16

 陽光も届かない陰りが延々と続く。

 足音を殺しながら隘路を駆けるロックの背後には、無惨に事切れた白装束が転がっている。


「――しっ」

「ぐ、ぁ……」


 物陰に身を隠しながら撃発。サプレッサーを装着した愛銃が標的を的確に沈めていく。


 射殺、射殺、射殺……。幾度となく繰り返す単純作業にもいよいよ慣れてきた。どうせこの一ヶ月がリセットされれば背後に転がる白装束はみな生き返るのだ。その前提が罪悪感を薄めているのも確かだった。


 久々に潜る九龍城は、依然と変わらず狂気が渦巻いている。塔都理想教会でない人間はすべからく惨殺される領域にあって、他人の命を推し量る暇などない。気を抜けばやられる。少しでも心を許せばつけ込まれ、なぶり殺される。


 ここは、ロックにとってそんな死地に等しい場所だ。


 数十メートルおきに遭遇する白装束を着実に潰しながら、ロックはやがて開けた場所に出た。


「ようやく中央部までこれたか」


 辿り着いたのは半径数十メートルに開いた円形のホールだった。かつては小規模の公演ホールとして使用されていた場所だったが、九龍城に取り込まれてからは遺棄され、いまは鉄骨や材木、木箱が乱雑に積み上がった倉庫と化している。


 ロックは息を殺して進む。

 死角が多い。運が悪ければ白装束と鉢合わせになる可能性が高い。鉈や鋸を振るう連中に距離を詰められれば、銃は不利だ。


 一歩進む度、靴底がざりっ、とした感触を掴む。空調が効いていないのか、饐えて、血なまぐさい臭気が充満し、冷静な思考を侵食してくる。こんな場所に長居はしたくない。はやる気持ちを殺しながらホールの中央部まで差し掛かった、その刹那。


 淀んでいた空気が、侵入者を喰らうかのように蠢いた。


「――ッ!?」


 ロックは咄嗟に背後へ身を翻す。

 その直後、眼前にあった木箱が爆散する。


「ほう……、これを避けるとは」


 ホールの奥へと続く方向、目線を上げる。

 うずたかく積み上がった瓦礫の天辺で、司祭の姿をした人間がロックを睥睨していた。


「総代の右腕ともあろうお偉いさんが、わざわざ俺を始末するためにこんなところまで出張ってくるとはご苦労なこった。そこまでしてフィーネのことが大事かい」

「レフィクール様の悲願を叶えるためには必要不可欠な存在だからな。そして、その悲願はもうじき成就する。ここで足止めをさせてもらいますよ」


 アポロが右腕を突き出し、指先で銃を象った。弓矢を引き絞るように左腕を引くと、その先端が微かに熱を帯びて白熱する。


《神能発動:ギリシャ神話――アポロン――不可視の弓矢ヘリオス・アロー


 アポロの右手が甲高い唸りを上げた。

 不可視の弓矢がロックの側にあった木箱を無惨に切り裂き、粉々にする。


「どいつもこいつも手荒なご挨拶だなっ!!」

「……逃がしはしない」


 飛び散る木箱の破片を払い避けながら退避するロックに、無情な追い打ちが迫る。


「――ちぃっ!!」            


 弾丸のように降り注ぐ無数の弓矢を、かろうじて躱す。

 身を捻り、バックステップを刻み、あるいは稲妻を走らせ、撃ち落とす。


「無駄な抵抗はよせ」


 対してアポロは機械的な所作で不可視の弓矢を放ち続ける。目の前の障害を排除すべく洗練された挙動に一切の迷いはない。眼前の敵を射殺すために全神経を尖らせるアポロに反撃する隙など、もっての他だった。


 矢継ぎ早に放たれ、確実に心臓を狙ってくる弓矢を前にロックができることは回避のみ。


「反撃する隙くらいはくれたっていいじゃねぇかよ――ッと!?」

「与えると思うか? この私が」

「あるわけねぇのは百も承知だ!!」


 レフィクールに忠実で、命令を確実に遂行するからこその右腕。

 降り注ぐ苛烈な鏃を銃弾で弾き、軌道を逸らす。標的を失った一撃はロックの周囲に積み上がる材木や鉄筋を粉砕し、粉塵を巻き起こす。


「しぶといな。やはり二つ名持ちの相手をするのは骨が折れる」

「そいつはこっちの台詞だ。てめぇだけは相手をしたくなかったんだがな」

「同感だ。それにしても、どうして《不可視の弓矢》をこうも易々と……っ!!」

「そいつは光栄だ――っと!!」


 思ってもいないことを鬱憤とともに吐き出す。

 アポロの不可視はその実、視覚に認知されないよう光の屈折を駆使して見かけ上、透明にしているだけだ。神能ゼウスの力を以てすれば軌道を看破することなどたやすい。しかも、殺意に満ちた鏃はすべてがロックの心臓を射貫こうと迫り来るのだから軌道が読めないはずもない。


 ゆえに不可視ではない。すべて見えている。

 けれど、反転攻勢に出る機会はいつまでも訪れない。


 出力も、速度も、精度も、常軌を逸している。

 銃を構え、標準を合わせていたらやられる。それほどの速度でアポロは弓矢を放ち続けていた。


 まして瓦礫の上から標的を見下ろし常に標準を合わせ続けるアポロと、入り組んだ隘路を逃げ回るロックとでは、戦場での優劣は明らか。


 反撃の糸口も掴めないままホールの入口まで戻ってくると、ぴたりと弓矢が止んだ。

 スタート地点まで戻された、とでも表現すればいいか。


「……射程圏外か」


 推定距離にして半径100メートル。その領域に踏み込めばアポロの餌食になる。

 だが、踏み出さなければフィーネは救えない。


「――ッ!!」


 ロックは呼吸を整え、再び駆け出した。同時、弓矢の驟雨が再びロックを襲い始める。


 弓矢を躱し、避け、そうしてロックは着実に前へ進む。前傾姿勢を保ったまま、右手に構えた銃を宙へ撃発させ、詠唱。


猛り狂え、雷帝の怒りサンダー・ボルテックスッ!!」


 ロックへと降りしきる殺意を稲妻が撃ち落とす。

 隘路を駆け、不可視の弓矢を的確に処理していくロックに、アポロがいよいよ吠える。


「小賢しいっ。そうしていつまでも逃げられると思うなよっ!!」

「馬鹿の一つ覚えみてぇに急所だけ狙ってるのがバレバレなんだよ。そんなんで俺が止められると思ったら大間違いだ」

「……ならば、面で制圧するまでだ。潔く死ねいっ!!」


《神能発動:ギリシャ神話――アポロン――陽光を纏いし戦車チャリオッタ・メテオレイン


 穿たれた弓矢の先端が宙で細かく砕け、飛礫となってロックへ飛来する。幾重にも連射された鈍色の弾幕。逃避は不可能で防御は無意味だと思い知らせるほどの弾圧。

 凌ぐには、迎え撃つしか術はない。


「くたばってたまるかよっ!!」


《神能発動:ギリシャ神話――天空神ゼウス――雷迅よ、走り狂え閃光の如くスパークル


 ロックは弾幕に向かって両手で斜め十字を切り結んだ。

 稲妻が、縦横無尽に空間を埋め尽くす。

 瞬間、視界が明滅し、空気が震撼した。

 粉塵爆発とも見紛う衝撃が耳朶を叩く。だが、ここで止まれば数瞬後には再び鏃の餌食になるだけだ。吹き飛びそうになる身体を前へ倒し、ロックは灰煙の舞う只中を駆け抜ける。


「させるか」

「――ッ」


 煙幕を食い破り、なおも急所へと迫る弓矢を銃で迎撃する。煙に巻かれて姿は視認できなかったはずだというのに、アポロの一矢は無慈悲なまでに急所に狙いを絞っていた。


「なんて精度だ。馬鹿げてやがる」

「お互い様だろう、そいつは」

「そんな場所から俺を射貫こうたって無理筋だろうよ。いくら命中率が高いからって距離が詰まらなきゃ的に届く前に撃ち落としちまうぜ?」

「やすい挑発だ。そも、私の役目は貴様を屠ることではない。言ったろう、足止めだと」

「ちぃっ……」

「勝敗などに興味はない。貴様がここでくたばろうが生き存えようが、私の知ったことではない。だが、こうして殺すつもりでやらねば止められんだろう。その程度には危険視している。少しは誇るがいい」

「ちっとも嬉しくねぇよ」

「とはいえ、そろそろ頃合いだな。足止めとはいえ、いつまでもここで貴様の相手をしてられるほど暇というわけでもない。あとは任せるぞ――」


 そう言って、突如として姿を眩ますアポロ。

 同時、ホールの奥へと繋がる通路で人影が揺らめいた。


「ええ、任されました。ここはあなたより僕が適任だ」

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