エピローグ - A Happy New Year -
大晦日の寒空に瞬く無数の星辰を見上げ、ロックは紫煙混じりの溜息をこぼした。
永遠の冬を抱え込んだ霊園の入口に人影などあるはずもない。あたり一帯は不気味なまでに静まりかえって、ロックの足音以外にはなにも聞こえてこない。
身も凍るような冷気に灰煙を燻らせながら、ちかちかと点滅する街灯の明かりを頼りに霊園へと踏み入った。
「相変わらずここは冷え込むな」
淡く積もった雪は真新しい。それが、一層人気のなさを際立たせている。
新雪を踏みしめながら墓標まで辿り着くと、吸い終わった煙草を携帯ケースにくしゃりと強引に詰め込んで、喉の奥を搾ったような声で語りかける。
「……よお」
イヴは、この極寒を吸い込んだかのように冷たく、静かに鎮座していた。
降り積もった雪を払い、悴んだ手で黒曜石の墓標を撫でてやる。
「元気にしてたか? 俺はなんとかまっとうにやってるよ。この一ヶ月は、とにかく色々あった」
聞かせて、と興味津々で語尾の跳ねたイヴの声が耳元で聞こえるような気がした。
「もう、なにをどこから話せばいいか分からねぇ……。けど、一つだけ確かなことは、お前はずっと愛されていたってことだ」
知ってる、という優しい声が蘇る。
もう、それだけを知っていてくれれば十分だろうと思った。
世界が幾度となく同じ時間を繰り返したことも、それが最初から仕組まれていたことも、ヒトではないなにかがこの世界を滅ぼそうとしたことも、それを阻止したことも。
この世界に存在しないイヴにとっては、きっとどうでもよくて。
イヴの愛した人がいまもイヴのことを想ってくれている、その事実だけがきっと大事で。
だから。
「これからはきっと、もっと色んな土産話をもって来るよ。俺も、あいつも」
マリーゴールドの花束を添え、ロックは墓標に向かって手を合わせる。
しばらくそうしていると、ざっ、と背後で足音がした。
「……やっぱりここにいましたか、義兄さん」
「早いじゃねぇの、ダイン」
「あなたが遅すぎるんですよ。時間をずらしてくださいと何度もお願いしているのに」
「すまんすまん。夜型人間にはこれくらいの時間が一番都合がいいんだよ」
「……次回からはお願いしますよ。墓参りくらいは一人がいい」
アネモネの花束を添えたダインが夜空を見上げる。
見慣れてしまったオーロラは、もうどこにもない。
ロックは煙草を取りだし、ジッポーで火を付けて口に咥えると、月に向かってに紫煙を吹かしつける。
「さて……。これからどうなることやら、だ」
「外側の世界がどうなっているか楽しみですね」
「レフィクールの言いっぷりだと、ロクなことになってねぇって話だがな」
「けれど退屈はしないでしょう。何度も同じ日々を繰り返すなんて、もうこりごりです」
「そいつは違いねぇ」
並んで霊園を後にする。
墓地に隣接する自然公園では、大晦日だというのに、大々的で仰々しい会合が催されていた。コートを羽織った白装束の連中が一心不乱に祈りを捧げている。かつてこの小さな世界で教祖だった存在へ捧げる黙祷だろうか。
祈りを捧げる彼らに、もう二度と救いは訪れない。
気を狂わせ、宗教にのめり込み、ありもしない赦しと救いに全霊を捧げてきた彼らに同情の気持ちは湧いてこなかった。不憫に思うこともない。すべて自業自得だ。
『
生も、死も、なかったことにはならない。
フィーネは、もういない。世界が繰り返さない以上、蘇ることはない。
「こんな結末で良かったのか、ダイン」
「……もう何度目ですか、それ」
「本当はあったんじゃないのか。彼女を生かしたまま世界を元通りにする方法が」
「……理想は理想でしかないんです。彼女の死とレフィクールの神化は等価交換で、僕には神を殺す力しかなかった。天使であるレフィクールを殺す術を持たない僕にできることはこれしかなかった――と、咀嚼するしかないんです」
喪失感はいずれ風化すると思って、そんなことはないと思い知った。
ダインはこれからもずっと、罪悪と喪失を抱えて生きていく。
「僕は彼女を殺した。けれど、後悔はしてません。してはいけないんです。この結末へと収束することを選んで、納得したのだから。僕にできることは、死んでいった人の分までこの世界を生き存えることです」
「これで、よかったんだな」
「もう、なかったことにはできないんですよ。すべてを背負って、僕らは未来を進むしかないんです」
「……そうかい」
幾度も繰り返す世界の終わり際に、生け贄にされて死んだ人々がいた。
望んであの世へ旅立った、どこぞの宗教にのめり込む信者がいた。
無慈悲に殺された無辜の民がいた。
死に損なったまま、永遠に続く世界の終わりを終わらせてしまった野郎どもがいた。
新世界を願った人がいた。この一ヶ月が永劫に続けばいいと祈った人がいた。
そういうものを全部踏み躙ってきた。
英雄の器じゃあない。
そんなことはロック自身が一番よく理解している。
願いを叶えるためじゃあない。
ただ死んでないだけの野郎に願いなんてありはしない。
信念を貫くためじゃあない。
そんなもの、欠片も持ち合わせがなかった。
勝手に救うと気乗り気ままに決めて、相棒が命を擲つ覚悟で対峙した復讐を後押しした。
ロックのやってきたことは、ただそれだけだ。
褒められることではないし、誇れることでもない。救うはずだった人も救えなかった。勝ち取ったのはありふれた日常が紡いでいく未来。
けれど、それで良かったのかもしれない。未来を望んだ誰かがいて、果たすべき復讐を果たした誰かがいて、決別すべき相手とけじめをつけた誰かがいる。
その結末がこの場所なんだだとしたら、もう、十分だろう。彼女を救ってあげられなかった後悔はいつまでも残り続ける。けれど、そういうものも背負い込んで今生を謳歌するのが生者の使命だ。
だから、英雄譚でも復讐劇でもない話はここでおしまいにしないといけない。
「みんなびっくりするだろうな。誰も年が明けるなんて思っちゃいないんだし」
「……長かったですね」
「ようやく西暦二八二二年が終わる。俺たちは未来を拝める。生きてりゃいいことあるもんだ」
新年を告げる鐘の音が鳴り響く。
それは、旧年へとさよならを告げ、新年へと向かうためのカウントダウン。
もう、五千年以上も耳にしていなかった久しい音色に、道を行く皆が脚を止めた。
「――5、」
込み上げる感情を爆発させるように飛び跳ねる若人がいた。
「――4、」
じっとこめかみをおさえてその場に蹲る老婆がいた。
「――3、」
白装束に身を包んだ連中が一斉に顔をあげて鐘の鳴るほうを見た。
「――2、」
ダインは惜しむように霊園へと顔を向ける。
「――1、」
ロックは吸い終えた煙草の吸い殻を足元の排水溝へと放り捨てた。
「時計を見てみろ!! 本当に西暦二八二三年、一月一日だ!! 『
誰かがそう叫んだ。
歓喜が伝播する。それはやがて大きなうねりとなって、爆発する。
歌い出し、踊り出し、叫び出す人々が無数にいて、駅前のモニターに映し出される旧渋谷駅周辺は不夜城のごとき有様と化している。夜が明けるまで続くであろうお祭り騒ぎに、ロックが苦笑いを浮かべた。
「この様子を見る限り、レフィクールをやっつけた甲斐はあったってもんかな」
「僕らも月並みに楽しまないと損ですよ。一年に一度しか味わえませんからね」
「それもそうだ」
墓地に最寄りのコンビニで互いに好みの缶ビールを買って、手近なベンチに腰掛ける。
「まさか義兄さんと新年祝いの酒を酌み交わすことになるとは思っていませんでしたよ」
「嫌だったか?」
「そうは言ってないですが」
「ならいいじゃねぇの。水くさいこと言うなよな」
「……さっさと飲み干して帰りますよ」
「なにをそんなに急ぐことがあるんだか……」
これから先のことなんてなに一つ決まっていない。
けれど、なにがあろうと生きてやることだけは決めている。
これからだって山ほど後悔するだろう。いつかこの一ヶ月のことを思い出すことがあるかもしれない。救えなかった誰かに思いを馳せることがあるかもしれない。
それでも、生き様だけは、死に際に胸を張れるようにありたい。
主人公ではない。脇役だってロクに務まらないかもしれない。
それでも。
死に損ないなりに、この世界を生き通す。
それが、ロックに残された、たった一つの願いなのだから。
「それじゃあ、せーのでな」
「……せーのっ」
「「乾杯っ!!」」
※※※
「……さっきぶりですね、イヴ」
丑三つ時の霊園。あたりは人っ子一人いないけれど、遠くあちこちから祭り囃子の音色が飛び込んでくる。
酔い潰れたロックをベンチに放ったまま、一人で戻ってきたダインは墓標に背中を預けて夜空を見上げた。澄んだ紺碧に浮かぶ星辰が爛々と煌めいて、地表を淡く照らす。
「……僕は、きみを二度も殺してしまった」
零れる言葉は懺悔だった。
「赦してくれとは言いません。だけど本当は……できることなら、救いたかった。殺したくなんて、なかった……。きみが生きたいと願った世界で、僕は、彼女、を…………っ」
アルコールの力を借りないとこうやって素直になることもできないくせに、いざ墓標の前にくるとろくなことも言えなくなってしまう。情けなくて、不格好で、まったくもって自分が嫌になる。
息をするのも苦しくて。
声にしようとするほど喉の奥でひっかかって。
言葉を紡げば紡ぐほど陳腐になって。
墓標の前で膝を抱え、蹲ったままダインは嗚咽を漏らす。
「僕は…………っ、きみ、をっ…………、どうして…………っ」
どうして、イヴでなければいけなかったのだろう。
なんで、フィーネでなければならなかったのだろう。
すべてはレフィクールが仕組んだことだったというのに。
彼の企みを阻止するためだったというのに。
二度も世界のために殺された彼女に、掛ける言葉なんて見つからない。
世界は残酷だ。どこまでも彼女の生を許さなかった。奇蹟のような偶然がイヴを必然的な死へと誘い、生まれ変わったフィーネには無情な刹那の生を与えてしまった。
あのとき。
レフィクールとアポロが強引に記憶の封印を解錠したとき、ダインは激しく後悔した。
フィーネを殺さなければならないことを、封印した記憶は悟っていた。
人格を代えて蘇ること。それもまたレフィクールが仕組んだことであり、新世界を創造するためにイヴの神能を持った彼女を生け贄とすることがレフィクールの悲願であること。その悲願が達成された瞬間にしか、天使から神へとその性質を変えるレフィクールへ復讐を果たすことができないと悟っていたこと。
その覚悟もろとも封印されていた。
記憶を呼び戻されたダインに突きつけられた己が決意は、どんな感情よりも黒く濁っていた。復讐を誓い、誓いを果たすために手段を選ばなかった。神殺しの力を手に入れるために心を売り払った過去の自分の覚悟、その重さに押し潰されそうになった。ダインはとうの昔に、愛する人の命と世界を天秤に架け、後者を選んでいた。そんな過去の自分に愕然として、けれど、その決断に抗うことなんて到底できやしなかった。
愛した人を自分の手で殺してまで、果たすべき復讐に価値なんてあるはずがない。封印された記憶を取り戻したダインに、過去の自分の覚悟はあまりにも荷が重かった。
それに、イヴは復讐なんて微塵も望んでいなかった。
だから、ダインは解放されたかった。憎しみの感情も、恨みも、妬みも、なにもかも捨ててしまいたかった。
すべてを吐き出して、楽になりたかった。
フィーネは生に執着しなかった。幾度も繰り返す世界のなかに生まれ落ちた理由も、役割も、運命も、すべてを悟っていたかのようだった。
だから。
あの日。あの夜。
フィーネはダインに言い訳を与えてくれた。ダインはフィーネに縋ってしまった。
選ばせてしまった。
その命と、世界とを。
世界の命運なんて握りたくなかった、選びたくなんてなかった、そんな自分のかわりに。
あまりにも残酷な仕打ちをしたというのに、フィーネはダインを慮っていた。
――あなたに後始末を任せてしまってごめんなさい、と。
「ごめん…………、ごめんなぁ…………っ」
何度謝っても、許されることじゃない。わかっている。
だからこれは許しを請うためじゃない。そんなつもりで言葉を吐き出しているわけじゃない。
そう言い聞かせながら、それすら自己満足でしかないと分かっていてもなお。
ダインの懺悔は続く。
後悔しない、なんて嘘だ。
後悔してはいけない、なんて虚勢だ。
どこまでも人間は弱くて、脆い。
孤独を忘れてしまった人間は、どうしたって一人では生きていけない。
だから、死んだ人間の想いと願いを抱えなければ、前に進めない。
大切な誰かを失う度に、そう、痛感するのだ。
「あ、ああ…………、うっ、くぅぅ……………………っ」
くぐもった嗚咽は陽気な音色に掻き消されて、どこにも届かない。
けれど、ダインの前に鎮座する墓標は、罪と罰に塗れたその体軀を優しく、静かに包み込むようにいつまでも静謐に佇んでいた。
EverLasting World - End 辻野深由 @jank
★で称える
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