5


 代々木駅前でダインと別れ、ロックは渋谷方面へと向かう。


 大規模な都市開発が行われた新宿とは異なり、神宮や自然公園とも近かった渋谷一帯は地盤沈下のおそれがあるという理由から、あるときを境に商業都市開発の枠組みから外れた。その一方、人口増加に一途を辿っていた塔都での住宅確保は喫緊で、都市開発候補から外れた渋谷一帯に白羽の矢が立った。

 開発都市から追い出された住宅難民が押し寄せた結果、渋谷周辺は違法建築が横行し、原宿の南部一帯すら飲み込んで、清廉かつ機能的な側面を徹底的に排除した雑居群となり果てた。法令度外視は上等。地番沈下など知ったことではない。息苦しいほど密接して建造されたかつての商業ビル群の上に、計画性皆無の仮設住宅が無尽蔵に積み上がり、その隙間には無数の鉄筋が張り巡らされている。

 かつて海の向こうの大陸に存在したといわれる遺産をもじり、『渋谷九龍城』と呼ばれる雑居群は、いまや開発区から追い出された貧困層の集う場所だ。


 ロックがやってきたのは九龍城の要所と呼ばれる、原宿は旧竹下通りに面した一角。すでに廃墟と化した雑居ビルが多い中、息を潜めるようにして『OPEN』の看板と、『ただし、教徒は立入禁止』と薄墨で書かれた木板を引っ掛けた鉄扉を開け、店内に踏み入った。

 店内もまたぐちゃぐちゃだ。壁に掛けられているのは剣や銃、短剣、弓矢、斧と、とにかく統一性がない。値札がないせいだろう、誰にも買われることなく居座り続ける調度品のような扱いに成り果ててしまっている。

 そんな店内の狭苦しい通路の最奥、こじんまりとしたカウンターで頬杖をついている紅髪の女主人の姿をみつけ、ロックは軽く手を上げた。


「よう。繁盛してるかい?」

「……喧嘩売ってんの?」

「恒例のご挨拶でしょうが。なんでそんな不機嫌なのさ」

「……あんたには関係ないでしょ」


 むすっとした顔をしたまま、彼女は背後のスチールラックから緩衝材に包まれた一丁の銃をカウンターに放り出した。あんまりな扱いに、ロックは眉間に皺を寄せる。


「ちょいちょい、レッカちゃん。お客様は神様でしょ? そんな物騒な顔で雑な仕事してたら神様が、離れていっちゃうぜ?」

「神様を微塵も信じてないあんたに言われたくないわ。神様を自称する客はゴキブリ以下だ」


 あちこちに跳ねるくせっ毛を指先で弄くり、宝石のような紅い瞳をロックへ向けながら、レッカはローテンションで愚痴を吐く。


「それ、たとえ相手が俺でも見せていい態度じゃねぇと思うがな」

「うっさいな。こうもけったくそな世界でまともに商売なんかやってられるか」

「そいつはそうかもしれねぇけど、オンオフくらい切り替えたらどうなのよ……」

「つうかさ。鍛冶をするためには金が必要で、好きなことを続けるためにやりたくもない店なんか構えてんだ。そもそもこのご時世、がっつり稼いでも意味ないし。どころか売り上げは日に日に下がっていく一方だし。鍛冶の依頼は減るばかりだし。親父も失踪して久しいし。そろそろ店を畳むしかないのかもなぁ……」

「鍛冶しか能がないのに、店を畳んだら今度こそおしまいだろ。洒落っ気くらい出せるようにしておけよ」

「それこそ面倒くさい。お洒落してどうすんの、あたしなんかが」


 男にも困らない顔立ちをしている彼女だが、身なりを整えるという思考は皆目ないようだった。鍛冶に熱中するあまり、武器磨きは得意でも自分磨きは不得手になってしまうのかもしれない。


(宝の持ち腐れとはこのことだな……)

「なんか言ったか?」

「……なんでもねぇよ」

(男勝りな仕草も、似合わないことはないんだが……)


 レッカを前にすると、なんだかダイヤの原石が原石のまま放置されているような心地を覚える。なんともいたたまれなくなり、ロックは心の中で両手を合わせた。


「……なんか失礼極まりない邪念を感じ取ったんだけど」

「気のせいじゃないか?」


 さすが、精神を研ぎ澄ます仕事をしているだけのことはある。

 変なことはあまり考えないようにしなければ、とロックは咳払いを一つ。


「不備はないはずだからこのまま引き取るわ。後払い分はいつもどおり――」

「悪いんだけど、追加で金貨三枚分、置いてってくれない?」

「……はい? なんでだ。いつもだったらこれで充分だったろ」

「値上げしたんだよ、値・上・げ。こっちにも色々事情ってもんが……あーもう、こんなときに電話か。ロック、ちょっと待ってて」


 苛立ちを滲ませながらレッカが電話を取る。この狭い店内、嫌が応にもその声は丸聞こえだ。


「……こちら鍛冶屋・烈火。……ああ、あんたか。どうした? ……うん……ああ、それで? …………はぁ? ちょっと待て。そいつはいったいなんの冗談っ――おい、ふざけんじゃねぇ!! こちとらボランティアじゃなくて商売だぞっ!! 仕事したぶんは雁首揃えてきっちり払ってもらわねぇと困るってんだよ!! ――あっ、くそ、おいっ!? 切りやがったな畜生がっ!!」


 罵詈雑言とともに地面に叩きつける勢いでスマートフォンをチェアークッションへ投げつけたレッカは、力なく項垂れて頭を抱えた。


「ああ、くそ……ふっざけんじゃねぇ……。最悪だ…………」

「なになに、どうしたんだ。そんなキレちまっって。鍛冶代を踏み倒されたか?」

「……預かってた武器がお荷物だって言われちまった」

「稼業を辞めるから、相棒は煮るなり焼くなり好きにしろ、ってか?」

「銃の代わりに十字架を握って理想郷に行くんだってよ。ったく、気が知れねぇよ。金も払わねぇクソ野郎が夢みてんじゃねぇよ。そんな不義理やってる奴が新興宗教に入信したところで神様に救ってもらえるわけねぇだろうがっ!! 脳ミソいかれてんのかよっ!!」

「……そいつはごもっともだ」


 事情をなんとなく察したロックはしばし逡巡し、金貨を五枚カウンターに置いた。

 それを見たレッカはばつの悪そうな顔を浮かべてぼそりと一言。


「……悪ぃな。この恩はいつか返す」

「別にいい。いつも世話になってるし、こいつはついでだ。さっき賞金首をひっ捕まえたばかりで金には困ってねぇ。タイミングが良かったな」

「……あたしもこの店を畳んで、あんたらみたいなよろず稼業にでも転向すっかなぁ」

「まだここに客がいるだろ。折角ここまで真っ当に生きてきたんだ。いっときの気の迷いで道を踏み外して天国に行けなくなったら後悔してもしきれなくなるぞ?」

「殺人も放火も窃盗も罰されない世界よりひどい場所があるなら拝んでみたいね」


 九龍城に居を構えるレッカだからこそ見えている地獄もあるのだろう。その一端を垣間見たことがあるロックも深くは突っ込まない。

 砦の内部は魑魅魍魎が蠢く地獄の深淵そのものだ。

 二つ名を持つロックでさえ、深く踏み入れば生きて出られる保証もない。


「レッカに鍛冶を辞められると困るんだよな。メンテしてくれる奴がいなくなっちまう」

「……ろ、ロックの頼みだったら……、いつだって受けてやるよ。店、畳んでも……」


 そっぽを向きながらレッカがしおらしい声でぼそりと呟いた。

マジか。そいつは助かるぜ」

「べ、別におまえが特別ってわけじゃないからなっ!! 客がいるならやってやるってだけだっ!! そこんとこ勘違いすんじゃねぇぞ!!」

「お、おう。それくらい弁えてるよ。なんで急に怒鳴り散らすんだ」

「……お、お前の目は節穴かよっ!!  ……別に、怒鳴ってねぇよ」


 突っ慳貪つっけんどんな返事をして、レッカはがばりと立ち上がる。


「よしっ、決めた。賭けしようぜ、ロック」

「お前どうしたんだ、藪から棒に」

「ずっと前から考えてたんだよ。仮にあと十回以内にこのループが終わったら、あたしはそのときに店を畳む。まぁ、鍛冶はやりきった感じもあるから、気が向いたときにやればいいし。もし終わらなかったら、そんときは憂さ晴らしの旅に付き合え」

「なんだそりゃ。俺になんのメリットがあるんだよ。つうか旅って、そもそも俺たちこの区域から出られないんだぞ」

「んなの知ってる。いつか終わったときの約束ってことだよ。全世界が羨む美貌を持つこのあたしと旅ができるんだから文句はないよな? あ、金はそっち持ちで」

「だから俺のメリット……」

「クソみたいな客ばっかでストレス溜まってんだよ。友達もみんな宗教にのめり込んじまうし、こんなわがままに付き合ってくれるのロックくらいしかいねぇんだよ……。だから文句言わずに付き合えっ!! 断ったら二度と依頼受けてやらねぇからな!!」

「そんな理不尽あるかっ!?」

「あ、あるだろっ!! どんだけロックの相棒の世話してやったと思ってんだ!!」


 びしっ、と人差し指を突きつけてレッカが声高に宣言した。

 面倒なことに巻き込まれてしまったと嘆くわけにもいかず、かといって堪忍袋の緒が限界に張り詰めているであろうレッカの頼みを無碍にできるわけもなく。


「……へいへい、わかったわかった。十回ループしたら、どっか遠くに連れて行けばいいんだろ? いまのうちに行きたい所を考えておけよ?」


 レッカの機嫌を取れるならそいつがメリットなんだろう。

 長い付き合いだし、世話になっているその恩返しだ、とロックはポジティブに考えることにした。


「候補はもう決まってるから。そっちこそ金を工面するの忘れんなよ」

「……ま、それはどうにでもなるから心配すんな。そんじゃーな」

 恒例となった用事を終えたロックは煙草を口に咥え、火をつける。

 いまさらながら、口に咥えたこれが今日の一本目だと気がついて、我慢すれば禁煙もいけるのではないか、なんてことをぼんやり考えた。


「いやぁ、いいことをすると気持ちがすっきりするもんだな。少し多めに払っちまったが、たまにはいいだろ」


 ちまちまとした善行もなかなか悪くない。

 なんだか今日は、例の少女とも再び出会えるのではないか。

 そんな予感に胸を踊らせていた。

 だが、浮ついた感情は、九龍城へ振り返ると同時、吹き飛んだ。


「あいつらは……」


 白装束の集団が門扉の開いた城門から行列をなして続々と吐き出されてくる。宵闇から這い出る怨霊を前にするようなおぞましい光景。

 普段なら気色が悪い、そう感じる程度だが。

 この瞬間の彼らは、あまりにも異様な雰囲気を纏っていた。

 白装束の外装、とくに前半身が皆一様に赤黒く染め上がり、その手に握っている金色の十字架も血塗られている。極めつけは、引き摺るように持ち歩く大鉈や鋸、野太刀といった武器の類い。

 疲弊しているのか、その多くは肩で息をし、足を引きずりながら、あるいは腹部や胸部を手で押さえ、幽鬼のように散っていく。


「……なんだ、ありゃあ」


 ロックは呆然とその異様を眺めていた。白装束たちは周囲から向けられる奇異の眼差しを意に介することもなく、悄然とした足取りで三々五々、街中へ消えていく。

いままでこんな事態に遭遇したことはなかった。

 殺人は異端者の行いであり、返り血を浴びれば即座に判別できるからこその白装束。ゆえに、人殺しを禁忌としているあの集団が血みどろになるなど、あり得ないことだった。

 異常事態と表現する他ない。彼らの様相にロックはしばし慄然とする。

このまま放っておけば、周囲で無差別に人殺しが起きる。ほぼ、確実に。

何万ヶ月と生きて積み重ねてきた生存本能が弾き出す直感が脳内に警鐘を鳴らす。


「……とりあえずは情報収集か」


 そう決めると、ロックは手近な白装束の一人に背後から強襲をかけた。

レッカから受け取った愛銃で手際よく肩口に二発、左右の太股に一発ずつ撃ち込む。呻き声をあげてうつ伏せに頽れる白装束の背中を容赦なく踏みつけ、脳天に銃口を突きつけたまま、ロックは静かに詰問する。一貫した行為に一切の躊躇いはない。


「答えろ。お前ら、なにをしている。手前(てめぇ)らの教祖は殺生を禁じていたはずだ。どうして血まみれなんだ。宗旨替えでもしたか?」

「……俺の、邪魔、を……す、るな……っ」

「諦めろ。抵抗すればここで殺す。俺の質問に答えれば解放してやる」

「ふざ、けるな……。こんな……ところで、止まる……わけには、いかない……っ。俺が……少女を、探し出さねば……」

「少女、か。どんな格好をしている」

「……俺が、探し出す、のだ……はじまりの、遺伝子、を……この、俺、が…………」

「質問に答えろ」

「そうで、なければ……選ばれ、なく、なってしまう……っ、俺は、理想、郷へ……っ」

「…………ちっ」


 目の焦点が合わない男に、ロックは無慈悲な一撃を見舞った。もはや用済みだ。

正気を失い、ただ譫言を吐く人間に尋問など、意味を為さない。


「……せめて安らかに眠れ」


 この男だけではなく、おそらくは今しがた見かけた白装束の全員が、正気を失ったまま少女を探し出すという使命のためだけに街中へ散っていったのだ。


「……クソッタレが」


 脳裏を過ぎるのは、つい数時間前に救ってやった名も知らぬ少女の姿。

 西の空を見上げる。

 抜けるような晴天は消え、空は鈍色に塗りたくられていた。草木の匂いも濃い。一雨くる。早いうちに見つけ出さないと面倒なことになりそうだ。


「嫌な空だな……」


 一人ごちて、ロックは吸いかけの煙草を踏み潰した。

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