第2話② 渡良瀬和香 その1

 それからひたすらパソコンに向かい続けること4時間。そろそろ終業時刻、その後は残業になる。

 とはいえ、うちの会社はみなし残業制が採られているので残業を改めて申請する必要はない。……みなし残業制ってブラックだよな。


「残業時間入るけど一休みするかあー」


 我が社のあこぎなやり方に反旗を翻すべく、残業時間中に休憩を取ってやる。いくら働いても25時間超の残業代はつかないんだから、どう時間を使おうがこっちの勝手のはずだ。


 俺は凝った肩をほぐそうと大きく伸びをし、それから肩を回す。肩甲骨が剝がれていく感覚が気持ちいい。年々身体が重くなってる気がすんだよな……。これが30か……。

 婚活を真面目に始めようと思った理由の一つに、健康なうちに、という生々しいものもあった。ただでさえ相手が見つからないのに、持病持ちなどになったら一生独身ほぼ確定だろう。


「おっ、休憩っすねえ。そんじゃアタシ、さっきのモンブラン持ってきまーす」

「……頼む」


 俺は重々しく低い声で言った。似鳥がぷぷっとバカを見るような視線を送ってくる。やかましい。

 甘いものは食べる。健康と引き換えになろうとともだ。何これ。

 

「俺はお茶でも入れるか……」


 でも似鳥、好みがうるさいんだよな……。俺はコーヒーでも紅茶でも緑茶でも何でもいいんだが。コーヒーは苦いとかいってカフェオレを要求してきたり、紅茶は渋みの強いダージリンを拒否したりする。めんどくさい。俺はコーヒーや紅茶なんて甘い物の口休みになれば何でもいいのに。


 給湯室に向かう前に、俺は自分のチームの最後の一人に声をかけた。


「渡良瀬さんもどう?」


 長い黒髪をポニーテール気味にまとめているその女性社員、渡良瀬和香わたらせのどかは猛烈なスピードで叩いていたキーボードの手を止め、顔を上げた。


「いえ、結構です。今日中にこのレポートまとめたいので」

「そ、そう……」


 その切れ長の瞳はやけに鋭く、表情に一切の緩みもない。整った容貌ゆえになおのこと冷たい印象を受ける。

 一言で言うと美人の能面って怖い。同じ和風系統の美人でも、どことなくほんわかした印象のハナさんと比べると、クールでエッジの効いた感じ。レディコミでよく出てくるキャリアウーマンのイメージだ。


「完成したらすぐに提出します。下読みとチェックお願いします」

「わ、わかった」


 すでにこの貫禄だが、渡良瀬さんはまだ入社2年目だ。名門国立大の経済学の院卒で、俺と同じ東都中央銀行本体からの出向組でありながら、現場の支店を一切経験せず、いきなり専門性の強い部署であるここに配属されている。昨今流行りのジョブ型採用に近い配置と言えるだろう。


「それと高槻先輩」

「は、はい?」


 彼女は入社後すぐから、俺と似鳥と一緒に仕事をしている。この三人で一チーム、俺が一応リーダーということになっている。

 しかし……

 渡良瀬さんは俺にどことなく白けた視線をぶつけてくる。


「先輩、似鳥さんを甘やかしすぎじゃないですか。前から思ってましたけど」

「…………」


 これだ。俺も目下の悩み(婚活以外で)は。


 彼女と似鳥は相性が良くない。性格がまるで真逆。

 

 明るくてノリも愛想も良く、いかにもな昭和のオジサンたちにも好かれるタイプで、どことなく一昔以上前の要領のいいOLのようなイメージの似鳥。


 一方、生真面目で堅物、仕事に男女差など絶対に持ち込ませない、冗談でも発言を間違えようものなら即座にセクハラホットラインに通報されそうな、ステレオタイプなZ世代のイメージの渡良瀬さん。


 似鳥が大卒、渡良瀬さんが院卒であることを考えると二人の年はほとんど変わらないはずだが、見事なまでに古風と今風に性格が分かれる二人の女性社員。


 女が苦手で色々な意味で経験不足な俺には、そんな正反対な性格の異性二人のマネジメントなど当然できるはずもないわけで。


 とりわけ、自分にダメージはあってもそれさえ我慢すればある程度円滑に進む似鳥と違い、渡良瀬さんとはどう接すべきか試行錯誤が続いている。基本的に仕事以外のことで職場の人間と関わり合いになりたくないようなので、俺も業務以外のことは話さないようにしていた。いまだにプライベートのことは何一つ聞いたことがない。


 まあ、女子とのコミュ障である俺としてはそのほうが楽なのだが、それはそれで彼女が何を考えているのかまったくわからない。干渉しなさ過ぎたゆえにいきなり退職されるってパターンも最近多いと聞くし……。


「そ、そんなことないと思うけど」

「ありますよ。さっき似鳥さんが買ってきたお菓子も、結局先輩が払うんでしょう? 彼女、明らかにそれ目当てですよ」

「ま、まあ確かに払うつもりではあるけど、実際に買ってきてくれたのはあいつだし……後輩に払わせるのもちょっと、って思うし」


 ここで『女性に払わせるのもちょっと』と言ってはいけない。彼女相手だと地雷になりそうだ。


「そんなふうに気弱な態度だからつけあがるし舐められるんじゃないですか。そもそも先輩が後輩に奢るっていう文化が古いです。きちんと自分が食べた分だけ負担すべきです。それに付け込む似鳥さんも良くないと思います」

「…………」


 淡々と、だがどこか強い意志を感じる口調で断じる渡良瀬さん。


 や、やりづらい……。

 これが今時の若者か……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る