第6-34話 蒼穹の魔女④
戻ってきたのは池袋の上空。
空高く出現した俺たちの身体は重力を取り戻し、そのまま落下していく。
『現世で、あなたは大きな魔法は使えないでしょう』
「バレなきゃ良いんだよ」
それだけ返して、俺は『
近くの建物に対してアンカーのように打ち込むと、それをそのまま引き寄せることで上空へと浮かび上がる。
一方でシエルは俺から一気に距離を取った。
ばっ、と風を撒き散らして一目散に離れていく。
おそらくはあの『カジノ』に戻るつもりなのだろう。
けれど『
それを知っているから、俺はさらに糸を伸ばす。
重力に引かれた自分の身体が振り子のように動いて、その勢いのまま飛び上がった。
「ちょっと前のことなんだけどね」
その動きでシエルの
俺が上を取ることを意識していたのだろう。死角に入るよう高層ビルの間を縫って移動している彼女を見つけたので、俺はビルの壁を蹴って空を跳んだ。
「池袋駅の周りに『第五階位』のモンスターが現れたんだ。」
そんなこと、彼女に話したって分からないことだろう。
けれど、彼女はどうにもあれこれ教えてくれたので、こちらも色々と説明しなければ――フェアではない気がした。
「その時に、そいつが随分と暴れてね。まだいくつか修復中の建物もあるんだよ」
『どうでも良いことです』
「ううん。大事な話だよ」
『あなたにとってはそうでしょうが――』
シエルは上から迫る俺を視界に捉えると、不満でも呟くように眉をひそめた。
ひそめてから、吐き捨てた。
『現世を捨てた私には関係ないでしょう』
シエルがそういうと同時。
彼女が空中で身を
同時に、刃が放たれる。
小さく息を吐いて俺は地面に『
なるほど。
あちこち飛び回っていたのは、こうして俺を誘い込むのも目的にあったらしい。
とはいえ魔力の動きが見えている以上、シエルの攻撃は俺には当たらない。
俺はそのまま地面スレスレで足を擦りながら、大きく『
「それで、さっきの話の続きなんだけど」
上空に飛び上がることで、俺を狙えるコースを絞る。
そうして、地面から飛んできた白い槍は妖刀の再現魔法によって撃ち落とした。
空に爆炎が広がっていく。
その内側から、俺は『
彼女が『
俺は彼女が見えるように対岸の建物に着地する。
着地してから、口を開いた。
「その時に、リンちゃんがいたマンションがモンスターの攻撃によって破壊されたんだ。一応、僕が縫い止めたんだけど――やっぱり、建物の中心が破壊されてるから修復は無理なんだって。だから取り壊すことに決めたらしいんだ」
『……それで?』
「いま君を縫い止めたのが、その建物だよ」
彼女は気づけただろうか。
ここまでの攻防をしている間、誰も地面にいないことに。
東京でも有数の人間が集まるこの街を、誰も歩いていないということに。
「聞いたよ。君が飛行魔法を生み出した最初の魔法使いなんだってね」
『――なぜ、いまその話を?』
「これを背負っても飛べるのかなって、思ったんだ」
俺がそう言った瞬間、彼女を縫い止めていたタワマンの中部が一気に爆発した。
夏休み、リンちゃんが一番最初に参加したという
『あなた、魔法はもう使えないはずでは……!?』
「僕はね」
右の手の甲を見る。そこには『0』の数字が浮かんでいる。
ここまでの移動で『身体強化』魔法を使わないのは、不可能だった。
だから、それは必然の消費であり、
「そういえば、言ってなかったっけ」
かつて遊園地を灼熱の地獄に変えてしまった妖精がいる。
その妖精の魔力を主要な柱に付着させ、いつでも起爆できる用意をしておく。
後は、主要なタイミングで着火してやれば良い。
「魔法を使ったのは、この刀なんだ」
魔法の回数を制限された時は、起爆できないかと焦ったが――爆破魔法は、向こうから使ってきてくれた。
俺が刀を見せてあげると、シエルはそれが何かを一瞬で理解して小さく息を呑んだ。
けれど、何かを喋る間もなく轟音を立てて、タワマンの上部が崩れていく。
ひとつひとつの破片が人間に取っては必殺となる雨が、神在月によって人払いされた池袋に降り注ぐ。
その中でも最も巨大なものが、40階建てのタワーマンションの上部1/3。ほとんど原型を直したそれには、シエルの身体が巻き付けられている。
「僕もそうなんだけど――魔力をたくさん持っていたって普通の生き物なんだ」
おおよそ数万トン、下手をすれば十万トンを超える膨大な質量を背負ったシエルの身体が落ちる。落ちていく。
刃物で刺されれば死ぬ。鉄骨に押しつぶされたら死ぬ。
魔法で延命することはできても、死を遠ざけることはできても、死から逃れることはできない。
「だからね、これに潰されれば……君だって死ぬでしょ」
だから俺は、ここに誘い込んだ。
魔法を使わず第六階位を祓うために。
『魔女を舐めるなよ、如月イツキッ!』
けれど、蒼穹の魔女はそう叫ぶと――彼女は最後と言わんばかりに莫大な魔力を真下に向かって吐き出した。
『私が、蒼穹の魔女が、この程度のものを背負えないとでも…………!』
その瞬間、確かに数万トンという巨大な質量が、空にとどまった。
それは確かに彼女最大の抵抗で、
「舐めてないよ」
しかし、俺はそこに糸を伸ばす。
「だから、僕が終わらせるんだ」
彼女は
おそらく、そこには『ルール』があるのだ。普通、《異界》に入った時に身につけていた服やスマホなんかが無くなることはない。当然、カバンやメガネみたいなものも
つまり自らの身体に触れているものは、そのまま移動するという『ルール』が適用されているのだろう。だから彼女がカジノに逃げたとしても、彼女が背負っている莫大な質量はそのままカジノに持っていく。
そして、そのルールを変更するには『
使うためには、異界の中に入らないといけない。
シエルは、ルールを変更できない。
息を吐いて、屋上の縁を蹴った。自分の身体が宙を駆ける感覚。
一直線にシエルに向かって妖刀の刃を伸ばす。
彼女の
その刃が頸に届く寸前、
『あ〜。シエルちゃん、困ってるんだぁ』
声が、響いた。
巨大な質量が落下を止めて、俺の身体も空中で停止して、まるで時間でも止めたかのように世界が動きを止めた。
『そんなに困ってるなら、助けてあげようか?』
そうだというのに、声の主は悠々自適に停止した空中を歩いていた。
足先まで伸びた長い髪。祓魔師を思わせるような白い服。
俺より身長は低いが――それでも俺と年齢は変わりそうにない少女が突如として、そこに現れた。
……誰だ?
それを不思議に思ったのもつかの間、彼女の瞳はゆっくりと移動して俺を捉える。
俺と同じ紫色の瞳。
それが丸く見開かれると、ぱっと嬉しそうに笑顔を浮かべた。
『あぁ、なんだ。いっちゃんもいたんだ』
……いっちゃん?
それが、自分だと気がついたタイミングでシエルが叫ぶ。
『良いところに来た! 私を助けなさい。あなたなら、私を助けられるでしょ!』
『うーん。そのつもりだったんだけどね』
少女はそういうと、俺の方を見て微笑んだ。
『いっちゃんがいるなら、ナシで』
『ふっ、ふざけるな!』
シエルの罵倒を涼しい顔して聞き流すと、少女は背中を見せる。
『お前が誘ったから、私はこの話に乗ったんだ! リンの体を使って、如月イツキの魔力を奪う! そのためにここまで準備をしてきたんだ。私の献身、私の努力を
『うーん。そんなこと言われてもなぁ』
彼女は困ったように首を傾げると、何かを考え込むように顎に指を当てた。
『いっちゃんは、もう魔法使えないんでしょ?』
少女はちらりと俺を見てから、シエルに視線を戻した。
『じゃあ、いっちゃんの「動き」は奪ってあげるから、せめて生き残ったら?』
彼女がそう言った瞬間、俺の体が真下に引かれた。
シエルの首を斬ろうと加速したはずのエネルギーを失って、ただただ地面に引かれていく。
その瞬間、シエルは腕を俺に向かって叫んだ。
『先に堕ちろッ! 如月イツキぃ!!』
直上から冷たい北風が吹き下ろした。
全身が凍えてしまう氷点下の風は、俺を真下に叩きつけるらしいということがよく分かった。分かったものだから、俺は静かに告げた。
「イカサマ1つに付き、イカサマが1つが公平なルールだったっけ」
俺は手を掲げて、あるビルへと視線を向ける。
正確には、そこにいる1人の少女へと。
「僕の動きを奪ったなら、僕も君から1つ奪って良いんだよね?」
『何を――ッ!』
瞬間、そう叫んだ魔女の顎を小さな礫が
「僕の教え子ってさ」
『あ、え……?』
しゅ、と僅かに聞こえるか聞こえないかの音を持って、小さな礫は彼女の骨を通し脳震盪を引き起こす。
「眼が良いんだ」
シエルは、気づいていただろうか。
遠く離れた場所に、彼女があらゆるものを奪おうとした少女がいたことに。
シエルは、知っていただろうか。
その子は左目の視力を奪われ、左腕の感覚を無くしてなおも獲物に礫を当てたことに。狙撃の力に、長けていることに。
シエルは、見えていただろうか。
先程、頭を揺らした魔法。それは、力があればシエルの頭を貫きたいと怒りに震えた少女のものだったということに。
気づくはずもない。知る由もない。見えるはずもない。
彼女はただ、奪うだけだったのだから。
身体のバネを捻る。意識が朦朧としているシエルに手を伸ばす。
彼女は口からよだれを垂らして、何かを叫ぶ。
「この《ゲーム》。
聞こえているかどうかも分からないが、俺は彼女の首を刎ねた。
首と胴体が分離する。まだシエルの口は動いている。
けれど、声は出ていない。ただの音だ。雑音だ。
それを見とどけたら俺の身体を
一拍。『
それがシエルの最後の姿になった。
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