10
ロックとダインはフィーネを連れ立って外へ出た。
神能によるまじないで、フィーネの姿はロックとダイン以外の誰にも見えていない。
「ふふっ……意外とセンスもいいですね、ダインさん。ところで……本当に周囲の方には私の姿、見えてないんですよね……」
きょろきょろと周囲の様子を窺うフィーネ。一歩踏み出すのも恐る恐るといった仕草で、ロックの右腕に絡みつきながら歩くものだから鬱陶しい。
ダインはフィーネと絡みたくないオーラを全身に纏い、我関せずといった態度でずかずかと先を行く。面倒を見ないと突っ張ってしまった手前、意地を張っているのか、あるいは本当にフィーネと絡みたくないのかは本人のみぞ知るところだが、少しくらいは相手をしてやっても罰はあたらないのではないだろうか。
「自分の姿が周囲に見えていないだなんて、なんだか全然信じられないんですけど……、だ、大丈夫、なんでっすよねっ!?」
「そんなに不安なら試してみればいい。ほら、あそこ。駅前の交番に鏡があるだろ? 前に立ってみな。ついでに警邏の目の前で両手でも振ってみればいい」
ロックが指差す原宿駅前の交番には、あくびをかみ殺して突っ立っている警官が一人。フィーネは恐る恐るといった歩調で警官の側へ忍び寄っていく。
「そ、そこで待っていてくださいね。なにかあったらすぐに助けてくださいよ!?」
フィーネは途中で立ち止まっては背後へ振り返り、ロックにびしりと一言。
「こんな場所に置いていかねぇから安心して確認しろってんだ」
「と、とにかくしばらくそこを離れないでくださいねっ!! …………おぉ、本当だ、映ってない」
鏡の前に立っても自分の姿がないことに驚きながら、警官の眼前に両手を振ったりあっかんべーをしてみたりと、やんちゃな仕草を披露してみせる。
警官は間抜けな顔をしたままだ。目の前で繰り広げられるうざったらしい少女の奇行など眼中にもないといった様子でぼけっと突っ立っている。
とりあえずは満足がいったのか、フィーネはご機嫌な様子でロックの隣へ戻ってきた。
「すごいですねっ!! 本当にみえてないみたいですっ!!」
はじめてペンギンをみた子どものようなはしゃぎ方だ。そんな仕草までイヴに似ているもんだからロックも苦笑する他ない。
「最初から言ってるだろうよ。あと、あまり大きな声出すなよ。あくまで姿だけが隠せてる状態であって、足音や話し声は筒抜けになるからな」
ロックは声を落として告げる。
「あ、そっか。気をつけますね。それにしても便利ですね、この神能ってやつ。みなさんこんな超能力をお持ちなんですか?」
「まぁ、大抵はな。けど、できることは千差万別だ。俺は雷専門。応用で光を屈折させたり火を起こしたりもできる。ダインのは少々説明が難しいが、端的に言えば異能を殺す力だ。だからあいつは超能力じみたことはできない。まぁ、俺たちにとっちゃダインの異能がもっとも恐ろしいことには違いねぇな」
「へぇ……色々とあるんですねぇ……」
「……さて、そろそろ他を当たるか。一カ所に留まっているのは得策じゃない」
端から見ればロックが一人、ぺちゃくちゃと声を出しているだけに見えている状況だ。訝しげな目で睨んでくる警官から離れ、人混みに紛れ込んだロックとフィーネはダインと合流してレッカの店へと向かう。
その道すがら。
「このあたりに見覚えはあるか? あるいは背後にある馬鹿高い建物とか、駅前の風景とか、九龍城に繋がるこの大通りとか」
「……いえ」
「じゃあ、あの積み木みたいなやつはどうだ。」
「んー……。ごめんなさい。やっぱりなにも思い出さないです」
「……そうかい。まぁ、覚えがないなら思い出しようもないか。ちなみにあれはこれからダインが乗り込む渋谷九龍城だ。奥の方から天に向かって馬鹿みたいなサイズの大樹が伸びてるだろ。あそこが白装束どもの本拠地」
神々しいしいその異様に、フィーネがごくりと喉を鳴らした。
「なんだか……、不気味ですね」
「ここらに住んでる連中でも滅多に近づかない。あそこは教会が統治するだけあって文化も価値観も大きく違う。おまけにここらとは比べものにならないくらい凶悪犯罪が頻発する場所でもある。踏み入れば最後、弱者は金も命も尊厳も根刮ぎカモられるのがオチってわけだ」
ゆえに警邏もろくに近寄らず、内部で起きた犯罪はその一切が明るみにでない。ちなみに昨日の渋谷九龍城における事故災害、事件の死者数は0。あの白装束の連中が人間を殺したことも、正当防衛とはいえロックが白装束を葬ったことも、すべてなかったことにされている。
そんな馬鹿な、と鼻で笑える程度には感覚も麻痺してしまったが、それが塔都の現実だ。
渋谷九龍城の住民だけではなく、この閉じた世界に住まう誰もが、その感性を狂わせたまま、正常だった頃のことなどとうに忘れて久しい。
「そんなところにダインさんは乗り込んでくれるんですね……」
「見送るときに感謝はしておけよ」
数メートル先を歩くダインの背中を見つめながら、フィーネがこくりと頷く。
やがて。
ロックたちはその視界に収まりきらなくなる威容の玄関口に到達した。
「ここが、九龍城……」
不安を感じたのだろう、フィーネが再びロックの右腕に絡みついてきた。周囲にぽつりぽつりと増えてくるのは白装束。その手に武器を持っていないところを見るに真っ当な意識のある教徒だろうか。だが、フィーネに区別などつくはずもない。
「静かにしてりゃあ気配は察知されない」
「レッカさんのお店はどこなんでしょう……」
「もう見えてきた」
言うか早いか、ダインが一足先に店内へ。ロックとフィーネも小走りで逃げ込むように足を踏み入れる。
「よう、レッカ。本日は晴天なり。お日柄もよく。調子はどうだ?」
「売り上げは地の底を突っ切って地獄みたいな有様だ。爆弾低気圧に当てられたような気分だよ」
レッカは相も変わらず頬杖をついたままロックたちを出迎えた。
「二日連続なんて珍しいじゃん。それにダインまで」
「仕事でね。僕はこれから一週間ほどこの砦で過ごします。ここにあるだけの弾倉と銃弾をいただけますか」
「……正気の沙汰じゃないわね」
「僕にではなく後ろにいる義兄さんに言ってやってください」
「ふぅん……。一体どういう風の吹き回し?」
「……まぁ、お前になら隠す必要もないか。おい、フィーネ。ネックレスを外してみせろ」
「えっ!?」
「安心しろ。敵じゃねぇから」
ロックに促され、フィーネは自分の姿を曝け出した。
「……あら、その子…………、なんでここに…………っ」
「色々と驚いただろうが、彼女はフィーネだ。諸々あって白装束らに追われている。成り行きで俺たちが保護してる。狙われてる理由をダインに探ってもらうってわけだ」
「なる、ほど…………。ふぅん…………」
イヴが押し黙り、ゆっくりとしばたたく。
「なんか愉しそうなことに首突っ込んでるじゃん?」
「これっぽっちも面白くありませんよ。まったく。地獄に全身突っ込んでいく僕の身にもなってください」
「とかなんとか言いながら、まんざらでもなさそうな顔しちゃってまぁ……」
「っ……、してませんよ!! これのどここが愉快な顔なんですかっ!? 節穴ですかあなたの目はっ!? それよりも早く在庫を出してください!!」
「なんだよ照れちゃって。慌てなくても逃げやしないってば。はい、これ」
けらけらと笑いながらレッカが足元のコンテナを引っ張りだし、カウンターに突き出した。弾倉はおそよ三十。持ち運ぶなら数としては充分な量だ。
ダインは持てるだけの弾倉をジャケットやワンショルダーバッグに突っ込む。
「ありがとうございます。それじゃあ
逃げるように店を出て行くダインの背中に向かって激励の文句を送る。
「おう。気をつけてな。なにかあったら連絡してこいよ。電波、滅多に繋がらないだろうけど。ほら、フィーネも一言」
「あっ、あの……、私のためにありがとうございます」
「……戻る頃には記憶を掘り返しておいてくださいね。奴らから情報を聞き出せるかわかりませんから」
ぶっきらぼうな態度でそう言い残して、ダインは鉄扉の向こう側へと消えた。
「……で、その子の世話はロックの役目ってかい」
「想像できるか? ダインが誰かの世話してるところ」
「天地がひっくり返っても無理だね。むしろ世話されるタイプだろ。……ああ、なるほどそれで」
妹の婚約者ながらまったくひどい性格をしているよな、とは思う。
フィーネに対する態度には目に余るところばかりだったのは言うまでもない。
「ダインにひどいことされなかったかい? フィーネちゃん」
「……あはは。まぁ、あまり気にしてませんけど」
フィーネも思わず苦笑いだ。
「この子、実は記憶喪失でな。あちこちうろついて、見たり触ったりしてれば思い出すこともあるかもしれねぇからって連れ回してんだ」
「白装束に追われてる理由もかい?」
「もちろん。個人的にもな、気になってんだ。昨日のこともあるし」
「そいつはあたしも思うところがある。ただでさえ商売あがったりなのに、余計なことしてくれやがって。とにかく商売あがったりでいよいよ冗談抜きで店も畳むしかないかも。そんなことになったら師匠に合わせる顔が――」
「……久しぶりじゃな。ここに来るのは」
「「っ!?」」
ロックは瞬時に身を翻す。レッカもまた隠し持っていた銃を抜き、玄関口へと突きつけた。
そこに立っていたのは嗄れた老人だった。長らく行方が知れなかった、この店の主。
「……いまさらなんのつもりで戻ってきたんだ、ヴァルカン爺」
「折角近くまで来たのでな。最後の挨拶をと思ったまでじゃよ」
「最後だぁ……?」
出ていけ、と言わんばかりなレッカの問いにも動じず、ヴァルカンは懐かしいとばかりに店内を舐めるように見渡すと、満足げな様子で朗らかに笑い出した。
「ほっほっほ。さすがは我が弟子だ。こんなご時世でも売り物の手入れは欠かしていないようじゃな」
「当たり前だろ」
「まぁ、このご時世、はたして武器など売れるのかの、という疑問は尽きないがな」
「……っ。この店を捨てたのはそういうことかよ」
「いいや? もっと真っ当な理由はあるが……。それはそれとして、懐かしい顔があるな。のう、ロック」
「生涯独身を貫いたあんたに祝福されてもなんの感慨もねぇけどな」
「祝辞くらいはありがたく受け取っておくのが礼儀というものじゃよ。して……、これはどうやら運に恵まれているのかの、儂は。フィーネリアがおるとは僥倖じゃな」
「なっ……、どうして彼女のことを知って――」
「知っているもなにも、教徒だからに決まっておろう?」
その言葉の続きを遮ったのは銃声だった。
「……教会連中は立入禁止って札、見えなかったか?」
レッカの銃撃は確実にヴァルカンの脳天を撃ち抜くはずだった。
だが、ヴァルカンは銃弾を受けた反動で大きく仰け反るも額を擦るだけで、けろりとしている。その顔にはかすり傷の一つもついていない。
「人の造る武器ごときで傷などつかんよ。忘れたか、レッカ」
「……知らないわけないだろ。弟子だったんだぞ? けど、これではっきり理解できたこともある。あんたはもうお呼びじゃない」
「こちらにはこちらの都合があるのでな、出禁など知ったことではない。儂に命じられた使命こそ、そこの
「そいつはできねぇ相談だぜ、ヴァルカン」
「お主の意見など聞いとらんよ、ロック」
「大事な依頼人に手を出すってんなら黙っちゃいねぇって話をしてんだよ」
「……ふむ。はした金すら持っていなかったはずだがの……?」
ロックもまた銃を構え、臨戦態勢を維持する。
一方、ヴァルカンは悠々と両手で杖をついたまま、視線をフィーネに向けるだけだ。
「……まぁいい・しばらくはお主に預けておけ、とレフィクール様も仰っている。ゆえに今日はただの様子見じゃ。いましばらくはこちらから手出しをするつもりもない」
「そいつはどうだか。白装束の野郎どもは見境なく襲ってくるぜ?」
「彼女を回収した暁には、レフィクール様とともに理想郷へと至ることができる、という望外の報酬に目が眩んでおる。儂には関係がないことじゃがな」
「…………二言はないな?」
「先程から何度もそう言っておろう。そも、神能で細工を施そうとも、ありとあらゆる神能を感知する儂の前では無意味じゃ。そこの女子の居場所などいつでも把握できる。回収するのであればもっと上手くやるわい」
「そう油断させておけば隙を見せるとでも?」
「……警戒されるのも無理はないか。いずれ機が熟したとき、回収に馳せ参じよう。それまでは、くれぐれも他の白装束どもに餌食にならんように気をつけるがよい」
そう言って、ヴァルカンは鍛冶屋から去っていった。
扉が閉まると同時、レッカは構えていた銃をがんっ、とカウンターへと叩きつける。
「姿を見せたと思ったら、なんだよ。なんなんだよ、あれは……」
「……まさか、だったな」
「ははっ……、気の遠くなるような歳月、ずっと、ずっと、心配してたっていうのに……。こんな仕打ち、ありかよ……」
「レッカ……」
カウンターに突っ伏したレッカに掛ける言葉は見当たらなかった。
「……悪い。一人にしてくれないか」
「……ああ。表の看板、ひっくり返しておくけど、それでいいな?」
「気が利くじゃん。助かるよ」
「また、様子を見に来るぜ」
返事はなかった。
フィーネの手を引いて店を出る。看板を『CLOSE』にひっくり返すと、借りてきた猫のように黙りこくっていたフィーネが口を開いた。
「……逃げ場、なさそうですね」
適当な相槌をしかけて、ロックはやめた。
それは、己の非力さを認めてしまうことに他ならない。
だから。
「逃げる必要なんかねぇだろ」
そんな、わかりやすく強がったフリをして、
「ほら、行くぞ。思い出すんだろ、失った記憶を」
努めて明朗な声を出し、前を向く。
ロックにはそうすることしかできない。
いずれ来る驚異に怯えて、逃げて、震えるなんて、らしくもない。
覚悟はとに済ませたのだ。なにをいまさら、怯える必要がある。
「別にヴァルカンに負けるわけじゃねぇ。レフィクールがなんだ。塔都理想教会がなんだ。そんな得体の知れない奴らにいいようにされてたまるかってんだよ」
「そう、ですね……。そうですよねっ!! 私だって、このままわけもわからず攫われるつもりなんてありません!!」
「おうおう、その意気だ。そんじゃ、気合い入れ直していくとするか、自分探しの続きをなっ!!」
「はいっ」
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