第6-36話 夜をもたらすもの

《客引きは条例で禁止されています。悪質な客引きにあった場合は……》


 歓楽街にアナウンスが響く。

 けれど、それをかき消してしまうほどの雑多な音が、街に溢れていた。


 人、人、人。

 流れは止まらず、多くの人間が通りを歩いていく。店の前には声掛けが何人も立っており、道行く人間を店へと勧誘する。


 そんな通りから一本挟んだ路地の裏。

 そこに少女が1人。建物に背を付けて、座り込んでいた。


『……さい、あく』


 そう呟いた彼女に対して声をかけるものはいない。

 ナンパも、飲み屋の店員も、誰も気を配らないような薄暗い路地裏にいる少女を相手にするわけがなかった。


 ツインテールにしていたピンクの髪の毛は、いまや無造作に束ねられ、彼女が『可愛くなるため』に着ていた服も薄汚れている。とても、元が『第五階位』とは思えないほどの転落具合。


 彼女がここまで汚れたのは他でもない。

 今しがた『第二階位同レベル』の“魔”を食おうと勝負をしかけ、辛勝したところだからだ。これから『第三階位』にあがるためには、あと25回同じことを繰り返さなければならない。


 あるいは、無傷の『第三階位』を捕食するという幸運きせきに恵まれるか。


『ママは、死んじゃうし。カジノは、壊れるし……』


 そんなこと、ありえるはずがないことをよく知っている彼女はそう呟いてゆっくり立ち上がる。


 人間に取って脅威となる『第二階位』の“魔”であろうと、安全圏となる異界を無くせば激しい生存競争サバイバルを生き残らなければならない。簡単に人を狙えば、それを検知した魔祓いがやってくる。それが同格や格下であるのなら良い。


 いまの自分では太刀打ちできないような化物を相手がやってくれば――それだけで全てご破産だ。


 それに脅威となるのは祓魔師だけではない。

 魔力を求める同格の“魔”、確実に魔力を増やそうとする格上の“魔”。そうして、弱食強肉ジャイアントキリングを狙う格下の“魔”。


 同族であろうと、警戒しなければならないのだ。


 だから強くならなければならない。生き残るために。

 そうして生き残らなければならない。強くなるために。


 彼女は地面に手をついて、ゆっくりと身体を起こす。

 どこか、身を隠せるような場所に逃げなければと動き始めたタイミングで――足音が、聞こえた。


『あぁ、やっぱり。ここにいたんだ』


 聞こえてきたのは、柔和にゅうわな声。

 穏やかで、落ち着いていて、まるで自分の敵はこの世に存在しないのではと思わせるような声。庇護され続けていたものにしか出せない世界を知らない甘えた声。


 だから、その声を聞いた瞬間に彼女の中に、理不尽な怒りが湧いた。


 けれど、その怒りをぶつけるよりも先に――声の主を見て、彼女の身体は強張った。


 だらりと伸ばした黒く、長い髪。祓魔師のような白装束。

 そうして、


『誰……?』

『さぁて、誰でしょう?』


 彼女が短く放った誰何すいかを、しかし反復するように声の主はおどけてみせた。

 おどけてから、少女は地面に倒れた彼女を称えるようにそっと手を伸ばした。


『あなた。いっちゃんと戦ったんだってね。すごいね、絶対に勝てないのに』

『いっちゃん……?』

『私ね、あなたみたいな人が好きなの。弱いのにがんばる人。身の程を知らなくて、多く口を叩いて、なのに失敗しちゃう人。こういうの、いじらしいっていうのかなぁ。可愛らしいっていうのかなぁ。あのね、別に馬鹿にしているわけじゃないんだよ。シエルちゃんはその辺分かってくれたから、きっとあなたも分かってくれると思ってやってきたんだ。ええっと、何の話だっけ。ああ、そう。思い出した』


 紫の瞳が、彼女を捉える。


『私ね、あなたを誘いにきたの』


 彼女には、理解することができなかった。

 眼の前にいる少女が誰なのか。何を言っているのか。誘うとは何なのか。


 それを理解するより先に、少女が続けた。


『私ね、いっちゃんをにしてあげたいんだ。戦わなくて良いようにしてあげたいの。だって、戦うのって苦しいし、辛いもん。それがきっと、分かるでしょ。だから、この世界を“魔”で溢れたものにしたいの。そうすれば、殺し合いが普通になる。いっちゃんだけが戦う世界じゃなくて、みんなが戦う平等な世界がやってくる。“魔”の数を増やして、人の数を減らしたら、いっちゃんは特別から降りられるの』


 聞いてもいないのに一人語りだした少女は、そっとルネの瞳を覗き込むようにして続けた。


『……何を、言ってるのか。ルネには、ぜっんぜん分かんないんだけど』


 そう答えたルネは一目散に逃げようとしたのだが、足が動かなかった。

 ぱ、と一瞬だけ足元を見る。いつの間にか、足首の深さまで地面に沈み込んでいた。


 影の魔法? 地面を溶かす魔法?

 あらゆる可能性を頭の中で思考する。

 

 弱者リンを追い詰めていた時には使っていなかった、闘争に関わる本能を研ぎ澄まして考える。そうなければならない相手だと、脳の奥底で気づいていた。


『私とおいでよ。そうしたらね、強くしてあげるよ。「第五階位もと」に戻してあげる。一緒にいっちゃんのお話をしようよ。そうしたらね、第六階位にだってなれるよ。私も、みんなも魔力があまってるんだ』


 ルネは、その言葉を一笑に付した。


 第五階位どころか、第六階位にする?

 魔力があまっている??


 そんなこと『


『ルネね、ママからの教えで唯一ちゃあんと気をつけてることがあるの』


 弱い“魔”ならいざしらず『第七階位』がと呼ばれるほどに集まることなどありえないではないのか。


『タダより高いものはないってね』


 だからルネはそれだけ言って、魔法を使った。

 《ゲーム》の時に切らなかった戦闘魔法アクティブ


『再演:日の槍ヘリオース


 それは彼女の母シエルが得意としていた『再演魔法』。


 はるか昔の神代かみよの時代、世界に刻まれた傷に魔力を流すことで奇跡を再現する『印術シンボリック』の最上級魔法。魔力さえあれば如月イツキの『朧月おぼろづき』にすら拮抗しうる神話の魔法は、しかし発動するよりも先に魔力となって霧散した。


『……なん、で?』

『なんでだろうね』


 ルネは『真眼』を持っていない。

 だから、見えなかったのだ。


 彼女の腕に、魔法を打ち消す逆位相の黒い『導糸シルベイト』が巻き付いていることに。


 困惑するルネに対して、声の主は短く放った。


『残念だなぁ。せっかく、いっちゃんのお話ができると思ったのに』


 心底、心の底から残念がるように口を開いてから――少女は宣告した。


『食べてもいいよ』


 その瞬間、ぱかり、とルネの足元が裂けた。

 重力に従って少女の身体が落ちる。飛行魔法が使えない彼女は、何が起きたか分からないまま、裂け目に出現した巨大な口に丸呑みにされた。そうして、この世から姿を消した。


『あーあ。やなことばっかりだなぁ』


 それだけのことをやったというのに少女は眼の前の事象に興味を失ったのか、ひどく残念そうに大きなため息を吐いた。


『いっちゃんは私のこと忘れてるし、だれもお話きいてくれないし。世界は壊れてくれないし』


 返答はない。


『まぁでも、いっか』


 路地の裏に誰かがやってくることもない。


『いっちゃんはきっと思い出してくれるし、みんなには話を聞かせればいいし、世界は壊せばいいだけだもんね』


 1つの“魔”を消した少女はふらりと歩き出す。


『もうすぐ、一緒に暮らせるね。いっちゃん』


 その顔には、希望を宿して。







 ――――――――――――――

 ◆あとがき◆

 凡人転生6巻制作決定しました……!!

 ぜひ続報をお待ち下さい…………!!!!!

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凡人転生の努力無双〜赤ちゃんの頃から努力してたらいつのまにか日本の未来を背負ってました〜 シクラメン @cyclamen048

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