Ch1-2

 三日前の明け方、東京都庁と新宿中央公園を結ぶ歩道橋から、全裸で吊るされた死体が見つかった。第一発見者はトラックの運転手だった。


 その死体は男で、手首と足首をロープで縛られており、頭部には白いラバーマスクを被せているが、穴が一切ないために、顔が見えなかった。


 最も異様だったのは、胸部を切り裂かれ、心臓を抜かれた状態にあったことだ。


 司法解剖の結果、死因は頸椎骨折けいついこっせつ。要するに、首を絞められたのだ。どうやら素手で絞めたらしいが、指紋は拭き取られており、検出されていない。


 抵抗した痕跡はなく、体内に筋弛緩剤きんしかんざいの成分が残留していたことから、被害者は体の自由が利かない状態で扼殺やくさつされたと考えられる。


 そして、心臓は被害者の死後に摘出されたようだ。




 警察の捜査の過程で、歯の治療痕から、被害者の身元が判明した。堺利彦さかいとしひこという男で、都内の金融会社に勤務していた。


 続けて遺留品も調べたが、ラバーマスクとロープは量産品で、そこから犯人を辿るのは難しかった。


 鑑識も徹底的に現場を調べたものの、事件に繋がる指紋も証拠も出ず、遺留品も同様であった。


 周辺に防犯カメラはなく、現在は目撃者探しに努めているが、いまだ有力な手がかりはない。


 ただ、ロープの結び目が特殊だったことだけは判明していた。




 実のところ、先週と先々週にも、この事件と全く同じ事件が起きていた。やはり吊るされた状態で発見されており、これもやはり、心臓がなくなっていたのだ。


 被害者の氏名は、植村裕美うえむらひろみ。投資会社のファンドマネージャーだった。次に殺害されたのは、宇津井基うついもとき。タクシー会社の乗務班長だった。


 ふたりも今回と同様、新宿区管内で遺棄されていた。




 千里は画面をスクロールしながら、小さな声で「違う」と連呼している。諸星は気になった。

「何が違うんです?」

「教えない・・・っていうか、二年前のデータは?」




 これですべてというわけではなかった。二年前の夏にも三件、新宿で同じ事件が起きており、未解決のままだった。


 最初の被害者は、高校生の飯島沙理奈いいじまさりな。第二の被害者が、フリーターの久保佳代子くぼかよこ。このふたりも、むごたらしく殺されたのだ。


 そして、三人目の被害者は、緋波鈴乃。千里の妹である。




 事件の捜査は停滞したままだが、今回の事件を含め、被害者は六人目ということになる。


 性別も年齢も職業も異なり、共通点が見えない。唯一明らかになっているのは、被害者全員が、細身で瘦せ型の体質であるという点だ。


 華奢な体であれば、首も細い。現に遺体がそうだった。


 犯人はおそらく、首を締めやすい相手を選んだのだろうと、捜査側は推定した。




 その犯人についてだが、初動捜査の段階では、医療従事者と目された。


 しかし、監察医の報告によれば、胸腔内の状態は粗雑なもので、上手く取り除いたように見えるが、確実に素人の犯行だと結論づけた。


 ちなみに、使用器具は本物であるとも補足した。


 それを証明するように、最初の事件が起こる数日前、都内の帝日ていじつ医科大学病院から、手術器具一式と注射器、薬剤などが盗難の被害に遭っていた。


 今もなお、その犯人は見つかっていないが、一連の事件と同一犯だという可能性が高い。




 もうすぐ着くと思いながら、諸星は聞き返す。

「ありませんか?」

「ないから言ってんでしょ」

「でしたら、署に資料があるかもしれません」

「先に言えよ。このグズ!」


 千里は口汚く吐き捨て、またも足蹴りした。


 なぜイラつくのか、なぜキレるのか、訳のわからない諸星は、ただ「すいません」と謝るばかりだった。




 捜査本部が置かれている新宿中央署。そこの資料室に、千里と諸星がいた。


 資料ファイルを勢いよく閉じ、千里は言った。

「やっぱり違う」

「だから、何が違うんですか」


 そのときだった。

「おたくか。本部から来た応援ってのは」


 魚が正面を向いたような顔の男が、スーツを着て現れた。

「刑事課長の小野寺充おのでらみつるです」


 どこか軽蔑した笑みのまま、小野寺は語を次ぐ。

「重大事件だってのに、ひとりだけですか。それも女、俺より年下のキャリア」


 小野寺は、「フッ」と嘲笑した。

「あんたさ、現場知ってんの?」


 その瞬間、千里が殴った。強く鋭い拳だった。


 まともに顔面に食らい、小野寺は床に倒れ込んだ。


 鼻血が出ていることに気づき、相手の女を睨む。

「お前・・・ぶっ飛ばされてえのか!」


 それ以上の眼力を込めて睨み返し、千里が威嚇する。

「次にまた言ったら、殺す」


 小野寺に戦慄が走った。この女の殺気立つ目は、脅しではなく、本気だと。




 千里は凄みを利かせ、険しい表情で立ち去っていく。


 唖然とする諸星だったが、ふと我に返り、小野寺に駆け寄った。

「あ、あの、大丈夫ですか?」

「お前もキャリアだろ。あいつに謝らせろ」

「いや・・・キャリアはキャリアでも、僕は警部補で、向こうは警視ですから」

「関係ねえよ!同じ本部の人間だろうが!女の尻に敷かれてんじゃねえ!」

「すいません・・・・・・」


 なんだか板挟みに陥っている。そんな気がした。




 署内の広い会議室。事件の捜査本部だ。千里が足を踏み入れる。


 その場は閑散としていた。ほとんど人がいない。捜査員は出払っているようだ。


 空気を伺いながら奥へと歩き、上座の長机の前で足を止める。そこで、ある物が目に入った。


 ホチキスで閉じられた用紙の束。千里は手に取り、ペラペラとめくる。


 それは、被疑者候補のリストだった。顔写真のほか、住所や経歴、職業などが記載されている。


 ざっと一覧した千里が、そのうちの一枚を破り、持っていった。覚えのある顔を見つけたのだ。




 会議室を辞そうとする千里は、スーツの男と遭遇した。


 警視庁捜査一課の係長、望月亜澄もちづきあすみである。


 その望月は、やや驚いた様子だった。

「お前、緋波か」

「だったら?」

「死んだと聞いていたぞ」

「あんたがいるってことは、奴の伝書鳩ね」

「あんた?」

「管理官との連絡役、やるんでしょ」

「ま、まあな」

「せいぜい頑張ってね」


 千里が離れていく。望月は戸惑った。外見だけでなく、言葉遣いも変わっていることに。




 署内のロビーに出た千里に、諸星が追いつく。

「警視、捜査本部はあっちですよ」

「車貸して」

「え?」

「ちょっと出てくる」

「どちらへ?」

「歌舞伎町」

「なら、僕もついて行きます」


 千里は舌打ちする。

「ひとりでいい」

「そこをなんとか」


 一歩も譲らない態度に、ため息を吐く。

「邪魔しないでよ」

「はい」

「じゃあ、運転よろしく」

「わかりました。で、歌舞伎町で何を?」

「こいつから話を訊く」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る