13
「……僕、は――」
ダインは屋上に設けられた鉄柵に寄りかかり、寒空に白い吐息を燻らせる。
すべてを思い出してしまった。
「僕は、どうすればいい」
だから、ここにいるべきではない。
ロックの隣にいてはならない。
フィーネの隣に立つ資格などありはしない。
何気なく身につけていたネックレス。そこに架けられた十字架の意味など、これまで一度だって考えたこともなかった。けれど、これは――、
「……っ」
胸が締め付けられる。こんな裏切りが許されるはずもない。
だが、自分がここで動かなければ、なにもかもが無為と帰してしまうのだ。
何万回も繰り返した十二月の意味も、フィーネがこの世界に現れた意味も。
自分自身が思い出したことのすべてを、あの瞬間まで忘却していたことすらも。
「この世界を救えるのは、僕だけ……」
「……ダイン?」
一人呆けたように夜景を眺めていると、コートを羽織ったフィーネがやってきた。
「……っ、なんでここに」
「ちょっと、私も夜風にあたりにね。それに、なんだか放っておける雰囲気じゃなかったから」
ダインの隣へ並んだフィーネは、両手を擦り合わせ、吐息で両手を温めながら、ダインと同じ夜景を眺める。地上からライトアップされる白い尖塔と、遠く離れた位置でその威容を宵闇に浮かばせる大樹。その二つを見比べながら、フィーネがゆっくりと切り出す。
「ダインさんがあの大樹の下で頑張っている間、私も色々な場所に連れて行ってもらったんです。けれど、なにも記憶は思い出せませんでした……」
「……そうですか」
「色々な場所を一緒に巡ることができてよかったです。世界にはもっと色々なことがあるんだろうけど、きっと、その景色に触れることはできないだろうから。そういうの、なんとなくなんですけど、不思議と分かってしまうんですよね」
「…………っ」
「……ああ、やっぱり、そうなんですね」
「えっ……」
「……だって、否定してくれないじゃないですか」
「それは――」
「言い出す覚悟ができていない真実だから、でしょう? 否定してしまえば、それは優しい嘘になる。けれど、あなたはそこまで嘘を吐くことに慣れていない。私に対する態度で分かっちゃいますよ、そういう不器用なところ」
「っ……」
「私は、何万回も繰り返すこの世界で、たった今回だけ現れた特異点のようなもの。そうですよね?」
フィーネの詰問に、ダインが言葉を詰まらせる。
「潜入捜査で知ったんじゃないですか? 私がどういう存在なのか。その情報が私たち三人の関係を壊してしまうから、ロックの前では言えなかった。私にはそう見えました」
フィーネがダインの肩に寄り添い、優しく囁く。
「だから、教えてください。私は覚悟ができています。この数日、私の痕跡はこの世界のどこにもなかった。それはつまり、これまで私は一度だって存在したことがなかった。誰の記憶にもないというのは、そういうことだとはっきり理解できてます」
「……真実を知れば、きっとあなたは幻滅する。この腐りきった世界のことなんて、どうでもよくなる。世界のために生かされて都合のいいように使われるだけだ。そんな残酷な運命でも、あなたは知りたいですか」
ダインはフィーネへ向き直る。
かつての恋人と同じ藍色の瞳が微かに揺れている。
フィーネが抱える不安を自分が背負うことは許されない。いっそこのまま逃げ出してほしいとすら思う。
けれど、どこに?
彼女はどこにもいけない。
この永劫輪廻の鍵である以上、逃げ場などどこにもない。
「ずっと、この身体の奥底が叫んでいるんです。使命を果たせ、この世界を救え、と。私は、私の為すべきことを果たしたい。たとえそれがどんなにひどい結末を迎えるものだとしても……いえ、だからこそ、知らなければならないんです」
フィーネの決意をダインは否定できない。
とうに彼女の意志は固まっている。
どれだけ過酷な運命が待ち受けていようとも、残酷な未来を知ろうとも、揺るぎはしないのだろう。
ならば、ダインも逃げることは許されない。
とうの昔に決意し、来たるべき未来を待ち望んでいた自分こそ、ここで腹を括らなければならない。
「…………っ」
重圧に肺腑が押し潰されそうだ。
世界の命運は自分に掛かっている。
その厳然たる宿命に息が詰まりそうになる。
きっと、ロックには恨まれるだろう。一言くらい相談して欲しかったと殴ってくるかもしれない。そういう人だからこそ、余計に明かせない。
はるか昔のダインが己に宿した復讐の灯火。
かつて愛したエヴァをなくした痛み。
それらを抱えたまま、世界のすべてを騙し、欺いて。
ただ一人の共犯者とすべき彼女の前で、ダインは語る。
己が覚悟を決めるために。
「……分かりました。僕が知りうるすべてをあなたに教えます。その代わりに、一つだけお願いがあります」
「……なんですか?」
「僕にすべてを委ね、協力してください。僕は、塔都理想教会の悲願を潰し、この狂った世界を元通りにします。そのためには、あなたの力が必要です」
「…………やはり、そういうことなんですね」
フィーネは柔らかく微笑んだ。
「十二月が永劫に続くこの世界を終わらせる。その鍵を握るのが、私」
「そして、その鍵と扉を壊すのが、僕の宿命です」
※※※
「――…………っ、くぁぁ」
身体の節々が痛い。ロックが目を覚ますと、すでに窓の外から陽光が差し込んでいた。ソファーに深々と沈んだ腰をあげる。
ロックが持ち帰ってきた書物を読みながらフィーネの帰りを待つつもりが、解読している最中で睡魔に負けて眠り込んでしまったのを思い出す。解読のほうは大方済ませたが、まだ一部残っている。それも今日中に終わるだろう。
「そういや、あいつらの姿が見えないな……」
ダインとフィーネは揃って不在だった。屋上で朝日で浴びているのだろうかと覗いてみるものの、もぬけの殻。靴がないということはどこかに出て行ったとしか考えられないが、ならばどこに向かったのか。
身体を起こし、テーブルに放ってあった書物、そこに見慣れない便せんがみえて、ふと、いやな気配がした。
「……これ、は」
ひらりと舞い落ちる紙切れを拾い上げ、
「……………………なっ」
そこへ書かれた一文に、ロックは絶句する。
『フィーネさんを連れて、僕は塔都理想郷団の本拠地へと戻ります』
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