四章 ラハタとセティヌ 第五話
――やはり、自分達では何もできない臆病者なのだ
とケヤクは思った。あの時もそうだった。目の前で子供が攫われ、仲間が殺されていたのに、何もせず震えていた。税を貪る貴族を憎み、陰口を叩くくせに、いざとなれば貴族を頼るしかない弱虫たち……。
(お前は違うのか?)
どこかから声が聞こえた気がした。
「違う!」
心の声に苛立って、ケヤクは虚空に言い返した。
――自分は違う! あんな臆病者じゃない! あんな……大事な時に何もできないような……陰口を叩くしかできない弱虫たちとは!
ははっ、と嘲笑う声が聞こえた気がした。
(お前だって何もできずに地面に寝ていただけじゃないか)
「うるさい! 守ろうとしたんだ!」
(力がなくば、同じだろう。お前が弱かったからサーシェは攫われたんだ)
「うるさい! うるさいうるさい! あんなやつらと一緒にするな!」
ケヤクは心の声にむきになって言い返した。
(ならば、証明してみろ)
最後にそう言って、心の声は消えた。
――くそっ!
自らが生み出した幻聴に、ケヤクは腹が立って寝床から起き上がった。
――いいさ、やってやる!
ラハタは大勢の人間が手ごわい事を知っているから逃げていくのだ。もし、子供が一人であったなら、ラハタも侮るかもしれない……。それにあいつが出るのは夜だ。昼間は寝ているはずだ。雪が積もった日に現れたら、次の日は足跡を辿れるはず……。
それは単なる子供の思いつきにすぎなかったが、ケヤクは試す事を決めた。これは自分を試すという事だ。自分が口先だけの臆病者ではない事を、自分自身に証明しなくてはならない。
ケヤクは武器の手入れを始めた。普段は獲物の肉を極力、傷つけぬよう、ごく小さな矢じりを使っていたが、これではおそらくラハタの毛皮には通らない。ケヤクは棚にしまってあった黒曜石を引っ張り出した。矢じりに使えそうだと山で見つけた時に拾っておいたものだ。
この黒曜石を鉈とやすりを使って形を整えて矢じりとし、やや重めの木を小刀で削って矢軸とした。これなら、なんとか分厚い毛皮でも突き通せるかもしれない。七本しか作れなかったが、これで十分に思えた。おそらく七本も放つような事にはならない。その前にどちらかが死ぬ。
証明の機会はすぐに来た。三日が過ぎ、雪が積もったある晩、魔獣が出た事を知らせる半鐘の音が聞こえた。いくらか置いて、また聞こえ、やがて聞こえなくなった。
明け方、母がまだ寝ているのを確認したケヤクは、手製の弓と下草を薙ぐための鉈を携え、こっそりと村を抜け出した。まだ暗い中、目を凝らしながら、雪上を探すと、やがて目当てのものが見つかった。その足跡は北の山へと続いている。昼間は北の山のどこかに潜んでいるのだろう――そう見当をつけ、足跡を辿りながら、山へ入った。
ラハタの足跡を辿るのは容易だった。兎の小さな足跡と違って、分かりやすい。しかも、ところどころで途切れる兎の足跡と違って、ラハタの足跡は一本道に続いている。
兎の方がずっと賢い――ケヤクは思った。これなら、確実に見つける事ができる。
雪の深さもちょうど良かった。太陽で溶けてしまうほど薄くなく、かといって足を取られるほど深くもない。寒さだけはどうしようもなかったが、それでも今日は良い方だった。
深く、深く山を分け入り、日も高くなったであろう頃、ケヤクは折れ木を見つけた。大人の腕よりも太い木が根元からへし折られており、その樹皮は何かで何度も引っ掻いたように剥がれていた。
ラハタが折ったのだ――ケヤクはそう直感した。こいつの寝床に近いかもしれない。ラハタは雑食だと聞く。作物を荒らすだけでなく、腹が減った時には適当な樹皮なども食べているのだろう。
さらに進むと、折られた木が目につくようになった。どれも似たような木が折られ、その樹皮が食われている。その量は明らかに大きな獲物である事を示している。近づいている――確信を得たケヤクは、真白い雪に残された足跡を夢中になって辿った。
そして、やつはそこにいた。
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