6
代々木へ戻った頃にはもう、踏みつけるアスファルトにはあちこちに水玉模様が描かれはじめていた。
湿った空気に混ざり込む腐臭混じりの血生臭さ。警邏の姿がやたらと目立つのは気のせいではないのだろう。連中も白装束の動向を注視せざるを得なくなっているのだ。
警邏連中に手当たり次第に声をかけ、少女を保護していないか訊ねるも、ものの見事に空振った。白装束の集団に狙われているかもしれないと情報をくれてやっても「はぁ……」なんて小首を傾げては生返事ときた。どいつもこいつも職務中だというのに気が抜けている。真面目に仕事をする素振りすらない。これで高給取りなのだからいいご身分だ。
「くそったれどもが。どいつもこいつも使えねぇな」
わかっていたことだ。一縷の望みを警邏連中に抱いたことすら恥じるべき愚行だ。
凶悪犯罪が増えたいま、強盗や誘拐程度では警察部隊はロクに動きやしない。殺人すら、現行犯でもない限りは逮捕も捜査も行われないのが塔都の腐った実情だ。
警邏が一時的に厳しくなっているのは、正気を失った白装束が大量殺人や放火、内乱を起こす可能性があるからで、職務質問なんて初歩的な職務すら放棄した愚鈍が頼りになるはずもない。
ましてその目的が少女誘拐となれば、現行犯ですら見逃す可能性も大いにありうる。いまの塔都は、少女一人が行方不明になったところで誰も気に留めやしないのだから。
「……どこいきやがった」
――無事でいてくれ。
入り組んだ代々木の細道を駆け巡りながらロックはそう強く念じる。
きっと杞憂にはならない。
何千年も生きていれば、この辺りで生活を営む連中の顔と名前など嫌が応にも覚えてしまう。だからこそ、彼女は白装束にとって――もとい彼らが信仰する宗教において、とても重要な存在そのものである可能性が高かった。
なぜなら、屑どもに捕まっていた少女の姿に見覚えがなかったから。
いまさら自分の生活圏で見覚えのない存在に出くわすなどあり得ない。
そして、あれほどの数の白装束が他人の血で穢れていることも、過去に例はない。
短絡的に考えれば、二つの出来事には関連性があると見るのが筋だ。
「とにかく誰よりも早く探し出すしかねぇ……」
午前中の一件もある。追っているのが白装束だけではない可能性も捨てきれない。一刻も早く見つけ出さなければ彼女が危ない。
だが、どこにいる? 見当がつかない。未成年が
闇雲に探し回っているうちに、曇天の空には薄闇が滲んできていた。夜の帳が降りてしまえば名前も知らない人間の捜索など不可能に等しい。なんとか手掛かりだけでも掴めれば……そんな焦りばかりが先立つ。例の少女に嫌われているかのような心地になってくるのは気のせいか。
「ああくそっ……いったいどこにいやがるんだっ」
今日、何度目とも知れない苛立ちを吐き出した、そのときだった。
「――……いやっ、こないでっ!!」
耳朶を叩く、不気味な静寂を切り裂くような悲鳴。
「――っ!!」
ロックの足は無意識に動いた。距離は近い。線路を挟んだ反対側。
駅の裏手にある公園へ駆けつけると、例の少女が二人組の白装束に両手を掴まれ、茂みのなかから引き摺り出されていた。
「やめてっ!! 離してっ!!」
「私が……見つけた……ははっ!! これでいけるぞ……理想郷へ……っ!!」
「俺たちが、理想郷へ至るわずかな切符を手にするのだ……、いひ、ひひひひひっ!!」
「共に逝こう、永遠の享楽を享受できる楽園へ……あは、はははは――」
「そこでくたばっとけ!!」
ロックは躊躇なく弾丸をぶち込んだ。
不気味な笑い声をあげていた二人組が脳漿をぶちまけて事切れる。
「あ、えっ……? いったい、なにが……」
「大丈夫か!?」
「あなたは、昼間の……」
「ああ、そうだ。追われているんだろう。俺が逃げるのを手伝って――」
そこまで言って、ロックは言葉を失った。
淡い藍色の双眸。麦水の穂先のように見目麗しく透き通るような黄金の髪。陶器のような白い肌。端正でありながら庇護欲をそそる目尻に浮かぶは星型のほくろ。花柄のワンピースにフード付きのコートを羽織った姿。
それらすべてが、まるで幼い頃の愛らしい実妹のようで。
「……イヴ?」
「……えっ」
彼女の困惑は初対面なら当然の反応で。
ロックは慌ててかぶりを振った。
――馬鹿か、俺は。こんなときに。
「あ、いや……、すまん。嬢ちゃん、名前は?」
「……私は、フィーネリア。フィーネ、と呼んでください」
「そう、か……。俺はロックだ。前に、どっかで会ったりしなかったか?」
「…………ごめんなさい」
言いようのない感情が去来し、ロックは奥歯を噛みしめる。
心の底で否定しながら、淡い期待を拭い去ることができていなかった。
死者を蘇生する神能は存在しない。それはわかりきっている。一年も前に死んだ存在が息を吹き返すなんて、そんな奇跡、起きるはずがないのに。
「……とにかくここから離れよう。目立つ場所はまずい。装飾品さえあれば俺の神能で小細工もできないことはないが……、指輪とか身につけては……ないみたいだな」
「すみません。着ている服以外は、なにも」
ロックはフィーネの手を引いて公園を後にする。代々木はロックにとって庭のようなものだ。生業上、物陰の多い路地や息の潜めやすい雑居ビルや廃墟ならいくらでも知っている。時間や天気、そういう複合要因を絡めた上での知見だ。
人通りの少ない場所を選びながら、ロックは頭を悩ませる。
目下の問題は、フィーネをどうするかだ。
今日一日、身柄を匿っただけでは意味がない。
いまや領域内で最大宗派となってしまった白装束どもは区域の至るところに存在している。そして、フィーネの華奢な首には盗賊三人が一ヶ月まるまる豪遊しても苦慮しないほどの賞金が懸けられている。
ロックのような二つ名でもなければ逃げ切るのは至難の業だろう。
それに、この一ヶ月を凌げばいい問題でもない。
いや、そもそも。
こんな八方塞がりの状況で、フィーネはこれまでどう逃げ延びてきたのだろうか。
「白装束に追われている理由はなんだ」
「……わかりません」
「家はどこだ。送っていってやる。それか、親御さんか友人はいないのか。このご時世、武器の一つも持たずに九龍城周辺をうろついてるなんざ自殺行為もいいところだ」
「……そう、だったんですね」
「その反応、マジか。いままでどうやって生き延びてきたんだ」
「……それは、その……実は――」
「――っ!! 伏せろ!!」
「きゃあっ!?」
フィーネの頭を掴み、無理矢理しゃがませる。
刹那、数多の銃弾が頭上を掠めた。大通りから流れ込んできた白装束の三人組が真っ向から銃を撃ってくる。射撃の精度が低いのが救いだ。
「いたぞっ!! 例の、少女だっ!!」
「私が、掴まえる……理想郷へ、逝くために……っ!!」
「譲りは、しない……っ!! 僕が、彼女を連れ帰り、楽園への切符を手に入れるっ!!」
「どいつもこいつも協調性のない野郎どもだなっ!!」
電柱にぴたりと身体をひっつけながらロックは応戦。
撃発した銃弾が命中し、白装束どもがばたばたと倒れる。
人気の少ない場所を選んで進路を取っていたが、九龍城から排出された白装束を完全に巻くのは無理だと悟っていた。
だが、こうも早く見つかるとは。
「俺から離れるなよ。息を殺していろ。声を上げれば場所を特定されるからな」
返事はなかった。その代わりに服の袖を強く引っ張られる。見れば、その肩が小刻みに震えている。
(まぁ、無理もないか……)
銃撃戦を始めてしまった以上、一定の場所に居続けるのは御法度。銃使いは常に現在地を悟られてはならない。ましてや、いまはフィーネを連れ回している。移動しながら一刻も早く安全な場所を探し出さなければならない。
「誰か、アテにできる奴はいねぇのか。あるいは場所でもいい」
ロックの問いに、フィーネは力なく首を横に振った。
ならば、選択肢は一つしか残されていない。
「……仕方ねぇ。匿ってやる。あと少しで事務所だ。それでいいな?」
フィーネがこくりと頷いた。
「……わかった。それじゃあ事務所まで行くぞ……あっ、まずったな」
「やはり、駄目でしょうか……」
「いや、事務所に来てもらうこと自体はいいんだが……」
事務所までの道に厄介な難所があるのを思い出し、ロックは頭をがりがりと掻いた。
ここからだと、代々木から新宿へ伸びる片面二車線の大通りを渡らなければならない。どうしたって飛び道具の的になる。白装束と警邏しかいないとなれば人混みに紛れてやり過ごすことも不可能だ。
安全の保証はできない。
だが、やるしかない。
空になった弾倉を捨て、充填。大通りに面する細い通りの出口に辿り着いたロックは、恐る恐る大通りへ顔を出す。
「……結構な数がいやがるな」
目視できた数だけでも二十を超えている。近接武器であれば無視できるものを、どいつもこいつも銃を手に持っている。
高給取りどもが白装束どもを銃刀法違反で締め上げてくれればな、と自分を棚に上げてロックは内心で一人ごちた。不幸中の幸いは、おそらく射撃の精度は高くない、と見積もれるところか。
どのみち避けては通れない道だ。悪態を吐いたところで状況が変わるわけもなし。
ロックは深く深呼吸をすると、曇天に向かって銃を掲げた。
「こっから反対側にある路地まで一直線に走れ。発砲されようが雷が落ちようがとにかくがむしゃらに駆け抜けろ。周囲のことなんてなりふり構わずだ。こっから飛び出すタイミングは俺が合図する。いいな」
フィーネは頷き、フードを目深に被った。
その返事に、ロックは切るように息を吐き、
「…………いまだっ!!」
引き金を引いた。
《神能発動:ギリシャ神話――天空神ゼウス――
二人が大通りへ飛び出す。
路側帯へ差し掛かったところで白装束たちが標的へ一斉に銃口を向け、撃発。
音速を超える鉛玉はしかし、ロックたちへ直撃する寸前、踊り狂う無数の雷光に撃ち落とされる。
腹を空かせた蛇のような雷帝の暴力は、極小の鉛だけでは飽き足らないと叫ぶかのように轟音を上げながら周囲の白装束どもを飲み込んだ。
それでも敵意は止んでくれない。
「――ちぃっ!?」
荒れ狂う神の怒りを掻い潜った銃弾の嵐がロックの足元を掠めた。
前を行くフィーネが「嫌ぁっ!!」と涙声で
「止まるなっ!! 死にたくなけりゃ走れっ!!」
反対車線を渡り始めたところでロックは顔を顰める。
ロックの神能は一瞬で敵を絶命させる威力を誇る反面、発動時間が短い。この場面では端緒が不利に働いていた。
みるみるうちに鳴動する雷の威力が弱まっていく。
見計らったかのごとくゾンビのように湧いてくる白装束。警邏どもがようやく事態に気付いて駆けつけてくるのが見える。なんとも間抜けな奴らだ、と悪態を吐く暇すら惜しい。
無能どもを睨みながら、ロックは再び天に向かって銃口を向ける。
その挙動が、間違いだった。
「あの男を、殺せぇぇぇえええええ!!」
「死ねぇぇぇぇぇえええええっ!!」
「なっ――」
まさか、目指していた路地から白装束が湧いてくるだなんて。
しかも、銃を曇天に向けたこのタイミングで。
「ちぃっ――」
眼前で鈍く光る銃口。ロックはフィーネを庇うようにして前へ躍り出る。
死を覚悟しながら、天に向けた銃口を振り下ろし、対面の白装束へ突きつけた。
「死なば諸共だ。畜生が――っ!!」
だが、ロックの銃も、白装束らが構えていた猟銃も、火花を散らすことはなかった。
なぜなら、
「――まったく、手の掛かる人ですね」
両者が引き金を引く寸前、呆れ果てた声が響き、
「が、っ――」
「あ、ぎっ――」
白装束の集団が血の華を咲かせて倒れたからだ。
路地裏から新たな影が一つ。硝煙を燻らせながら幽鬼のように死体の山を睥睨する碧眼の青年が、喜怒哀楽の一切を殺した表情を浮かべていた。
「馬鹿騒ぎがすると思ってきてみれば……。まったく、なにをどうしたらこいつらを敵に回せるんですか」
「……助かった、ダイン」
ロックは胸を撫で下ろした。
路地裏に駆け込み、肩で息をするフィーネの背中をさすりながら早口に続ける。
「悪いがこの子を事務所まで連れていってくれないか。追っ手は俺が相手する」
「ごめんですね。あなたが最後まで責任を持つのが筋でしょう。とはいえ、このまま外道どもまで招待されちゃあかなわない。こいつらの掃除は僕が引き受けます」
絶命した白装束を踏みつけながら、有無を言わせない口調でダインが言った。
「僕らの場所を特定されたら今度こそ終わりですからね。ここで食い止めます」
「……すまねぇ。露払いは任せた」
「戻るのが遅くなるかもしれませんが、心配は無用です」
「了解だ」
ロックはすれ違いざま、ダインの肩を叩いた。
ダインは鬱陶しそうにその手を叩き、深く息を吐く。
「あとはよろしく。頼んだ」
「……ええ」
ロックと少女の姿の姿を見送ると、ネックレスに通した銀色の指輪を握りしめ、ダインは酷薄に
「……まったく、世話の焼ける人だ。だけど、それ以上に……」
この世界に生きている価値など、白装束にはない。
だから、どれだけ殺しても良心の呵責など抱かない。
身体をずたずたに引き裂く痛みに
死んで償え。償いきれない罪を永劫に懺悔し続けろ。
愛しのイヴが最期まで生きたいと願った未来を、地獄などと嘆いて無為に生を謳歌しながら神に救いを求める屑どもに、慈悲なき死を。
「――さぁ、皆殺しだの時間だ。僕の弾丸の餌食になれ、屑ども」
《神能発動:ギリシャ神話――神殺しの始祖――神喰い》
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