3


 高層ビル群に切り取られた狭苦しい青空の下、ロックは息を潜めて路地裏を進む。


「そろそろのはずだ……っと」


 目的地に通じる丁字路を右へ曲がろうと踏み出した刹那、複数の人影を察知したロックは身を翻し、路地に積み上がった木箱に身を潜めた。

 目標を捕捉して、嬉しさよりも苛立ちが先立つ。


「…………野郎ども、足を洗っちゃいなかったみたいだな」


 どうやら懲りていなかったらしい。

 以前、窃盗団が強盗を働く現場に偶然出くわしたロックは、完膚なきまでに彼らを痛めつけ、牢獄に送った。半殺しに近い状態に追い詰めたうえで致命傷にならない程度に銃弾で手足を抉った。あれだけ痛めつけたのだから懲りたろうと高をくくっていたが、くだんの三人衆に反省の色は見られない。

 良くも悪くも、そのときとさして状況が変わっていない。懸賞金が懸かっている手前、ロックの懐事情を考えればありがたかったが、そんな事情を度外視したって放っておけることではなかった。

 三人が取り囲む小柄な少女の悲鳴が谺する。


「い、いや……誰か、助けてっ!!」

「はっはっはっ!! あえて人気のない場所へ引き摺ってきたんだ。蚊の鳴くような声でわめいたところで誰も来やしないぜぇ?」


 バンダナを頭に巻いた痩躯の男が、猟銃を突きつけながら少女に残酷な真実を告げた。そう、こんな場所、普段なら誰も寄りつかない。


「そ、そんな……」

「まったくこいつはツイてやがる。こんな簡単な仕事で教会からがっぽり金がもらえるとはなぁ。この一ヶ月は遊んで暮らせそうだ、ははっ。それにしても綺麗な肌してやがるぜ……おまけに未成年、顔も悪くねぇ。親方ぁ、こいつ、奴らに引き渡す前にヤっちまってもいいんですかねぇ!?」

「ひっ――」


 無精髭を蓄えた小太りの卑賤な欲望に、少女の顔が絶望に染まる。

 その仕草が下郎の嗜虐心をかきたてる。親分と呼ばれた大男が囚われの少女を睥睨し、鼻息を荒くしながら卑しく舌なめずりをした。


「依頼事項は指定の場所にこいつを生きて連れてこいってことだけだ。夕刻に身柄を引き渡せばいいからな、遊ぶ時間はたんまり残ってる。輪姦まわすな、とは命令されちゃいねぇなぁ……へへっ」

「う、うそっ……い、いやっ、引っ張らないで!!」

「いい加減、おとなしくするんだ。最初は痛いかもしれねぇが、そのうち気持ちよくなってくるぜぇ。病みつきになっちまうかもしれねぇなぁ…….。ひははっ!!」

「やだっ!! 嘘でしょ……っ、嫌ぁっ!!」


 少女の叫びが響く。

 それが引き金だった。


「……屑どもが」


 小さくそう吐き捨て、ロックは丁字路に躍り出ると、慣れた所作で素早く標準を合わせ、少女を羽交い締めにしていた下っ端の肩を撃ち抜いた。


「ぐあっ!?」


 小太りが呻き声をあげてたたらを踏む。


「嬢ちゃん、逃げろっ!!」


 拘束が緩んだ隙をついて少女が転がるように窃盗団の輪から抜け出す。

 ……が、すぐさま大男に手首を掴まれてしまった。逃走はあえなく失敗に終わる。


「やっ!! 離してっ!!」

「そう言われてカモを逃がす馬鹿がどこにいるってんだ!! それはそうと、よくもやってくれたな。どこのどいつだ。同業じゃねぇだろうな。こいつは俺たちが先に見つけたんだ。強奪ってんなら容赦しねぇぞ!!」

「はンっ。てめぇらと同業なんざ何遍死んだってお断りだ。牢屋で臭い豚飯を食いたくなけりゃいますぐ嬢ちゃんを解放しな」

警邏けいら連中のお仲間かい。こんなところを見られたとなりゃ生かしてはおけねぇなぁ……てめぇら、っちまえっ!!」

「アイアイサー!!」


 ロックと少女に挟まれた子悪党どもが、猟銃を間髪入れずに発砲する。

 あまりにも唐突な挨拶に、致命的なまでにロックの反応が遅れた。


「う、おっ――」


 そして、超音速の弾丸が正確無慈悲に心臓を射貫き、


「――と、こいつは随分と行儀の悪いご挨拶じゃねーの」


 ロックは無傷の胸元を擦りながら、忌々しげに舌打ちを鳴らした。

 無惨に焦げて胸部に風穴があいたジャケットから覗く肌色の胸元には、弾痕一つ残っていない。


「……おいおい、なんだそりゃ!? どうなってやがるっ!? なんで立ってんだてめぇっ!! ふざけてんじゃねぇぞ!! 死ねやぁぁぁぁあっ!!」


 バンダナ男が奇声をあげながら猟銃を連射する。

 だが。


「……おいおい。ちったぁ落ち着け、な?」


 標的の肺腑を喰い破るに十分な威力の銃弾は、虚空へ吸い込まれるかのようにロックの身体をすり抜ける。着慣れたジャケットもインナーの白シャツも穴だらけだが、その身体は五体満足なまま。


「弾丸が効かねぇだと……、てめぇ……なんだその神能はっ!?」

「待てよ、あいつどこかで……。ああっ、思い出した!! もしかしてずっと昔に俺っちのことを小太りの屑呼ばわりしてきたやつじゃないっすか!? ええと、名前は確か――」

「――……まさか、雷帝、ロック・ジャスティンか」


 親分と呼ばれる大男が顔を真っ青にしてぼそりと呟いた。


「そ、そうだ!! こいつ確かそんな名前……、えっ、ら、雷帝……だってぇ!?」


 悪党どもが一斉に後ずさる。

 その仕草があまりにも滑稽で、ロックは軽く噴き出してしまった。


「はっ、はははっ!! なんちゅう間抜けな面してやがる。それはそうと、こいつは光栄だ。どうやら思い出してくれたみたいだな」

「またしてもとんでもない奴に目をつけられちまったってことスか、俺っちら……」

「く……っ、畜生っ!! まったく面倒な輩に目をつけられちまった。あの時といい今回といい、二つ名を持つような大物がなんでこんなところにいやがるっ!?」


 表情を一変させ、恐れ戦く三人衆を前に、ロックは相変わらずからからと笑ってみせる。


「こんなところとは失敬な。代々木の住み心地は最高なんだぜ? ……と、冗談はこのあたりにしておくか。実はこの一ヶ月、真面目に稼業をするつもりでな。手始めにどうしようかと考えていたら思い出したんだ。いつぞやの十二月にも、ここで強盗犯どもを取り押さえたことがあったな、ってな」

「そのまま忘れていればいいものを……っ」


 ぎり、と奥歯を噛みしめた大男がロックを睨み付ける。


「子悪党が現場に戻っちゃいねぇか確かめにきたら、この有様だ。半殺しにして豚箱に送ったくらいじゃあ、その腐りきった性根は治らなかったみたいだな。とんだ骨折り損だ」


「馬鹿言うんじゃねぇ、こんなクソッタレな世界で足を洗えってか!? 生真面目に生きたところで全部元通りになっちまうんじゃあ意味ねぇだろうが!! 野郎ども、ロックを殺せ!! この一ヶ月はこれまでのとは違うんだ。この取引は絶対に失敗ブレークしちゃならねぇ!!」


「アイアイサー!! あんときと同じ俺たちだと思ってんなら大間違いだっ!! 地獄の焔に焼かれて死ねぇっ!! ひゃははははははははははははははっ!!」

《神能発動:北欧神話――ケルベロス――煉獄火炎ヘルフレイム


 バンダナ男が吠え、回路が埋め込まれたその右腕が眩く輝く。

 刹那、その猟銃から、青白い火炎が噴出した。

 身を隠していた木箱や周囲の民家が巻き込まれ、一帯が火の海になる。


「点でダメなら面で制圧しちまえばいいんだもんなぁっ!! さすがに神能まで透過でやり過ごすなんてことはできねぇはずだしよぉ!! あはははははははははははっ――」

「おいおい、そんな無意味に大火力を出してて火事になったらどうすんだ。それこそ警邏が集まってきちまうぞ?」

「…………は? なんで真後ろに――」

「とりあえず逝っとけ」


 いつの間にか背後を取っていたロックが、バンダナ男の脳天に鉛玉をぶち込んだ。

 悲鳴もなく、糸が切れた人形のように頽れる。


「そんで、ついでにてめぇらもなっ!!」


 事切れた雑魚を一蹴したロックは、間髪入れずに残る二人へ銃弾をぶちかました。

 眼前の小太りに二発、続けざま、大男に二発。

 だが、どちらも弾かれた。

 正確には、忽然と出現した豪腕に鉛玉をはたき落とされたのだ。


《神能発動:ギリシャ神話――ヘカトンケイル――百腕爆裂拳インファイト・ワン


「ここは任せたぞ」


 大男が小太りの部下にそう告げて、少女を無理矢理引っ張り、路地裏へと逃げ去ろうとする。ロックもその背中を追うべく踵を返すが、


「行かせるかよっ!!」

「そいつは俺っちの台詞だな!!」


 小太りの男が肩から百の豪腕を生やして立ちはだかった。

 発動した神能の能力か、丸太のような腕の一本一本が意志を持つかのように蠢き、ロックの眼前で曼珠沙華のように咲き乱れている。一撃でも脳天に拳をもらえば昏倒は免れないであろう巨腕を睨み、ロックは唾を吐き捨てた。


「ちっ……面倒くせぇ」


「意地でも通さないぜ。あいつを売り払えば一生遊んで暮らせる金が手に入るんだ。夢にまで見た億万長者になれるんだ!! だってのに……邪魔するんじゃねぇ!!」

「たかが一ヶ月の贅沢、そんなしょうもない理由で人身売買に手を出しやがったか。とことん救いようがねぇ」

「いつまでも減らず口を叩けると思うなよ。文字通り、袋だたきにしてやるっ!!」

《神能発動:ギリシャ神話――ヘカトンケイル――千手万雷咆哮打インファイト・ノックダウン


 驟雨のごとく降り注ぐ拳の嵐。

 それを、ロックはバックステップで躱す。

 そして同時、銃を天高く撃ち放った。


「はははっ、俺っちの猛打を前に降参の合図か? どこ向けて撃ってやがる!!」


 醜い笑みを浮かべた小太りの男へ、ロックは鼻で笑って返す。


「……くだらねぇ。てめぇは邪魔だ。そこでくたばっとけ」


 刹那。

《神能発動:ギリシャ神話――天空神ゼウス――雷迅よ墜ちろ、槍の如くライトニングスピア


 蒼穹から地へ向けて、無数の稲妻が駆け抜けた。


「あ、があああああああああああああああああああああああああっ!?」


 万雷に打たれ、小太りの男が命の灯火を燃やしながら断末魔をあげる。

 だが、悲しいかなここは人気のない路地裏で、いくら大声を上げたところで誰も助けにくることはない。

 ロックは黒焦げになって頽れた小太りを足蹴にし、忌々しく舌打ちを一つ。


「無駄な時間を喰っちまった。あの野郎、どこ行きやがった……っ」


 息を切らしてロックは駆ける。

 大男の背中を追いかけるにも、迷路のように入り組んだ路地裏は距離を離されると追跡も難しい。少女の声も聞こえず、足音もまるでなし。

 雑魚にかまけている間に手がかりを失ってしまった。

 諦めかけたそのとき、すぐ近くで発砲音が鳴り響いた。


「……っ、そっちか!!」

 ロックが駆けつけると、少女はおらず、その代わりに銀髪碧眼の青年が大男と対峙していた。


「ここまでだ、野盗」

 青年に撃たれたのだろう、大男は肩口を手で抑えながらロックへ振り返り目を眇める。


「くそ、挟まれちまったか……。にしても不幸ってのは続くもんだ」

「悪運なんて長くは続かねぇもんだ。身に染みて理解したろ」

 ロクは大男に銃口を向ける。

 大男を挟んで反対側にいる青年もまた、大男へ銃口を突きつけたまま微動だにしない。


「時間稼ぎにもなりやしねぇのか、あいつらは……」

「ここらで年貢の納めどきだ。なにか言い残すことはあるか? あるいはこの場で警邏に突き出される覚悟があるなら、多少は情状酌量の余地もあるってもんだがな」

「獲物も取り逃がしちまうわ、出会い頭に一発ぶち込まれるわ、ああくそ、散々だっ!!」


 ロックの問いに、大男は居丈高に叫び、腰に据える大剣に手を掛ける。


「そいつが答えってことでいいんだな?」

「こうなりゃ容赦しねぇ、てめぇらまとめて殺してやるっ!! 俺様の神能に恐れ戦けっ!! タダで済むと思うなよっ!! 死ねやあああああああぁぁぁっ!!」


《神能発動:北欧神話――黒の巨人スルト――世界に破滅をもたらす焔の剣レーヴァテイン

 裂帛の気合いとともに、大男は帯剣していた剣を居合抜きのごとく振り抜いた。その巨腕から繰り出されるは、大地をたやすく切り裂き、ロックと青年を粉微塵に消し去って余りある一撃。

 だが、


「――……はぁ?」 


 剣は虚しく空を切るだけ。

 この空間を極炎に染め上げるはずだった超常現象は不発に終わる。


「なんだ、こいつは。どうして神能が発動しねぇ……?」


 茫然としたまま、大男は己に傷を負わせた痩躯の青年をみつめ、その視線を彼の握る銃へと向けた。

 無情に大男を睥睨する碧眼。その胸元に光る鈍色のリングと十字架。

 そして、十字架の紋様が刻まれた漆黒の銃身。


「……まさか、そいつは……っ!!」


 それは、あらゆる神能使いにとって天敵にも等しい異名を持つ万屋が愛用しているという、この世に二つと存在しない噂の一品ではなかったか。

 全身の血の気が引いていく感覚に、大男はたたらを踏み、そして悟った。


「てめぇ、神殺しのダインかっ!? お、俺様の神能を殺したのかっ!?」


 大男の問いに、銀髪の青年が澄み切った双眸をすがめると、丁寧な口調で吐き捨てる。


「物騒な言い方はよしてください。右腕を撃ち抜いたのはれっきとした正当防衛なんですから。そもそもこうしていなければ、お前は僕を殺していたところですよ。小さいころ、人にされて嫌なことはするなと教わらなかったんですか。……ああ、そうか、なるほど。これは申し訳ない。屑野郎が何千年も昔のことを覚えていないのは当然のことでしたね」

「許さねぇ……。よくもやってくれたなてめぇっ!!」


 神能を封じられた大男が闇雲に剣を振るうも、その銀髪の毛先にはまるで届かない。

 大振りの斬撃を器用にあしらいながら、蒼眼の青年はつまらなそうに大男を睨めつける。


「異名を知っていながら僕にたてつこうなんて、身の程知らずもいいところですね。呆れを通り越して感心すらしてしまいますよ。命まで取るつもりはなかったんですが、望みとあればあの世へ送ってやりましょう」


 そうして一転、華麗な身体捌きで一気に距離を詰めたダインは、大男が振り下ろした剣を上から踏みつけ、同時、漆黒の銃を獲物の眉間に突きつけた。

 その銃身に宿る十字架は、死者の安らかな眠りを祈るように鈍く輝いて。


「ま、待てっ、馬鹿、ふざけ――」

「縁があったら、いずれ、また」


 手向けに送る、造りものの微笑には微塵の慈悲もなく。


「……いや。願わくば。もう二度とその面を僕の前に持ってくるなよ、クソ野郎」


 乾いた銃声が鳴り響き。

 青年は躊躇なくその眉間を撃ち抜くと、路地裏には静寂が訪れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る