黎明の天使

#001 反抗

 ぼくらは反抗もするし、復讐もするさ。

 だってぼくらは、天の願望を満たすだけの道具なんかじゃないんだから。


   ***


 対馬つしままことの訃報を聞いたのは、ある真夏日のちょうど太陽が真上に上がった日だった。今でも、僕はその日のことを鮮明に覚えている。

 その日はあまりにも暑くて、気分転換の散歩のつもりがむしろ体調を崩してしまった。もう一歩も動けない、とりあえず日陰に入りたい、限界を迎えてたまらずに近くの喫茶店へと入った。我慢すればむしろ炎天下の中で倒れて人に迷惑をかけてしまうにちがいない。そうしてようやく入ることになった店内は、ひどく空調が効いていて、普段だったらむしろ寒いとまで感じるのかもしれないけれど、その時の僕にとってはそれが救いで、正直助かった。

 適当にアイスココアなどを頼み、喉を潤してもらえるものを待っていた俺は、スマートフォンを開き、大学生になってから作った色々なSNSのアカウントをめぐって、タイムラインを遡って友人たちの投稿を見たり(二十四時間限定の投稿を見たりもした)、チャットアプリを開いて連絡が来ていないかなどを確認して過ごしていた。別に、なんらおかしくはない普通の内容。しかし、そうやってつまらないことをしていたその時に、突如としてリズミカルな通知音が鳴った。どうやらよく使っているメジャーなチャットアプリからの通知であったようで、しかも驚いたのは、その人と僕との間にあまり縁がないと言うことだった。

 高校生時代には、一度だけ同じクラスになったことがある。たぶん、クラスの中心人物みたいな人で、IDを交換したのは、クラスグループを作成するときとかそんなもんだった。やり取りだって履歴を見ても、数年前レベルでしかしていないし、遡るほどのものもない。

 そんなやつからの連絡だったが、僕は、その内容に目を奪われた。


 ——お久しぶり

 ——元気にしてましたか?

 ——ごめんいきなり

 ——でも伝えなきゃって思ってさ

 ——もう知っていたらすまん

 ——この前、俺たちの同級生の対馬真がしんだ


 冗談は、よしてくれないか。嘘をつくならもっとマシなものがあるだろう。どうしてそんなたちの悪いことをするんだよ。僕は、頭をハンマーでガツンと殴られたような衝撃と余韻を感じ、右手で頭を支えた。落ち着け、落ち着けとひたすらに念じていた記憶がある。


 ——自殺

 ——だったらしい


 鮮明に覚えているなど大層なことを言ってみたが正直、その時の感情を正確に思い出せと言われても言い表すことはできないと思う。

 対馬真は、僕にとっての唯一無二の親友だった。高校一年生の時に出会って以降、大半の時間を彼と過ごしたと言っても決して過言ではない。要領のあまり良くない俺のことをすごく良く見ながらいつも助けてくれて、いつも笑顔でいてくれる。もちろん、少し言い合いになってしまったり喧嘩することもあったが、それでもお互いに冷静になればすぐさま仲直りした。高校時代の思い出の大半は、おそらく彼との思い出だろう。そんな彼を、何が、死に追いやったんだろう。

 急に何かが抜け落ちて空っぽになり、次にはまさしく思考停止をしてしまったみたいで返信を打つこともできずにくらりと力の抜けた僕は、そのまま横へと倒れ、椅子から床に落ちてしまった。

 よっぽど大きな音がなっていたんだろう。店の中にいた人の視線を一挙に浴びてしまう。ああ、どうしよう。起きなければ。そう思っていた時に、少し空な意識の中で確かにはっきりと声が聞こえた。

「大丈夫ですか、聞こえますか? 聞こえていたら、手を上げて。大丈夫ですか」

 絶えずそう声をかけられて、だんだんと魂が僕の中に戻ってきたみたいに視界が明瞭になっていく。とりあえず、そのまま左手をあげると、その人はその手を掴んで生きていることを確かめるように強く握った。

 その人と、目が合う。

 日本人離れした綺麗なエメラルドグリーンの目だった。宝石みたいでもしも本当に宝石が埋め込まれてるって言われても信じられるんだと思う。茶色とクリーム色の間みたいな色の、男性にしては耳にかかっていて少しばかり長いその髪の毛は、遊ぶように跳ねていた。一言で言うのなら、整った綺麗な人だ。

 その人をじっと見ていると、だんだんと僕の中の感情が一意に定まって、自然と涙が頬を伝っていくのを感じた。その人は、きっと急に泣き出してしまった俺を見て、ひどく動揺していたんだと思うが、ハンカチを取り出してすぐさま涙を拭ってくれた。店員さんも、大丈夫ですか、と声をかけてくださっていて、あの時の僕はみっともない姿を見せたものだ。

 しかし、そんな彼との出会いが、今となっては唯一の俺の救いになっているのかもしれない。

 だから僕は今日もまた、その喫茶店へと赴き、窓側の一番奥の席に座って本を開くその人のもとへと向かう。

「……こんにちは。ツルミヤさん」

 その人の後ろから、驚かさないようにそっと声をかけると、その人はこちらの方を見上げて、片手を上げてくれた。日当たりのいい席でぽかぽかと陽に当たっている席によっていく。

「こんにちは。今日も来てくれたんだね。どうか座って?」

「ありがとうございます」

 今日こそは、冷静になってこの人に全てを話してしまわなければ。

 そしてこのしがらみから僕は解放されたい。早く、早く……。

「今日は、ツルミヤさんに聞いてほしい話があって、ここに来ました」

「俺に?」

「はい、なのでご迷惑じゃなかったら、聞いてほしいです」

 ツルミヤさんは、しばらくじっとこちらの方を見て何かを考える。そして、そばに置いていた栞を手に取って、読んでいた本に挟めて静かに閉じた。

「ううん。俺でいいなら、いくらでも聞くよ。それがあなたのためになるんだったら嬉しいし」

 そう言って微笑むツルミヤさんを見て、俺は胸を撫で下ろした。こんな重たい話、普通なら他人に話すなんてそんなことできないかもしれないけど。なぜかこの人にならなんだって言えてしまいそうな気がした。

 だから、俺はようやく意を決して口を開く。

「ツルミヤさんは」

 これは、俺のちっぽけで価値すらつけてもらえない反抗なんだろう。

「『黎明れいめい天使てんし』という小説を知っていますか?」

 行き場をなくした恨みを、もう存在しない人に向けて。

 そうして俺は真実から目を背けていながら、真実を追うという決心をしたのだった。

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