- 新世界開闢 - 1
眼前に見えるは、大樹の恩恵を賜るために天井を取っ払った礼拝堂。
そこに無数の死骸が転がり、血溜まりを作っていた。
「……こ、れは」
「なんて酷い有様……」
レッカも、その惨憺たる光景に唖然としていた。
白装束は朱に塗れ、そのすべてが自害していた。自ら喉をかっ切り、あるいは水月へナイフを突き立て、絶命している。そのどれも、恍惚とした表情を浮かべているのも気色が悪い。
そして、それらを睥睨するように、銀髪の青年が教壇に立ち尽くしていた。
「――っ、お前は……」
「……遅かったな。すでに先へ逝ったアポロも、ここで最期の使命を負うダインも、しっかり仕事をしてくれた、というわけだ」
燃えさかるような紅の双眸を細めながら、堕ちた天使は告げる。
「もはやお前たちにできることはない。計画は止まらない。間もなく新世界は
「さらさらねぇな」
「あたしも」
「そう、か……、残念だ」
「フィーネを返してもらおうか」
「それはできない相談だな……。だが、安心するといい。彼女はあそこだ」
レフィクールが大樹の幹を指差す。
大樹の前に屹立する十字架に、フィーネが磔にされていた。
「フィーネ!!」
「彼女は深い眠りについている。覚醒直前となった身体がすべての感覚を停止させた。残念だったな。お前の叫びは聞こえていない。そして次に目覚めるときはもう、彼女の人格はフィーネに非ず。はじまりの人間――イヴとなり、僕らを新たなる世界へ導いてくれよう」
「そんなことはさせねぇよ!!」
《神能発動:ギリシャ神話――天空神ゼウス――
目にも止まらぬ雷迅一閃。
無防備な標的を確実に焦がす弾丸が光速で着弾する。
だが、
「……以前にもこうやって僕を殺しにきたことがあったな、きみは」
レフィクールは虫を払うかのように、弾丸が着弾したはずの胸部を撫で払った。
法衣は破け、焦げた痕跡はあるが、その身には傷一つついていない。
「なら、これでどうっ!?」
《神能解放:ギリシャ神話――
標的を焼き焦がす摂氏一万度の紅焔がレフィクールを灼いた。
熱で肺が侵され、酸素は燃え尽き、息もできず、肉体は瞬く間に炭化し、あるいは火炎に溶融し尽き果てる。
その対象が、ヒトであれば。
「……この程度でどうにかできるとでも思ったかい。そうであるなら、僕は随分と舐められているな」
レフィクールが火達磨になりながら腕を振るう。
ただそれだけの所作で、次の瞬間には焔が消滅し。
法衣もろとも埃一つない姿となってロックたちの前に顕現した。
五体は満足で、傷跡も、火傷もない。
神が産み出したのかと見紛うほどの造形美を晒し、平然としている。
「なっ……、なんなの、あんた……」
「……いいだろう、もうじきお前たちともさよならだ。教えてやろう。
かつてこの世の神に仕え、絶望し、その抹殺を企て、しかし叶わず、この地に堕とされた天使が。塔都理想教会の祖にして新世界の神となる、ヒトの上位存在。
それが僕――レフィクール・サンダルシアだ」
堕天使が真名を告げる。
呼応するように大気が震え、大樹の葉がさざめいた。その音はまるで新たなる神の誕生を祝福するかのようでもあった。
「神の力を模倣しただけの、たかだが人類が出力できる程度に調整された神の権能が、神代から存在し続ける天使に通用するわけがないだろう。お前たちとの戯れもここまでだ」
レフィクールが両手を突き出し、唱える。
「本物の光、焔の真髄、その片鱗をお前たちにくれてやろう」
《熾天使権能:ギリシア神話――
視界が灼け、空間が爆ぜた。
灼熱が、五感のすべてを支配する。
「がっ――」
ロックたちの視界が明滅する。
モノクロに染まる世界に、すべてを燃やし尽くす光をみた。
神の威光、その片鱗。
抗うことを許さない絶対的な暴力。
天変地異そのものであり、神に比肩した天使の所業。
押し寄せる絶望そのものに人間が抗う術はない。
次元そのものの異なる存在に敵うはずはない。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
星辰の降る宵闇を切り裂くような絶叫すら灼熱は飲み込んで燃えさかる。
白装束の死体すら燃料に、燃えて、燃えて、すべてを焦がし尽くす。
業火が消失すると同時、精魂果てたかのように、ロックも、レッカも、その場に頽れた。
辛うじて息をすることを許されたかのように、喘ぐ。それだけで精一杯だった。肺に取り込んだ空気が熱く熱を持ち、むせかえる。ロックの視界の端に映るレッカは動かない。気絶しているだけなのか、絶命してしまったのか、確かめることもできない。
やっとのことで仰向けになる。咄嗟に神能を発動していなければ、この身も灰と化していたに違いなかった。生きているのは天使の温情か、情けか、はたまた気まぐれか。
逆さまになった視界の先、レフィクールがロックたちにゴミを見るような眼差しを向けて言い放つ。
「その非力に絶望し、望まぬ行く末をそこで見ているがいい」
いっそ気絶できたら良かったのに、とこれほど思ったこともない。
これからここで繰り広げられるのは絶望へと向かう
ロックは、レフィクールが積み上げてきた企みの結末を見届ける観客でしかない。
「ち…………く、しょう…………が………………っ」
レフィクールが腰に携えていた細身の剱を引き抜き、大樹の幹を縦に切り裂いた。
まるで表面に新たな皺を入れ、そこから表皮を剥がすような、そんな一閃。
鮮烈な太刀筋に応えるように、切り裂かれた幹の隙間から金色の光が生まれた。
やがて、その光は円上に広がり、ばくりと口を覗かせる。
そうして、ロックは見てしまった。
金色の先にある、緑豊かな景色を。
「……こいつ、は……っ」
「綺麗だろう。僕の望む楽園だ」
レフィクールが揚々と語る。
「まだ生まれたばかりで、見える景色以外にはなにもないが、やがてここに住まう人間が文明を築き、発展していく。唯一神による統治と永久の幸福、そして極楽に満ちた世界は楽園であり天国そのものだ。絶命した信徒はみな、光の向こうへと旅立った。彼らを随分と長く待たせてしまったが、ようやく……ようやくだ。すべてが叶う」
その手に握りしめていた細剣を掲げ、空を切る。剣先から放たれた真空の刃が大樹に成った金色の果実を切り落とすと、器用に掴んだレフィクールが齧り付いた。
「みているか、古き神々ども。貴様らが創り上げた世界は低俗を極め、もはや秩序は失われた。だが、そのおかげで原罪の赦しを請うには十分すぎる尊い犠牲を積み上げることができた。ようやく貴様らに比肩できる。このときを幾万年と待ちかねた。
人間に原罪を与え、この世界に神能を与えた偉大なる神に最上の憎悪を。そして、伝道者という、いまはもう果たして久しい使命を僕に与えた無能な神々に極上の感謝を。僕はいま、この瞬間から、旧き神々どもが目指した完全なる理想郷を実現させよう」
レフィクールが十字架へと近寄り、磔にされたフィーネの口元をそっと撫でる。
そして、果実を含んだまま、その唇へと口づけをした。
「新世界の準備は整った。あとは僕があちらへ渡るのみ。その前に……、この世界での最後の手順を踏もう。さぁ、目覚めのときだ、フィーネ。はじまりの
「――…………ぁ」
レフィクールの声に応えるように、フィーネが瞼をひらく。
だが、焦点の合わない双眸は虚空を見つめ、自身が磔となっていること自体にも気付いた様子がない。
「フィーネ!!」
「……………………?」
あるはずの人格が消え失せ、別人格がインストールされているような素振りをみせた。ロックが掠れた声で名前を叫び、けれどフィーネは倒れ伏したロックに興味も示さない。
「無限の生を与えられ、人格は変われど死してなお朽ち果てぬその御霊に、人が背負いし原罪を与えてやった。感謝するといい」
「……ようやく、救われるのね」
「お前をこうして救ってやるまでに気の遠くなるような歳月をかけた。夥しい数の尊い犠牲があった。禁断の果実を実らせるのにも苦労をした。だが、その甲斐はあった。こうして僕の前に現れてくれたことを喜ばしく思う。ようやく、この瞬間に辿り着いた」
「……そう。なら、知っているでしょう。私の望みを。お願い、叶えて。私を」
――殺して。
「……や、めろ…………」
肺腑を搾りきった声でロックが呟く。
だが、いまにも消えそうな命の灯火から放たれた力ない言霊が届くことはない。
「叶えてやる。狭苦しいその身体から解放してやる。けれどそれは僕の役目じゃない」
「なら、誰が……」
「出番だ。出てこい」
草木が垂らす夜露で濡れた地面をたたく軽い足音に、ロックは顔を顰めた。
「……ダ、イン…………」
「…………」
無様に這いつくばる様を一瞥するだけで、物陰から出てきたダインはなにも言わない。
「……さて、仕事だよ、ダイン。心構えはできたかい」
「……とうに済ませている。記憶を取り戻したその瞬間にな」
「なら結構。躊躇なく、遠慮なく、後顧の憂いなく、彼女を殺せ」
「……仰せのままに」
ダインが銃を構える。レフィクールは満足げに、フィーネはどこか遠い目をしながら、神殺しの銃口を見つめる。その銃弾が織りなす物語と、その銃声が運んでくる終幕を待ち望むような表情で、ダインの決断をじっと待っていた。
「ば、か………よ、せ…………っ」
「…………っ」
一瞬、躊躇したように見えたのは気のせいだったのかもしれない。あるいは、この土壇場で引き金を引くことの意味を、その結末を想像してしまったからなのかもしれない。
それでも、堕天使が描いた物語の結末は変わらない。
ロックには――ただの観客には、この先の展開をひっくり返す力はない。
ダインが、深呼吸をして呟いた。
「ごめん。赦してくれ」
果たしてその懺悔は、誰に向けられたものだったのだろう。
乾いた銃声が耳朶を叩く。
ダインの視界の先で、フィーネの口元から朱が零れる。その胸元に鮮やかな紅の華を咲かせ、痛々しい姿になって、それなのに、彼女はどこか満足げに微笑んでいた。
「……あり、がとう」
――なんだ、それは。
ロックには、フィーネの言葉を咀嚼できない。
繰り広げられている事態のすべてに理解が届かない。視界に映る誰も彼もがこうなることを望んでいるような状況にも納得がいかない。フィーネは本当に、心の底から殺されることを期待していたとでもいうのだろうか。だとしたら、ロックをここまで突き動かしてきた感情はどこにいけばいい。こんなもの、偽善ですらない。ただの傲慢だ。独りよがりが招いた勝手な激情だ。誰かの命を救い出すことに快感を覚えようとした自己満足が満たされなかった、それに腹を立てているだけの餓鬼じゃないか。
善行だと信じていたそれは、最初から誰も必要としていなかったのか?
なんなのだ、これは。
望まない結末へと向かう映画を見た心地だ。網膜に焼き付いてしまった惨状に吐き気を覚える。相棒が、救うべき人を殺してしまった。はじめからこうなることがわかっていたような顔をしているダインに、無性に腹が立つ。
微塵も動かない身体に鬱憤が募っていく。いまにも破裂しそうな感情が行き場を失って暴れている。激情に任せてこの筋書きを滅茶苦茶にしてやりたい。
だが、そんな無粋な真似を実行することすらできないまま、物語は進んでいく。
「は、ははははははははははははははははっ!! ようやくだ。枷が外れていくのがわかる!! 失った力が戻ってくる……っ!! いいや、これは、それ以上に……っ!!」
十字架に縫われたまま絶命したフィーネの隣で、レフィクールが快哉を叫ぶ。その背中から生まれ出づるは金色に輝く十二枚の翼。
熾天使――神に仕えし天使の最高位。神話に登場する、誰もが知る堕天使がそこに君臨していた。
だが、その名は過去の話だ。たったいま、すべてが過去になった。
新たなる世界の神そのものとして顕現したこの瞬間、彼に敵う存在はいなくなった。
「この全能感……っ!! 溢れんばかりの万能感が心地いい……。僕の計画はこれをもってすべて成就した。あとはこの世界を正しく終わらせるだけだ……」
「……約束は果たしてもらうぞ、レフィクール」
ダインが神に銃口を突きつける。
まだ、なにも終わっていないのだと告げるように。
「貴様がはじめた『
「ああ、忘れてはいないよ。だが、終わらせ方は僕が決める」
「そんなもの、一つしかないだろ」
「……このまま何事もなく西暦二二八二三年の一月を迎えられると思ったか? 確かにこの領域では巻き戻るように幾度も二八二二年の十二月を繰り返した。だが、この領域の外側まで現象が及んでいるわけではない。領域の外側はざっと五千年後の世界だ。貴様らは観測できていない領域の外側がどうなっているかなど知る由もないだろうが、あの環境に放り込まれるくらいならいっそ死んでしまったほうが気が楽になるというものだぞ」
「……生きるも死ぬも、決めるのは僕たちだ」
「神の慈悲を無碍にするものじゃあないよ」
「人間の意志を無視するなよ」
一人と一柱が、無様に這いつくばる人間を無視して話を進めていく。
『
どうしてなにも教えてくれなかった?
「僕はもうこの世界に興味も関心もない。どうなろうが知ったことではない。だが……、僕をこの地に堕とした神に対する怒りを忘れたわけではないんだよ」
レフィクールが六対の翼を大きく拡げ、宙へ浮かぶ。
両腕を天へ掲げ、祈るように両手を組んだ。
「だから、ここで償ってもらうことにするよ。神の造りし人間どもにな」
「なに、を……っ!?」
新たなる神の翼が虹色の光を帯びて輝きだす。
呼応するように天上に浮かび上がった極彩色のカーテンが、夜空に瞬く星辰のきらめきを塗り潰していく。
弧線を描くように星々が廻る。警鐘を鳴らすように大樹の木々が揺れさざめく。歩くようなはやさで、宵闇に浮かぶ遠くの光が輝きを増していく。極彩色のカーテンはその変化を誤魔化すためのカモフラージュでしかない。
「世界など、いくつも要らない。古びた平行世界など、存在する価値はない。僕の創る新世界がひとつあれば十分だ」
レフィクールが朗々と、謳う。
――落ちて、墜ちて、堕ちてしまえ、世界――
――斯くてこの世の楽園は滅亡し、古き神はその威光を失うだろう――
――遍く万物は流転する。ゆえに栄枯盛衰は必定なり――
――なれば、この結末は運命である。これは世の理と知れ――
――人類は神の寵愛を受けすぎた。これはその報いと知れ――
――原罪を濯いでもなお、その滅びから免れることは叶わぬのだから――
《熾天使権能:ギリシア神話――失楽園(パラダイス・ロスト)》
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