#002 悔恨
「ったく、誰だよマジで! 大学生は遊べるって言ったやつ〜」
「学生の本分は勉強だろう。文句は言うんじゃない」
「そうだよ、
「え〜。二人とも厳しいじゃん……」
ある八月の中旬ごろ。僕たちは、必修の集中講義のためにわざわざ夏休みだと言うのに学校に来ては、エアコンの設置されていない暑い講義室に閉じ込められている。ちょうど今日の講義の半分の内容を終えて、学生食堂まで言って昼食をとって戻ってきたのである。
クリアファイルをうちわがわりにして申し訳程度に回されている扇風機の生ぬるい風を浴びながら、溶けたアイスクリームみたいに深沢くんは机に突っ伏した。
「二人とも……真面目すぎね? 少しぐらい力抜いたってなんとかなるだろ」
深沢くんは、信じらんねぇよという目で僕ともう一人、
「まあ、単位さえ取れれば卒業できるけど」
「単位が取れなかったら元も子もないだろう、深沢はよくそんなにスレスレを生きられるな」
「生粋のギャンブラーなもので〜。とかいいつつ、おれパチ屋とかは行ったことねーけど」
「やめとけ、泥沼だぞ」
とにかく暑い教室内は、教室のありとあらゆる開けられる窓を開けているというのに全くの無風だ。どうして寒い時には風が強く吹いてくるのにこう言う時は静かなんだろう。大学には一刻も早くエアコンを設置してほしいものだ。
申し訳程度の風を求めて僕は手で仰いでみるが、なんでだろうか本当に効果がない。むしろ腕が痛くなって終わりだ。早々に諦めて僕はため息をつく。「れーちゃん〜」と気の抜けた声で話しかけてくる深沢くんは、力ない人差し指で俺の手元を指差した。
「それぇ、何読んでんの?」
「あぁ、これ?」
俺は、手元に置いてあって今から少しだけ読み進めようかなと思っていた本を手に取り、二人に見えるように立てた。
「知ってる? この本……」
「『
「作者の方は、知っている。結構色んな賞を受賞してるだろう。大学一年で歴代最年少と並んだその若さで芥川賞受賞したって人じゃなかったか?」
「
「本屋で平積みされていたりしたものは、昔に読もうと思って買ったんだ」
「もしかして、僕より二人の方が詳しいまでない?」
あまりにもスラスラとこの本の作者について話す彼らに、俺は若干の焦りを感じていた。そもそも俺は滅多に純文学とかそういう系統の本を読んだりしない。もっとさっくりと読めるものの方が好きだし、さらに言うと表紙やタイトルが気にいるか否かで買うか決めてしまう。いわゆるジャケ買いってやつなんだろう。本当は、教養として時間のあると言われる大学生のうちにたくさん読んでおくべきだろうけど、実際に読もうって思った時に読むのは気軽に読めるライトノベルとかそういうのばかりだ。
「なんでまたそれを読もうと思ったわけ? あっ、もしかして黎明繋がりで気になった感じ?」
「違うよ、別にそんなんじゃ」
確かに、僕の名前は
深沢くんは、いつもそうやってケラケラと茶化してくるが、塚内くんはあまり変わらない表情のままで、なぜか急に冷静に僕の分析をし始めた。顎に手を当てて、じっとこちらを見てくるのだ。
「天方、もしかして何かあったんじゃないか」
「え」
「え? れーちゃんなんかあったの」
「本当はそれ、天方の趣味じゃないだろ」
塚内くんが突然そんなことを言い出したものだから、ドキッとしてしまった。これは不可抗力。
「やっぱそう思う?」
「なんとなくだけどな。実際、深沢は一切気づいてなかったろ」
「げぇ。うっちー、そううこと言っちゃう?」
深沢くんは相変わらず、と言った感じだけれど、塚内くんがいきなり僕の核心をついてこようとするものだから、そんなに顔に出るタイプかと変な緊張をしてしまった。事実、僕は別にこの本を好きで買ったわけではないし。好きで買ったわけではない、というのは僕の好みではないということ。
「ひさしぶりに連絡が届いた地元の親友におすすめされてさ。言われたら読まないわけにはいかないじゃん。だから読んでみようかなって」
亡くなってしまった親友の、だけど。
しまった、もしかしてちょっとだけ嘘をついたと察されて、それで二人とも黙ってしまったのだろうか! だとしたら、どうしよう。とりあえずは、会話を繋がなくてはと顔の温度が上昇していくのを感じながら口を開く。
「あ、あまりにもその親友が熱狂的なファンだったし、なんか気になるじゃん?」
そういうと、深沢くんは閃いたように、ぽんっと手を打ってくれる。
「あーわかる! それでいえばさ、現在進行形でれーちゃんが読み始めてるってところからおれもちょっと気になり始めてるし」
ぱちっと深沢くんはウィンクをした。あまりにも明るくて爽やかだったから僕は、びっくりしてしまってなんとなく雰囲気で笑うことしかできなかった。なんか、こんなに根明な人が僕みたいなのとつるんでいることが奇跡なんじゃって思ってしまうくらい爽やかだ。
「にしてもあっついなー」
「深沢、言霊って知ってるな? 暑いっていうの禁止にするぞ」
「知ってっけどさぁ! 暑いじゃん……」
ぶつぶつと口を尖らせながらTシャツをパタパタと仰いでいる深沢くんに、塚中くんは不意に右手を差し出して、くいと顎を上げてみせた。なんだこれ。
「うっちー、どしたん」
「規律違反だ、罰金一円」
「もう始まってたん!? てか罰金やっす!」
「冗談だ」
「冗談かーい!」
微笑ましいやり取りを目の前で繰り広げられて、一層部屋の中に熱気がこもっていくような気がする。午後の講義は憂鬱だ。しかし真面目に受けなければ、必修単位だし。気乗りしないままに本を開き、栞を挟めていたところからまた読み進めていこうとした。
「湯村燐ねぇ、まぁ、機会があれば読んでみるかな」
「俺も、そうしよう。家にあるかもしれないしな」
「僕が断念したら、助けて……」
正直、僕はこの本を読み切る自信はない。でも、少しでも対馬真がなぜ死んだのかを理解できるのなら、やるしかないだろうから。とりあえずは、頑張って読んでみようと思っている。
そうして二人と話をしていれば、やがて講義室にはぞろぞろと人が集まっていく。程なくしてチャイムがなり、先生もやってきた。昼ごはんを食べた後の講義ほど憂鬱なものはない。どれだけ眠気覚ましにカフェインを摂取したとしても抗えない眠気が襲ってくる。とりあえずはこの講義を無事に乗り切ることを目標にして、ルーズリーフを取り出し、俺はシャープペンシルを持ったまま、教授の動向を見守ることにした。
僕には、憧れにしている人が二人いる。
一人は、中学校で数学教師をしている僕の従兄弟。年は少し離れていて、長子の僕からしたらお兄ちゃんみたいな存在の人だ。なんというか、いつも冷静沈着で感情に任せて行動することが全くない。絶対怒らないけど、甘やかしもしない。それでいてなぜかみんなから信頼されていて常に誰かの道しるべになっているみたいな人。僕が地元を離れて進学した理由の一つには、彼に会いに行ける距離だからというのがあった。
もう一人は、高校時代の部活の顧問兼国語の先生。女の先生なのになんかこうサバサバしていて、結構大雑把な人だったから抜けているなという時もあったけどそれすら親しみに変換されるし、とにかく授業はわかりやすかった。あの先生がいたからこそ今の自分がいるんじゃないかってくらい。真剣に取り組む時と、手を抜くときでメリハリをちゃんとつけてくれる先生だったから生徒たちはみんな過ごしやすかったんじゃないかな。
僕は、そんな二人の姿を追いかけるようにして今は教師になりたいと願いそのために勉強している大学生なのだ。本来なら、周りの人の些細な変化にも気づいていち早く助けることができる存在でなければならないのに……。よりにもよって、一番近くにいてくれたはずの親友の心の病に気づくことができなかったことが僕は、たまらなく悔しい。
彼の母から送ってもらった僕宛の遺書には、悲しいほどに簡潔な文章が記されていたことをしてその気持ちは一層増していったのだ。
——湯村燐、彼が俺の生きがいといっても決して過言ではありません。
——彼がこの世から亡くなったのなら、俺にはもう生きる意味がありません。
——ごめんなさい。どうか許して。
悔しい思いは、ずっと心に残って消化されてくれない。
だから俺は、真実を見つけ出そうとすることしかできない。そして、彼をここまで追いやった原因を探り、それはこの世界から取り除かなくては。湯村燐を知り、消さなければ。彼の全てを。
暑さのせいだろうか、それとも絶え難い眠気によって頭がエラーを知らせているのだろうか。ぐわぐわと刺激する頭を抑えながら、俺は「黎明の天使」について考えていた。あれほどまでに、湯村燐の作品で一番だといっていたこれなら、何かわかるんじゃないかという淡い期待だった。
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