17

 ロックは人影を瞠目する。

 同時、身体は反射的に銃を構えていた。


「ここからは僕は相手をしましょう」

「――ダインっ!!」


 激情を伴った咆哮が、銃声で掻き消される。

 彼我の距離を銃弾が一瞬で埋めた。

 互いに中空でぶつかり、激しい金属音とともにあらぬ方向へとはじけ散る。


「「――っ」」


 ロックが次発を躊躇する一方で、ダインは間髪を入れずに神殺しを撃ち放つ。

 それを雷撃で斥け、ロックが叫ぶ。


「なにやってんだてめぇ!!」

「なにって、足止めですよ。レフィクールによる輪廻の終焉、その先に待つ楽園への旅立ち、その儀式を邪魔させるわけにはいかないんです。ここであなたが介入してしまえば、何万回と繰り返した世界で着々と整えてきた舞台装置が壊れてしまう。ここから先、義兄さんを通すわけにはいかない」

「フィーネはどうしたっ!!」

「彼女は最も大事な舞台装置です。その役目を全うするため、いまは最奥にいます。身の安全は保証しますよ。教徒が最恵の待遇で丁重にもてなしています。なにせ彼女がいなければなにも始まらず、終わらせることもできませんから」

「……言ってることがなにも理解できねぇよ、ダイン。お前、どうしちまったんだ」

「思い出しただけです。エヴァが死んでからの数日のことも、僕が担った使命のことも、フィーネが背負った宿命のことも、なにもかもを。だから僕があなたの相手をします」

「…………本気、なのか?」

「ええ。二言はありません。あるいはフィーネの奪還を諦めてくれるというのであれば、僕も手を引きますが」

「そいつはできねぇ相談だ。フィーネは救う。そう決めただろ。俺と、お前で」

「……世界を見ていない義兄さんには理解などできるはずもない。ここでフィーネを失えば舞台装置は壊れ、二度と世界は永劫の輪廻から抜け出せなくなってしまいます。僕らはまた永遠の無為を繰り返すことになる。フィーネ一人の命と、世界の修復、あなたはそれでも後者を選ぶんですか?」

「なんの話をしている?」

「……そうですね、少し話をしましょうか」


 ロックに銃口を向けたままダインは語り出す。


「ヒトの始まりたるイヴの神能を保有するフィーネを依代に、レフィクールは新たなる世界の創造を企図しました。そのとりかかりが、『永久に続く世界の終わりエヴァーラスティング・ワールドエンド』。この永劫輪廻ににおける数多なる教徒の自死を以て人類が抱える原罪を濯ぎ落とし、赦しを賜ることで原罪とは無縁の新たなる世界――すなわち生死から解放され幸福に満ちた楽園へと旅立つ。

これこそが、レフィクールが描いた永劫輪廻からの解脱であり、すなわち新世界の創造です。塔都理想教会の目指すものであり、教徒が望む終着点。そして、エヴァの生まれ変わりに等しいフィーネは教徒を新世界へと誘ってくれる鍵であり、新たなる世界の礎そのものなんですよ」

「新しい世界だって……? そんな馬鹿げた話があるわけ――」

「レフィクールの目的は新たなる世界の神として君臨することです。けれど神は、それを信仰する知性をもった生物がいなければ存在たりえない。そこで彼は新世界へ教徒を引き連れていくことでその神性と信仰を維持しようと考えたわけです」


 ロックには理解しがたい話だった。

 皆目、咀嚼できない。

 ダインの口から語られる壮大な計画の全貌。

 その内容が聞いた次から外側へ零れていく。


「……どのみちフィーネは救われないんだろ」

「彼女は新たなる世界の礎そのものです。概念と成り果てる以上、そこには生も死もありません。人間という枠組みから解放され、世界そのものとしてあり続けるんです」

「なんだ、それは……」


 そんなの、あんまりじゃないか。

 いいように利用されて、それで彼女はおしまいか。

 二度と生を謳歌できないということか。


「てめぇはそれで納得してんのか」

「義兄さんはいまの世界が変わらなければいいと思っていますか?」

「……っ」

「こんな地獄から抜け出したいなんて、誰もが思うことです。レフィクールはそんな人々の希望です。彼には世界を変える力がある」

「いったいなんの根拠があって――」

「フィーネの出現を予言していました。きたる六万五千と五百三十五回目の輪廻において、始まりの人間の神能たるイヴの力を持った人間が再び現れる、と」

「んな馬鹿な……」

「彼女の出現によって予言が正しいことが証明された。彼を崇め奉るには十分な予言です。そして彼は、新世界への扉を開くと宣言した。この世界に別れを告げ、信徒を永遠の苦しみから解き放つと約束した。レフィクールの悲願が叶えば救われる人間が大勢いる。それでも止められますか、義兄さんは」

「俺は……――」


 そんなことは望んじゃない。大勢の希望を打ち砕くつもりなんて毛頭ない。

 けれど。


「――誰かを犠牲にしなきゃ前に進めねぇ世界なんて、まっぴら御免だよ」


 ダインが目を瞬く。

 そして、驚嘆と、諦念と、唖然が綯い交ぜになった表情を浮かべ、嘆息した。


「……とんだエゴですね」

「上等だ。俺には俺の正義がある。まして命が懸かってる。譲れないもんだってあるさ」

「それは彼女が似ているからですか」

「……さあな。けど、きっかけなんてなんでもいいだろ」

「そんな理由で計画を乱されるこちらはたまったもんじゃない。それに、世界はそんな単純じゃない。レフィクールの計画はいまや最終局面です。失敗は許されない。ここを逃せばまた同じ一ヶ月を何万回も繰り返し、再びフィーネの出現を待たないとならなくなる。それまでに人間の精神が崩壊しないなんて誰も保証できない。こうして目の前に現れてくれたこと自体が奇蹟のようなものなんです。地獄を何度も経験しなければならない苦痛がわからない義兄さんではないでしょう!?」

「そうだな。けど、俺は俺が幸せになるために誰かが不幸になるなんてのは間違ってると思うぜ」

「どうしてそこまで彼女に拘るんですか。ただ一度、何万回も繰り返した一ヶ月でたった一度、偶然知り合っただけでしょう」

「決めたって言ったろ。偽善だろうが気まぐれだろうが俺なりに正義を貫くってな。そうして偶然知り合った誰かを必死こいて救うために命張ってんのがそんなにおかしいか?」

「正気の沙汰じゃない」

「そのまま返すぜ、その言葉っ!!」


 撃発。

 ロックの放った弾丸が甲高い音を立ててダインの背後にあった鉄柱を叩く。

 ダインもまた間髪入れず死神の宿る銃弾を撃ち放つ。ロックは鉄筋の影に隠れてやり過ごしながら、深く息を吐く。


 アポロ以上に神経質になる必要があるのが億劫だった。

 ダインの放つ銃弾は神能を殺す。

 かすり傷程度でも、ロックにとっては致命傷に等しい。


「……しかしまぁ、俺も迂闊だった。首にぶら下げてる十字架、そいつは教会のモチーフだな」

「教会に魂まで売ったつもりはありませんよ。ただ、彼らがやり遂げようとしていることは僕にとっても都合が良かった。だからこうしているまでです」

「都合、ね。レフィクールの描くシナリオになにを見出したかは知らねぇけど、ロクでもねぇことだけは確かだな」

「『永久に続く世界の終わりエヴァーラスティング・ワールドエンド』から抜け出すこと、それが僕の願いですよ」

「……気に入らねぇな。レフィクールは教徒しか救う気がねぇのに、まがりなりにもそいつに賛同するってことだろ。なぁ、ダイン。俺もフィーネも置き去りにして、てめぇ一人だけ勝手になにやってやがるんだ」

「……では、義兄さんもどうですか。この期に教徒として――」

「そういうことじゃねぇだろうがっ!! お前がやろうとしてることは、お前は……っ、お前がっ、一番嫌っていたことだったろうが!!」

「…………」

「とっとと目ぇ覚ましやがれ!! フィーネを救うって決めたろうが!!」

「……義兄さんは、そのまま傍観者の立場でいてください。これ以上、僕から語れることはありません。僕は僕がやるべきことを真っ当するまでです」

「……ッ、ちくしょうがっ!!」


 三度みたびの撃発。

 銃撃が標的に当たらないことは互いに百も承知だった。互いに手の内を知り尽くした狙撃手同士、手癖も息づかいも、狙撃までの一連の所作もすべて把握している。ゆえに狙撃自体が牽制以上の意味を為さない。


 だが、ダインにとってはそれで十分だった。

 レフィクールの計画に支障を来しかねない障害を食い止めることさえできればいい。


「僕を殺すつもりでやらないと、当たるものも当たりませんよ」

「そういうつもりは微塵もないけどな」

「出し惜しんでる場合ですか? もしや神能もろくに使わず僕の背後を取ろうなんて甘いことを考えていますか? それはまた随分と下に見られたものですね」


 ダインの挑発に乗るつもりはない。

 手加減なんてできる相手ではないことくらいとうに理解している。


 銃撃戦はほぼ互角。神能を振るえばそれも死神の弾丸がすべて打ち消し、食い千切る。


 戦術だけで言えばロックのほうが切り札は多い。そもそも手数で圧倒すれば、ダインを追い詰めることくらいは造作もない。

 けれど思考がブレーキをかける。その手札は切れない。


 家族同然に付き合ってきた間柄だ。

 次の輪廻が始まれば生き返ると分かっていても、本当に殺す覚悟で立ち向かうなど。


 ゆえに膠着。時間ばかりが徒に過ぎていく。


 アポロもダインもロックの相手を時間稼ぎと明言している。ダインの役割は明白で、単純だ。難しいことはなにもない。ただ、忠実にこなしている。

 それが苛立たしい。わかっていて、ロックは決断できないでいた。

 刻限が迫る。次にダインが動くとき、それはフィーネが助からないことを意味する。


 わかっている。急がなければ。

 この拮抗を破らなければフィーネの命はない。

 理解している。頭では。


 でも、ダインは……。


「……俺は」


 一体、どうすれば――。


「――時間です」

「っ!?」

「……覚悟が足りなかったようですね、義兄さん」


 ダインが、どこかほっとしたように呟いて、銃を向けたまま後退していく。


「時刻は十二月十日日の午後八時半。新世界開闢まで、あと三十分もありません」

「なら、まだ間に合う。まだ終わっちゃいねぇ」


 ダインと距離を保ちながら、ロックもまた歩みを進める。


「……終わりですよ。レフィクールの計画は恙なく遂行されます。そして僕は、このときを待っていた。ようやくだ。ようやく、僕も計画を最終フェイズに移すことができる。失敗は許されない……チャンスは一度きりだ……っ」

「ダイン、お前この期に及んでなにを――」


 ホールに奥は行き止まりになっていた。防火扉にも似たシャッターがその先を固く閉ざしている。


「義兄さんには関係のないことです。フィーネと僕を天秤に架けて僕を殺せなかったあなたに、ここから先、できることはありません。せいぜいここから傍観していればいい」


 そう言って、ダインは背面のシャッター側にあったレバーを倒した。

 すると、けたたましい音を立ててシャッターが開く。


「残念ながら定員一名です。そして、僕が使ったあとにはもう動くことはありません」

「ちょっ、待てっ――」


 ガコン、と歪な音を立てて、ダインを乗せた筒状の昇降機が墜ちていく。


「――って、ここ、は……」


 透明な分厚いガラスを隔てた先に広がっていた光景にロックは目を奪われる。

 天井のない巨大なドーム状の空間に、天を貫くようにして大樹が屹立していた。


「こいつが例の大樹か……」


 自分がようやく九龍城の中央部まで到達したことに思い至る。

 中央部の上層から足元の遙か下方に位置する根元まではおおよそ五十メートル。目を凝らせばいくつかの建屋が確認できる。慌ただしく右往左往する人影と、じっと大樹を見つめる人影。そこに新たな人影が合流している。ダインだ。


「俺も急がねぇと……その前に、こいつか……」


 顔を上げて構える。


「――はぁっ!!」

 閉ざされた鋼鉄の扉は蹴れど殴れどびくともしない。手近にあったバールや鉄パイプで叩いてみたが、傷一つだってつきやしない。

 無論、神能も試してみたが、どうやら表層に絶縁処理が施されているらしかった。結果はいわずもがなだ。


 分厚いガラスもまた強度な加工がされていて、罅すら入れられない始末だ。

 ロックは地べたにへたり込んだ。眼下にフィーネがいるのに、なんて情けない。

 このままなにもできずただ行く末を見守ることしかできないのか。


「――こんなところでなにやってんだ」

「…………んあ?」


 予期せぬ声に、間抜けな声が出た。

 振り返ると、そこには憔悴した様子のレッカがいた。肌がところどころ煤け、切り傷や痣をそこかしこに作っている。


「お前、それ……」

「気にしないでくれ。ここにくる道中、色々あったんだ。あたしの神能、小回りが利かなくてね。それでロック、なんだってこんなところで立ち往生してるんだ」

「ああ、それがな……――」


 ことのあらましを説明すると、レッカは複雑な表情を浮かべた。


「……まぁ、あたしがとやかく言えることはないな。ダインにもあいつなりの事情と覚悟があってあそこにいるなら、あたしには止めらんないわ」

「おまっ……、ここまで話を聞いて出した結論がそれはないだろ」

「分かってるっての。とりあえず昇降機の扉を壊せばいいんだろ? って、壊すより楽な方法でやらせてもらおうかな。さがってな、ロック」


《神能発動:ギリシャ神話――叡智の焔を盗んだ賢人プロメテウス――神焔の息吹フレイムブレイズ


 レッカが口の前で輪を作り、鉄壁の扉へ息を吹きかける。

 すると、扉が溶けるように融解していく。


「器用だな。ただ燃やせるだけの神能じゃなかったのか」

「鍛冶屋だぞ。物質を溶かすくらい造作もない。で、どうやらこっから先は飛び降りるしかないみたいだな」


 口を開けた昇降機へと繋がるその扉の先に見えるは奈落。レバーを引いても人を乗せるカゴがあがってくる気配はない。


「……さて、いくか」

「あたしもいくよ」

「……お姫様抱っこと背中に縋り付くの、好きな方を選んで良いぞ」

「両手が塞がってないほうがいいだろ?」

「確かに。にしても、こいつは相当深い縦穴だなぁ……」

「とにかく早くいけっての!!」

「――のわっ!?」


 背中を足蹴にされ、ロックは真っ逆さまに落ちる。

 それに続いてきたレッカがロックの肩まわりをがしっと掴んだ。


「あとは任せた」

「はいはい、っと。しっかり掴まっとけよ!!」


 ロックは両手から放電し、空洞につり下がった昇降機用のロープへ走らせる。急減速した身体が徐々に速度を落とし、ドームの最下層へ音もなく着地する。

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