12

「そろそろ戻ってくる頃か」


 ダインが塔都神宮砦へ潜入してから五日が経過した日の夜。

 ロックはソファーで一人、窓の外の景色を眺めていた。

 フィーネは長風呂の真っ只中で、ご機嫌な鼻歌がリビングまで聞こえてくる。


「……あいつが仮に成果なしで戻ってきたら、どうするかね」


 自分で入れた珈琲を啜りながらそんなことを呟くも、プランはない。

 この五日、フィーネを色々な場所へと連れ回した。

 領域内に残された電車の各駅を巡り、神能を開発した企業のトレードマークである白亜の尖塔の内部を見学し、様々な美術館や博物館を練り歩き、塔都の街並みを見て回った。イヴの眠る墓地、イヴの好きだった景色の映える展望台、古き良き景観の残る御苑、等々。


 けれど、結論からえば、フィーネはなにも思い出さなかった。


 徒労に終わったな、とはさすがに口にできない。だが、名所はおよそ潰して周り、それでも成果がないのであれば、刺激をこれ以上重ねても意味はないに等しい。


 このまま記憶探しという名の小旅行を続けていても埒があかない。子悪党を成敗して得た金も、気付けば半分近くまで減ってしまっている。新たな仕事をしなければ下旬にはひもじい生活となってしまうことは避けられない。だが、フィーネの面倒をみるという行為が稼業に制限をかけるボトルネックになっているのもまた事実だ。


「シャワー、お先に頂きました~!!」

「おう。……って、おいおい、タオル一枚で出てくるんじゃねぇよ」


 見ればフィーネはバスタオルを胸元で巻いただけの姿だった。麦水を溶かしたような金髪は濡れそぼったまま、肩や頬は桃色に染まり、瑞々しく艶のいい肌を伝う雫が廊下やリビングにしたたり落ちて、男の目にはとてつもなく毒だ。


 さっと目を逸らしてロックは一言。

「ちゃんと服を着ろ。髪を乾かしてこい。風邪引くぞ」

 小言のようなロックの説教に、フィーネは口を曲げる。

「えー……。だって今日は暑いじゃないですか。暖房もついてますし……。こうして少しは湯冷めしないと汗が出てきちゃいます」

「だったら水でも浴びてくればいい」

「うわー……。それが乙女にかける言葉ですか。最低ですねー……」

「乙女の自覚があるやつが、家族でもなければ恋人でもない男にそんな姿を晒すな」


 ジト眼で見つめてくるフィーネに、ロックは目を背けながらもどこか投げやりな調子で言う。


「さっさと髪を乾かしてこいって」

「えー……というか、なんかやたらとそっぽを向きますね? あー、さては生まれたまんまの私の姿があまりにも扇情的だから直視できないとか、そんな可愛い理由だったりするんじゃないですかぁ?」

「……するか馬鹿。ただでさえ妹と瓜二つなんだ。妹に欲情とか、冗談だったとしてもあり得ない」

「あっ……そう、でしたね」


 墓参りをしたついでに打ち明けたことの一つだった。

 話をしたその瞬間こそフィーネはひどく驚いた様子だったが、当の本人にしてみればそれがなんだという程度のことでしかない。

 それでも、さすがに少しは気遣いができるらしい。


「さすがにそこまで変態じゃないってことですか」

「フィーネは俺のことを一体なんだと思ってやがるんだ」

「世話焼きな命の恩人ですけど」

「そんな大切な人に向かってよくもまぁ変態だのなんだのと……」

「……そこまで私のために行動してくれるから、こんな姿を晒しても安心できるって意味に捉えないところもロックらしいですね、ほんと」


 思いも寄らないカミングアウトに、ロックは面食らう。


「……………………えーっと」

「なぁ……、なんでそこで黙るんですかっ!?」

「あー、いや……まさかそんな煽りがくるとは思っていなかったから、どう反応すべきか迷っちまった」

「…………うう、そんな。恥ずかしい、死にたい」

「俺とダインの献身を仇で返そうとするな」

「……髪、乾かしてきます」


 そうして羞恥で顔を真っ赤にしながらフィーネがリビングから脱衣所へ踵を返そうとした、そのとき。


「――戻りました」

「あっ」

「……えっ」


 くたびれた様子のダインと、頬を桜色に染めてタオル一枚のフィーネの視線が交錯し。


 しばらく互いに無言で固まったまま、ようやくダインが口を動かした。


「……どうやら僕が頑張っている間に、随分とそちらの関係を進められたみたいですね。すみません、空気が読めなくて。戻ってくるタイミングを間違えたようです。お二人とも、どうぞごゆっくり」

「待て待てダイン!! お前は大変な勘違いをしてるぞっ!! タイミング間違ってねぇから戻ってこい!!」


 ロックはダインの誤解を解き、その間にフィーネが髪を乾かし終え、寝間着姿となったところで、三人はあらためてテーブルを囲んだ。


「……まったく。タオル一枚でこの部屋をうろつくなんて正気の沙汰じゃない」

「だからあれは風呂上がりで暑かったから湯冷ましをしようとしただけですってば!!」

「さっき説明されたので理解しましたよ。それにしたってもう少し気を使ってください。義兄さんだって免疫があるわけじゃないんですから」

「それは、はい。反省してます……」


 ロックとの言い合いで自爆したフィーネはまだ引き摺っているのか、あるいはダインが戻ってきたからか、的外れな叱責を受け、借りてきた猫のように大人しくなっている。


「とにかく無事に戻ってきてくれてよかったよ」


 衣服の汚れ具合からも、砦の内部では激しい戦闘があっただろうことが容易に窺えた。

 疲労も溜まっているのだろう、いつものような刺々しさは欠片もない。


「なんか雰囲気がだいぶ変わったな?」

「……そう、でしょうか? まぁ、色々ありましたからね。見たくないものも、思い出したくないものも、沢山ね」

「そりゃあそうか……。で、肝心の成果はどうだった」

「……やつらの狙いはただ一つ。この世界を生け贄に、新世界を創造することです」


 ロックの問いに、ダインはぽつりぽつりと語り出す。


「新世界、ね……。中二病が描きそうな絵空事だな……」

「……そうとも言い切れませんよ。やつらは本気です。少なくともレフィクールにはそれを実現する力があります」

「なんだよダイン。随分とやつらの肩を持つじゃねぇか」


 ロックは訝しげな眼をダインに向ける。


「……この永劫輪廻を引き起こしたのがレフィクールだと言えば信用できますか」

「……馬鹿を言うな。そもそもこの異常事態は神能が引き起こした事象じゃねぇって結論が出たろうが」


 それも、神能を保有する全員を皆殺しにするという極めて暴力的な方法で。


「神能ではない力による事象だとしたら、どうですか」

「…………んな馬鹿な。じゃあなんだ。これは神様やら天使やらがやりはじめたことだとでも言いたいのか? 」

「あいつは……、レフィクールは、人間じゃない。殺し合いなんて成立する相手じゃありませんでしたよ。僕の弾丸で心臓を貫いても死ななかった。自ら不死だと豪語して憚らず、事実、その通りでした。この世界にはレフィクールを排除する術がない」


 重い沈黙がリビングを支配する。


「……そいつの話はひとまず置いておこう。それで、フィーネを狙う理由はなんだ?」

「……新世界を顕現させるために必要不可欠な存在であるようです」

「フィーネがどういった存在なのか、そのあたりの情報は?」

「いえ、それは……。ああ、そうだ。もしかしたらここに書かれているかもしれません」


 ダインが思い出したように懐から取り出したのは一冊の書籍だ。


「教会本部で唯一入手できた代物です。あの教会が書き下ろした聖書のようですが、中身は僕も読んでいません。もしかすると、ここに情報があるかもしれない」

「でかした。ダインは休め。こいつは俺が解読する」

「……そう、ですね。是非、お願いします。僕は少し、風にあたりにいってきます」

「おう。疲れてるんだから早めに戻ってこいよ」


 ダインは重い腰を上げ、ふらついた足取りで屋上へと向かっていった。

「……あ、そういえば私、なにもお礼を言っていません」

 ふと、フィーネが思い出したように言った。


「これから伝えてきます!!」

「明日にでもしておけ。あいつも色々としんどそうにしてたし」

「……いえ、やっぱり伝えてきます。それに、誰かが隣にいてあげたほうがいいと思うんです。だって……ほら、私ってイヴさんと姿も瓜二つ、ですし……」

「……話をするだけにしておけ。イヴに似てるからって変な気を回すんじゃねえ。ダインはそういうことをすごく嫌がるからな」

「なるほど……。でも……。うん、とにかく私、行ってきます」

「行き先は屋上だろ。玄関を出て右手の螺旋階段を使え。あまり騒がしくすんなよ?」

「分かってますよ」


 そうしてフィーネはコートを羽織って屋上へと出て行った。

 フィーネが階段を上っていく足音を聞きながら、ロックはテーブルに置かれた書物を手に取る。


「とりあえず、こいつの解読は早いうちにやらねぇとな……」

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