第23話 石庭鑑賞

 此の石庭が一部の描写によってある種の雰囲気を醸し出している。だがそれは見る人のたくましい想像力に任すのもいいが、紗和子のようにとんでもない誤解が生じる恐れもある。

「こう謂う庭には生活空間なんて無く眺めて心を癒やす物だから生活感があれば台無しになるだろう。舞台で踊ったり歌ったりする女優さんはこれでもかと美しく化粧するのと同じでドレスの一部がほころびていたら、お金を払って来る観衆は何なのこれはと、しらけるだろうそれと同じで塵一つ落ちて無くて掃き清められていなければ枯山水ではない。流れが滞ったそんな淀みは誰も見たくはないだろうだからあんな遠い所から来てる人も居るんだ」

 榊原は庭をじっと鑑賞する数組の外国人に目をやった。あたし達は歩いて数十分で来られたけれど、あの人達はいったいどれ位の時を経てやって来たのだろう。

「そうかそれでも此処には何百年と変わらぬ何かを受け入れるものがあるから来られるんだその国での生活感なんてテレビや映画を見ればある程度の誇張が有ってもそう変わらないけれどこれは実際に此処に佇まないと伝わらないものね」

 と生活感のある物は鑑賞に値しないと言われて紗和子はじっくり観た。 

「そうだなあ人の心は移ろい易いからなあ」

「そうかしら心は移ろっても思う気持ちは変わらないでしょう」

 とそれを否定した紗和子は榊原の見る石庭と波多野を誤解しているようだ。波多野が移ろい易いのは女心に対してでなく、己自身に対してだと思い直した。

「幾ら喜怒哀楽に興じても本音は変わらんだろう。つまらん仕打ちする者を憎いと思う反面そんな事しかできないのかと考えたら哀れな奴だと思うだろう」

「そのせめぎ合いで人が生きているのなら面白いと思わないかしら」

 ウッ、と榊原は声を詰まらせて、ふと庭を視る紗和子の横顔からは、何の喜怒哀楽も興じていない。

 紗和子はいったい何を考えて居るんだろう。波多野が恋愛の対象の時期は有ったとしても、その殆どが幼馴染みだと思って良いんだろうか。この思いとは裏腹に紗和子は突然おかしな事を言い出した。

「ねえ此の庭って石は幾つあると思う」

 妙なことを訊くと、その場で実際に数えて十四と答えた。すると彼女はブー残念でしたと言った。全部で十五あり一つ隠れとていると、彼女は全部見える位置まで移動して説明した。よく見ると左端の大きな石の傍に有る小さい石が見る角度によって隠れる。成るほどこれを紗和子は今まで榊原と喋りながらも観察していた。此処は見る角度を変えれば見えない物が見えてくる。紗和子は同じように人の場合もその人と接した年月だと謂う。だからじっくりと長い目で見ていると此の庭のようにあの人の見えない部分が見えてくる。今さらながら波多野をよく理解できたのは、榊原より紗和子じゃ無いだろうかと考えさせられた。

 榊原が波多野を知ったのは高校時代からだが幼馴染みの紗和子は違う。それだけに付き合いが長ければ見えないものが見えてくるのか。いったい俺に見えて紗和子に見える波多野とはどう言う男なんだ。それより大事のは紗和子はどっちに軸足を置いているんだろう。一緒になりながらもこんなことを思うのはおかしな話だ。

 榊原は昨年の結婚式を思いだした。あの日は波多野も出席して祝ってくれていた。あの時に彼奴あいつは何も思ってなかったのだろうか、腹の内を見られれば見てみたいもんだ。彼奴のスピーチは確か最後には二人の末永い幸せを願ってますだった。まったく何処にでもあるスピーチだ。その時に見せるあの笑顔が榊原には眩しく写った。高砂席で隣の紗和子を盗み見したが、彼女も愉しそうに微笑んでいた。どこから見てもあの当時は実に和やかな披露宴だった。今でも波多野は心から祝福したと思っている。聴いてる紗和子もそう受け止めている。それならこの転勤の真意は幼友達と言うだけなのか、ただ単なる気まぐれなのか計り知れない。気まぐれにしても思い切った気まぐれだ。

 石庭の有る部屋を出て、境内にある池をぐるりと廻って、山門横の出口で大勢の拝観者とすれ違った。

「みんなあの庭を見に行くんだけど、心の瀬戸際で自分をせめぎ合ってる連中にしかあの庭を見る資格が無いような気がする」

 と紗和子はポツリと吐いた。

「そうかなあ」

 此の曖昧な榊原の言葉に紗和子は酷く考え込んだ。しかし直ぐに気を取り直して。

「いつ会いに行くの」

 と突然云われた言葉に、榊原はあの日に出会った女は、今日も居るのかとドキッとした。

「波多野か」

「引っ越しの挨拶に他に行くとこ有るの ?」 

「ないッ」

 思わず気合いが入りすぎて、そんな言い方がありますかと紗和子に諫められた。

 山門を抜けると、直ぐ前の観光道路は金閣寺から始まって嵐山まで繋がっている。その間に多くの名所旧跡が有り、引っ切りなしに車が通っていた。そこを渡ればまたのんびりした散歩道になる。そこで二人は行き先を決めずにまた歩きだした。

「それで今日は無理なの」

「どうかなあ」

「まだ春休みでしょう」

「そうらしいなあ」

「それで場所は知ってるんでしょう」

「ああ、でも彼奴あいつの家へ行くより何処か呼び出してこっちへ来て貰おう」

 と榊原は突然に携帯電話を掛けた。四コールサインで出た波多野に、昨日引っ越して今から逢えるか都合を打診した。


 

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