第2話④ 職場の人間関係ってめんどくさい

『借りを作りたくないので』


 そのダイレクトアタックすぎる彼女の拒絶に、対女への鋼メンタルを持つ俺でも、さすがにいくらかダメージを受ける。つい真顔になってしまう。


 奢られるのが嫌にしてもさあ、もうちょっと言い方あるよね…? 『出させるの悪いですし……』とか。

 ……いや、どっちにしても俺なんかに施しを受けたくないって本音は変わらんか。なんとなーく拒否ってる空気をずっと醸し出されるより、はっきり言ってくれたほうがマシかもしれない。すみません、嘘です。普通にかなりショックです。

 

 なんて、落ち込んでいられるのも束の間。


「もう、渡良瀬ちゃんったらカタいよー! パイセンが奢ってくれるって言ってるんだから、ちゃっかり受け取っとけばいいんだって! 先輩男子のしょうもないプライドに付き合うのも後輩女子の仕事じゃんよー!」


 あ、バカ。


 思わずそのまま声に出しそうになった。

 

 似鳥としては、このままだと自分も払う流れになりそうだから必死だったのかもしれないが、言葉のチョイスはかなりの選択ミスだ。彼女の性格を鑑みるに。

 あとしょうもないとかうるさいぞ。

 案の定、渡良瀬さんは露骨に顔をしかめる。


「……そういう、上司だから、先輩だから、男だから奢る、部下だから、後輩だから、女だから奢られる、って思い込み、好きじゃありません」


 ほら。地雷踏んだ。


「対等じゃないし、される方がその代わりに従属しろって言われてるみたいじゃないですか。ただでさえ弱い立場なのに」


 でもまあ、言いたいことはわかる。ちょっと言い方がキツくて配慮には欠けるけど。


 たかだかケーキご馳走してくれるだけでこの人たち何言ってんの? という意見もあろうが、今時の社会人の人間関係は複雑怪奇。この手のやりとりにモヤっている人たちも少なくないだろう。忘年会に強制参加させられたり、社内でのバレンタインをやるかやらないかでモメたり……。ちなみに俺はどっちもまったくいらない。前者は言うまでもないが、後者もイケメンには猫なで声出すのに、俺にはただの義務感でしかないからな。


「するほうはそこまで深く考えてしてるわけじゃないし、そういうの、適度に受け入れたほうがラクに生きられると思うんだけどなー。空気読むっていうか、様式美みたいなもんじゃんよ。別にもらったほうも従わなけりゃいけない義務はないし。向こうからわざわざチヤホヤしてくれるんだから、いいとこどりしちゃえばいいんだって!」


 すると、似鳥はいつものように茶化して言った。しかし、


「似鳥さんみたいな人がいるから、こういう風習がいつまで経ってもなくならないんです。男の人だけじゃなくて、受容する女の側にも問題あると思います」

「…………」


 渡良瀬さんはことごとく切れ味鋭い刃を返す。さすがの似鳥も気に障ったのか、今度はわずかに真顔になった。

 ……さすがにちょっとまずいかな。


「はい、ストーップ。そこまで」


 俺は両手で柏手を打った。特に錬金術は使えない。

 二人がともに俺を見る。


「渡良瀬さん。あなたの言いたいことはわかりました。なので、申し出通り代金は受け取ります」

「はい。お願いします」


 その時、似鳥の表情が明らかに「うげー」って感じになっていた。俺はそれを横目に見つつ、


「ただし」


 一つブレストを入れた。


「ただ、俺としても美味い菓子を買ってきてくれた似鳥に、仕事を頑張ってくれてる渡良瀬さん、それぞれに払ってもいいと思ってたのもホントだ。だから似鳥にはこのまま奢るけど、それを不公平だとか、ずるいとか後になって主張しないこと。いい?」


 言うと、似鳥の口が「え」とわずかに動いた。

 渡良瀬さんも頷いた。


「もちろんです。それはあくまでお二人でのことなので、私は口を挟む権利はありませんし」


 ……またしてもやたら棘のある言い方だが、ここまで断言するのなら信じるべきだろう。


 そして、俺たちはいそいそと残りのモンブランを食べ始める。

 

 さっきまであれだけ感動した美味しさが、すっかり普通の味になってしまった気がした。



  ×××




 そして20時を過ぎた頃。


(さて、こんなもんかな……)


 渡良瀬さんが提出してきたレポートを一通り読み、指摘事項をまとめ終える。

 とはいえ、初稿にしてはなかなかのクオリティだ。気難しい部分が多い彼女だが、この仕事への適性もセンスもやる気も十分以上にある。さすが、いきなりこの調査部門に配属されるだけのことはあった。


 これなら明日の午前中にはフィードバックできるだろう。そろそろ退勤しようと、PCの電源を落とそうとした時だった。

 

「センパイ」

「ん。どうした?」


 似鳥が声をかけてきた。

 彼女が俺を“センパイ”と呼ぶときは真面目な用事の時だ。


「や、あの……」


 似鳥はばつが悪そうに視線をさまよわせる。


「何だよ。珍しく歯切れが悪いな。あとキャラでもない」

「は、はあ!? うるさいっすよ!」


 なので、ついつい茶々を入れてしまう。こいつがシリアスだとこっちも調子が狂う。

 まあ、原因はこれ以上ないくらいはっきりしているが。


「……なんで、さっき渡良瀬ちゃんにああ言ってくれたんすか?」


 彼女は俺の顔色を窺うような、弱々しい声で言った。


 ……面倒だよな、職場の人間関係って。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る