんな人に助けて欲しかったけど、実際に助けてくれそうな人は、きっとどこにもいなかったんだ。だから……自死を……」

 きっとそうなんです、そう言いたい気持ちを込めて顔を上げると、ツルミヤさんはとても驚いた顔になっていた。そしてひどく何かを悲しむように顔を歪めて、ツルミヤさんは冷めた紅茶を口にする。

「本当に、本当にそう思ってるの」

「どういうことですか?」

 そう聞き返した時のツルミヤさんの表情はあまりにも酷いものだった。多分、何かに失望……いや、絶望……? 僕に……? でも自分が何か変なことをいったかというとそんな自覚は全くなく、僕はどうしたらいいのかわからなくなっていた。

「そう、そうなんだ」

「何か、気に触ることしてしまいましたか?」

 何か粗相をしていたとしたらいったいどうしようと思いながら恐る恐る聞くが、ツルミヤさんはそれには頷くことしかしてくれなかった。こちらがどういうことなのかと聞こうとしても、一向に答えてくれる気配はない。

 これは、どうしたらいいんだろう。僕は何かしてしまったんだろうか?

 ツルミヤさんは、じっと僕の顔を見る。射抜いてしまわれそうなほどに鋭い目だった。

「ねぇ、ずっと気になっていたから聞いてもいい?」

「な、なんでしょうか……」

「黎明君はどうして教師になりたいと思ったの?」

 そんなふうに聞いてきたツルミヤさんはひどく何かを思い詰めたようにずっとこちらを見てくる。なぜだろう僕は、普段からツルミヤさんのことをみでいるからだろうか。ツルミヤさんが何か言いたいことがあるのはわかるのに、その真意が全く読めない。

 同時に、僕は今、何も考えられないくらいにたくさんのことを考えていて、口を動かしてみようとするが、うまく動いてはくれなかった。

「なんでなんですかね、もうわからないんです」

「そっか。そうなんだね……」

 幻滅されたかもしれない。これまでこの人と話しているのはそれなりに楽しんでいたはずなのに、近頃はこんなもんばっかだ。

 ふいに、僕のスマートフォンに通知がなにかしら届いたようで、軽いノリのわかりやすい音が鳴る。見てみれば、メッセージを送ってきたのは、深沢くんだった。要件は今週の土曜日一日中空いてる? とのことで僕はスマートフォンのスケジュール管理アプリを開いて空いていることを確認したのちに空いてることを伝えると、朝の七時に大学最寄りの駅に来てほしいと言われた。一体どうしてと聞こうとしたが、その手は彼の「詳しい話は当日にするから」という言葉で止められる。

「友達?」

「はい、大学で同じコース同じ専修に通っている子で」

「仲良くしてる?」

「してますよ、たぶん」

 ツルミヤさんは、静かに瞼を落とし、何かを考え込み始めた。僕は、そこから動くこともできずとりあえず何か頼んでみようかと、今日はホットココアを頼んだ。

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                  

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