第2話⑤ 穂乃華との二度目の逢瀬……?

「なんで、ねえ……。そう言われてもな」


 俺は渡良瀬さんの席を見た。彼女はすでに退社済みだ。まだ2年目ということもあり、ホントに〆切がヤバい時以外は、19時半以降の残業はしてはいけない決まりになっている。


「別に深い理由はないよ。似鳥がお駄賃くれって言ってきて、俺もまあいっか、って思ったから。それだけ。まあ、それは彼女に対しても同じだけどな」


 ガチ拒否されたけど。


「なんだ。やっぱり先輩としてのプライドに障ったか? 割り勘のほうがいいって言うなら今からでも徴収するけど」

「……今さら、渡良瀬ちゃんの見てないところで払っても意味ないっす。なんで、このままセンパイには奢られときます」

「やれやれ。ちゃっかりしてんな」


 俺が下手くそな挑発をしても、似鳥はそれに乗ってきたり反発したりしてこない。殊勝にしているように見えて、やはりこいつは強かだ。


「まあ、最初はとりあえず形だけ似鳥からも徴収して、あとでこっそり返すって方法も考えなかったわけじゃないんだけどな。それが一番丸く収まりそうだったし」

 

 言うと、似鳥は「あ」と小さく声を上げ、


「そう! それっすよ! なんでそうしてくれなかったんすか!?」


 恨みがましげな眼で俺を睨んできた。


「そうは言うけど……実際に俺がそうしたら似鳥だって面白くないだろ?」

「へ? んー……や、まあそうっすね。普通に『ケチな先輩ウザッ。甲斐性ナシ。だからモテないんだよなー』とか思ってたと思うっす」

「…………」


 普通にやらなくてよかった。


「まあ……それに、そういうずるいことはあんまりしないほうがいいと思ってさ。特に彼女相手には」

「渡良瀬ちゃんに?」

「ああ。彼女って悪く言えば融通が利かないって評価になるけど、よく言えば直截っていうか、真っ直ぐだろ? だから、搦め手っていうか、小賢しい真似するところを、身近な年上が見せたりしないほうがいいような気がしたんだよ。こそこそしすぎるほうが後で裏目に出そうだし。だからあえてストレートを投げるほうを選んだわけだ」


 例えるならば、普段は横断歩道の信号を無視しがちな奴でも、小さな子が見ている前ではルールを守って青信号を渡ろう、的なに感じに近いか。自分は悪者だけど、それで無垢な子を汚したくない、みたいな。


 時間が時間だからだろうか。それとも、この場には俺たちしかいないせいだろうか。思わずそんな本音……というか、日頃仕事と当たり障りのない話しかしない同僚相手に、一段深い心境を口にしていた。


 しかし、似鳥はそんな俺のセンチメンタルな気分も汲む気などまるでないようで。


「ふーん……つまりすっごく簡単に言うと、美人で可愛い後輩の前でカッコつけたかったってことっすね。アタシがその後輩から『男に媚びるムカつく女』っていうレッテルを貼られる犠牲と引き換えに」


 ひどくつまらなそうな顔で身も蓋もない要約を口にした。


「え、何その感想。俺の話聞いてた?」


 嫌われるリスクを負ったのは俺も同じなんだが。彼女のOJTであるぶん、俺のほうがいざって時にヤバい状況になるんだが。

 しかし、似鳥は俺の言にもまるで響く様子を見せず、やれやれとやけに長い溜息をつくだけだった。


「センパイもクソ真面目っていうか、不器用っていうか……めんどくさいっすよねー。なんか、そもそもお菓子なんて買ってきたアタシが悪かった気がしてきたっす……」

「や、そこまで言ってないが」


 まあ、俺や渡良瀬さんみたいなタイプにはあまり効果的でないのは事実だが。

 それに今時、飲みやランチやおやつで職場の人間と仲良くなろうなんてこと自体が時代錯誤になりつつある。


 こんなんじゃ、職場で彼女なんて見つかるわけない。職場恋愛とか職場不倫とか、リア充は一体全体どうやってんだ。無理ゲーすぎる。

 でも婚活もうまくいく気もまるでしない。無理ゲーどころ詰みゲーだなこれ。


「……でも、そんな人だから、渡良瀬ちゃんもセンパイを信頼してるのかもしんないすねー」


 ……なんてことを考えていたので、似鳥の最後の一声は耳に届いていなかった。



  ×××



「……ということがあったんです。俺、どうするのが正解だったんでしょうね」


 そして約束の日である次の土曜日。

 俺は先日のゴタゴタで知り合った大空穂乃華さんことハナさんに、この一連のめんどくさい職場での出来事を話していた。


 彼女が事前に宣言していた通り、今日の待ち合わせ場所は落ち着いた雰囲気のカフェだった。しかも、場所も池袋でも秋葉原でも中野でもなくオサレカフェが立ち並ぶ代官山。はっきり言って俺は先輩の結婚式でくらいしか来たことがない。


 実のところ、俺は今の今まで疑っていた。あんな約束……というか契約はその場の酔った勢いってだけで、『…ただの冗談だったんですけど……、え、マジだと思ってたなんてやば…ガチで引く……』てなことになる可能性も半分くらいはあると思っていたのだ。


 だから、待ち合わせ場所に着いたときに先にいたハナさん(これも俺の中では相当レアな出来事だ)が笑顔で手を振り返してくれた時は心底ホッとした。


 のはずだったのだが――――――――


「う……、な、なんです? その目……

 今、俺はなぜかハナさんにじーっと睨まれていた。


「なんだか楽しそうですねーアオさん。婚活する必要なんてありますー?」


 ……俺、初回からピンチ……?

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