第6-35話 夜を越えて

「イツキ先輩! 大丈夫ですか!?」


 ニーナちゃんの『入れ替わりキャスリング』によって別ビルの屋上に移動した俺の元に開幕一番、近づいてきたのはリンちゃんだった。走ってこちらに近寄ってくると、心配したような、いまにも泣き出しそうな表情で俺を見ていた。


「……大丈夫」

「無茶しすぎですよ、私なんかのために……」

「別にそんな無茶でもないよ。ニーナちゃんもいたしね」


 俺はそう言って、少し離れた場所にいるニーナちゃんに視線を向ける。

 最後の最後に俺を引っ張りあげてくれたのは彼女だったし、タワマン中部に起爆性の魔力を用意してくれていたのも彼女だ。ニーナちゃんの協力がなかったら、もっと無茶をすることになっていただろう。


 そんなニーナちゃんから視線を戻して、リンちゃんを見たら……俺とリンちゃんの間に半透明の板が浮かんでいた。


「……なんだ、これ」

「どうしたんですか?」

「いや、なんか半透明の板みたいなのが目の前にあって。文字が書いてあって……これ、英語かな……?」


 そう言って板に右手を伸ばしたのだが、その手は眼の前にあった板を通り抜けてしまった。そうして、その時に気がついた。右腕にあった赤い刻印がまるでシエルの青と混ぜた紫色の刻印になっていることに。


「ニーナ先輩! イツキ先輩が幻覚が見てます!!」

「えっ、幻覚!? 大丈夫なの、イツキ」


 おそらく英語だと思われる文字の記された板から視線を外して右腕を見ていると、リンちゃんに呼び出されて心配そうな表情を浮かべたニーナちゃんが走って俺のところにやってきた。


「幻覚じゃなくて多分、魔法だと思うんだけど……板に文字が書かれてて」


 そう説明しつつ半透明の板に視線を戻すと――そこに刻まれている文字が、日本語になっていた。翻訳魔法だろうか?


「文字? なんて書いてあるの?」

「ちょっと待ってね」


 日本語に変化した板の、最上部に書かれていた文字をそのまま読み上げる。


「えっと『契約にのっとり勝者には以下の権利が付与されます』だって」


 俺はそう言うと、その下に書かれていたもの読み上げた。

 

 皐月大和の魔力と生存権。

 また、それに加えてシエルの魔力ならびに魔力の器。


 それが、勝者である俺に付与されたらしい。


 そんなことを伝えると、リンちゃんは言葉の意味を噛み砕くようにそっと呟いた。


「生存権……そんなもの、お父さんは取られてたんですね……」


 文字通り生きるための権利。

 そんなものを差し出さなければならない《ゲーム》というのは、どういうものだったのだろうかということを考えて――。


 俺はふっと首を横に降った。

 そんなことを考えている場合ではない。


「勝者に付与ってことは……権利はいま僕のところにあるってことかな」


 そう言って俺は腕に刻まれた紫色の刻印を見る。

 おそらくシエルの刻印が重なっているのだろう。文様もまるで2つを重ねたように複雑だった。


 これは劇団員アクターが結んだ契約だが、代理人は俺だし俺が自由にして良いはず。

 そういうわけで俺は刻印に視線を向けてから、ふと考えた。


「まずは大和さんの魔力と生存権を返さないとだけど」


 ――どうすれば良いんだろう?


 そう続けようとしたら、俺の腕に刻まれていた印が脈打つように2回、明滅した。そうして刻印から離れるように、空に向かって光が飛び出した。


 ぱっと飛び上がったその光を、思わず目で追いかける。

 しかし紫の光はとどまることく、そのまま流星のような軌跡を空に残してどこかに飛んでいってしまった。その方向に視線を向けると、ふと気づくものがあった。


 あの方角は確か大和さんの病院がある場所で。


 いまので戻ったのか……?


 よく分からないまま刻印に視線を戻したら、刻印の模様が半減していた。

 その刻印に気がついたんだろう。ニーナちゃんが聞いてくる。


「今のって」

「分かんない、けど……」


 互いに同じことを思っていたのだろう。視線が交差した瞬間、ぴぴぴ、とスマホが鳴った。


 俺は思わず2人を見る。戦いの中で邪魔になると思ったため俺はスマホを持ってきていない。だから音が出たのは2人のどちらかのはずで。


 そんなことを考えていたら、リンちゃんが手早くスマホを取った。


「あ、お母さん。うん。ちょうど終わったよ。イツキ先輩が全部やってくれて……え、本当!?」


 どうやら、彼女にかかってきた電話だったらしい。

 彼女は電話口で母親と会話をはじめ、その勢いのまま俺とニーナちゃんを見た。


「おっ、お父さんが、目を覚ましたって!」


 目を丸くして、そう言ったリンちゃんに――素早くニーナちゃんが返した。


「リン。いますぐ病院にいきなさい。私が神在月アカネに連絡して車を用意してもらうから」

「は、はい! お母さん、聞こえてた!? いまから行くから。うん。ニーナ先輩とイツキ先輩もいっしょ!!」


 そう言うリンちゃんの横で、ニーナちゃんがスマホを取り出して通話を始める。さっき言った通り、車を用意してもらっているのだろう。ただ、ニーナちゃんはリンちゃんの会話を邪魔しないようにと屋上から下につながる階段に向かっていった。


 ニーナちゃんは父親を亡くしているから、どこか思うところがあるんだろう。


 そんなことを考えていると、いつの間にか会話を終えたリンちゃんがスマホをしまい込んでいた。しまい込んで、今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべていた。


「夢、じゃないですよね。現実ですよね……!?」


 俺はそれにそっと頷く。

 頷いたら、彼女は急に真剣な表情を浮かべてぐっと拳を作った。


「ま、まだ喜ぶのは早いですよね……! 昨日みたいに、まだ何か返ってきてないかも、しれないし……!!」

「ううん。喜んで良いんだよ」


 劇団員アクターは、彼女の父親から奪われたものを全て取り返しているはずだ。だってあいつが、中途半端な契約を結ぶはずがない。嫌味と悪意で構成されているブリキのおもちゃは絶対にシエルの痛いところを突いただろう。


「で、でも……っ!」

 

 だから俺はそう言ったのだが、リンちゃんは握りしめた拳を振り上げた。

 振り上げてから、言った。

 

「私は、イツキ先輩の弟子です!」

「うん? うん」


 急にどうしたんだろう、と思っていると彼女は宣言するかのように大きな声で言った。


「だから、まだ泣きません……!」


 そう言ってから、リンちゃんはくるりと背を向けた。

 向けてから、拳をそっと振り下ろして――目元を拭うように手を動かした。


 そうして、再び回って俺に向き直った。

 だから、俺は思わずそっと彼女の頭を撫でた。ひたむきに耐えようとする姿が、なんだか妹のようにも感じた。


「強くなったね、リンちゃん」

「……わ、私は、まだ弱いです」


 俺の言葉に、彼女はふるふると首を横に振った。

 振ってから、続けた。


「強く、なりたいんです」


 彼女の視線が俺を貫く。

 そこには、強い決意があった。恐怖に流されて、怯えていた彼女はどこかにいってしまったかのように消えてしまっていた。


「いつか、先輩を驚かせるくらい――強くなりたいんです。だから、先輩……これからも、魔法を私に教えてほしいんです」


 そういって、彼女は深く頭を下げた。


 その様子を見て、俺はそっと微笑んだ。


「もちろんだよ」

「やった!」


 俺が頷いたら、彼女はそういって嬉しそうにそう言って笑った。

 これまで、リンちゃんの笑顔はいくつも見てきたのに――なぜだか、それが初めての笑顔のように感じてしまった。


「リン、もう車を手配してるって! 下に来るそうよ」

「あ、いま行きます!」


 階段からそう声をかけたニーナちゃんに、リンちゃんが返事をする。


「イツキ先輩も、行きましょう! お父さんに、ちゃんと報告しないと」

「報告?」

「私の師匠だって!」


 満面の笑みでそう言うリンちゃんに、俺はそっと右手を向けた。


「ちょっと待って、リンちゃん。渡すものがあるんだ」

「なんですか?」

「ここまで頑張ったリンちゃんへの――ご褒美だよ」


 そういって俺は――シエルの『遺宝』を取り出した。

 妖精ピクシーに探させて取ってこさせた魔女の遺宝は、蒼天を思わせるような澄んだ水色だった。


 それは、彼女に渡すのが一番だと思った。


 だって彼女は奪われ続けてきたから。魔力も、親も、年相応の穏やかな日常も。

 命の危機にさらされていながら、誰にも助けを求めることができず、迫りくる恐怖と戦っていた。


 だから、彼女には奪われてきたもの以上がかえされるべきで。

 それは彼女自身が立ち上がろうとする今こそが一番良いのだと思った。


 俺が雷公童子の遺宝に共鳴した黄金の『導糸シルベイト』を使うように。

 アヤちゃんが氷雪公女の扱う氷の『導糸シルベイト』を使うように。


 リンちゃんにも、そういったものが必要なのだと思った。


「……きれい」

 

 遺宝を前にして、リンちゃんが小さく呟く。

 その言葉を合図にして、俺の腕に刻まれていた紫の刻印が解かれるようにして散っていった。


 その光はまるで、プレゼントの包装リボンのように見えた。


 新しい人生を歩きだすための贈り物のように、遺宝と、リンちゃんを彩った。







 ――第6章 『夜を越える者ゲームチェンジャー』終わり――

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