六章 サバストと王 第七話
サバストは打ちひしがれていた。あの敗退の報せが届いた時、彼は信じられぬ気持ちであった。まさかあのナフシスが戦死するなど、彼を知る人間ならば、サバストでなくとも信じられなかったに違いない。たとえ、敵軍に竜が現れたとしても、である。
氷竜候はかつてサバスト自身、敵として対峙した事もある。彼女が竜に選ばれたのは、まだ十九の時だったと聞く。しかし、その読みは鋭く、戦局を見誤る事はなかった。まだ若年の女であるにも関わらず、怖ろしいまでの冷徹な判断には舌をまいた記憶がある。
普通ならば、あの辺りの領土戦に竜候自ら出てくる事はないはずだった。かの国の北方は魔族の領域であり、常に魔族との戦を抱えている。例年ならば、氷竜候もそちらに手を取られているはずだった。
しかし、遅れた雪が予想外に戦局を長引かせた。一向に収まらぬ南の戦局にしびれを切らして、現れたのだろう。事実、一戦を交えただけで即座に停戦の提案をしてきている。
(……若さが出たのだ)
予想外の暖冬と自軍の調子の良さに、欲が出てしまったに違いない。ナフシスにはまだ竜と戦った経験がなかった。竜の力を利用した逆襲があるという読みが抜けていたのだ。自分がもっと言い含めていれば……、優勢になった段階で膠着させよと厳に命じておけば……。
戦場に生きる者として、息子の死を覚悟していなかったわけではない。しかし、これほど若く、しかも、国中が竜を待ち望んでいる中で失ってしまった事に、彼は絶望していた。せめて、息子が愚将として歴史に名を残す事だけは防がねばならない――彼の頭に残ったのはその一念のみであった。
その夜の事であった。深夜、王宮内の客室で一人打ちひしがれる彼のもとに客が訪れた。客の名はソンド・ニ・ブレエク。ブレエク家は灼竜国西部の名家であり、ソンドとサバストは旧知の間柄でもあった。
「ナフシスの死、実に残念であった」
ソンドは言った。
「若くして、あれほど遣える者はいなかった。あれほど……あれほどの才が失われるとは……。誰もが次の世代の担い手になるだろうと思っていた。王ですらもだ」
「……しかし、死んだ。あの魔女にやられたのだ」
「……相手は竜だ。ナフシスが竜と相見えたのは初めてだっただろう。いかにあの天才でも竜を相手にすれば、敗けは止むを得まい。ナフシスが竜に選ばれた後であったなら、違っただろうが……」
サバストの口から乾いた笑いが漏れた。自嘲の笑いだった。――あれは愚かな間違いだったのだ。
「お前もそう思っていた口か?」
その問いかけに、ソンドは苦々しく頷いた。
「お前が代を譲ると言った時、皆反対したが、私はお前と同じ考えだった。ナフシスこそ竜に相応しい者だった。我が国には竜が必要で、ナフシスはその候補の筆頭であった。……しかし、宮廷でぬくぬくと仕事をしている文官や、戦場も知らずに文句ばかりを言う愚民たちは、戦場での竜がどれほど恐ろしいかを知らん。我々が命を賭してこの国を守っているというのに、奴らは安全なところから文句を言うばかりだ」
サバストは怪訝な顔で旧友を見た。
「……何が言いたい?」
彼はサバストの顔をのぞきこむようにして続けた。
「真に国のために尽くしているのは我々だということだ。我々が血を流して国を守り、玉座を守っている間、王は細工や商売が得意なだけの者達を重用する。竜に選ばれるかとまで期待されたお前の息子も、文官どもによってただの愚将であったと書かれるのだ。それを許していいのか?」
無論、許す事などできない――真実はそうではない事を自分は知っている。愚かだったのは彼の父親の方なのだから。
「……我々は王を討つ。前々から準備していた。お前は王を支持していたが、この一件で王の真意が分かったろう。王は将兵たちに命を落とさせておきながら、それを軽んじている。この国を支えているのは、我々だというのにだ……! 我々は臣の忠義に報いぬ王を討ち、王弟殿下を新たな王としてお迎えする!」
サバストは信じられぬという目でソンドを見た。
「まさか王を弑すつもりか……!」
「そうだ。お前も我らと共に立て! シュローは誰よりも血を流してきた家だ。お前の息子は、次の我々を率いる者になるはずだった。戦を継続し、いつかナフシスの仇を討つのだ! 息子に愚将の汚名を着せるなど許してはならんぞ!」
その言葉はサバストの胸に響いた。しかし、サバストの脳裏に一瞬、別の事が浮かんだ。
「……王女は……王女殿下はどうなる?」
「殺すほかあるまい。殿下は正当な後継者であられせられる。残しておいては、後の憂いに繋がろう」
「殿下はまだ十二だぞ! 王とは思想も違うかもしれぬ! 咎なき子供を手に掛ける事は飲めぬ!」
ソンドは首を振った。
「諦めよ。王は只人ではない。これも王族の宿命である」
ソンドはサバストの肩を一つ叩き、去っていった。
サバストは放心したまま、夜を過ごし、やがて朝日が差し込んできたのに気付いた。彼ははっと気づいたように机に向かい、短い手紙をしたため、それを部下に手渡した。
「至急、チハヌ州へと戻り、これをホスロに届けよ!」
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