第2話① 生意気な後輩と威厳のない独身男

 翌日。サラリーマンにとって最も疲労が溜まるといっていい木曜日。ましてや昨日は思いがけず結構飲んじまったし(当然、ハナさんとはきっかり駅で別れた。フラフラだったが俺に送っていく勇気などない)。


 俺は昼食のそばを食ってオフィスに戻り、昼休憩の残り時間を自席でスマホの画面をボーっと眺めていた。


(契約成立? しちまった、んだよな……。夢じゃなくて)


 その証拠であるLINEの友だちリストに追加された一つのアイコン。そこには一匹の茶トラの写真が載せられていた。飼ってる猫かな。どことなくふてぶてしい顔。でもかわいい。人間は好きじゃないが、動物は好きだ。俺、結婚できなかったら猫とのんびり暮らすんだ…。


 さて、そのアイコンの主の名前は―――――


(なるほど、穂乃華さん、か。最後の『華』の字を取って『ハナ』さんと名乗っていたわけね)


 大空穂乃華さん。それが彼女のフルネームらしい。


  

  ×××


 

 あれから。

 俺は結局、ハナさんの提案を受け入れることにした。

 彼女の説得と意志に根負けした……と強がってみたいところだが、実のところ『しょうもないこと気にしてるんですねー』と言われた時点でだいたい方針は決まっていた。


 実際、彼女よりも俺の方がこの契約のメリットは大きい。女心などてんでわからない俺にアドバイスをくれるというのだから。


 おい、本当にそれだけかよ? ワンチャンあると思ってんだろ?


 そんなツッコミは当然あるだろう。事実、下心があると言われればあるような気がする。

 とはいえ、彼女のような美人に頼りにされて舞い上がっていたとしても、早くも俺が婚活の相手としては対象外であることも明言されているわけで。


「これからがんばりましょうね! 二人それぞれの幸せな未来を掴むためにっ!」


 ただ、少なくとも彼女の側はそういうつもりで言ってきたわけでないのは間違いない。そこに付け込むはさすがに不誠実だろう。いや、俺じゃそんな真似できるはずもないが。


『じゃあ来週の土曜日にでも作戦会議しましょう^^ カフェ探しておきますねー!』

『あとあと! その日に改めて自己紹介しましょう! 私、アオさんのこと何も知らないので!』


 なんて、彼女からの次のお誘いのメッセージを眺める。


(とは言っても、作戦会議っていったい何する気なんだろな)


 それに、彼女だけでなく俺から見たハナさんの素性もわからずじまいだ。何をしてる人なのか。まあ、あの品のある服装とか柔らかな物腰とか穏やかな性格(ただし酒癖除く)を見るなり、それなりの職業についてそうな人ではありそうだけど。ゼミがどうとか言ってたし。

 こちとら金融機関に勤める者として、ヤバい人間を察知する能力には結構自信があるが、彼女は俺のそのアラートに引っかからなかった。


(まあ、その日になればわかるか)


 そう一人納得して休憩を終えようとした時だった。


「パイセーン。どうしたんスかあ? スマホじーっと見て」

「うぉっ!?」


 俺の背後から、一人の女が肩越しににゅっと顔を出してきた。

 心臓が飛び出るほど驚いた俺は、思わず情けない悲鳴を上げてしまう。


 振り向くと、立っていたのはほぼ金髪に近い茶色のショートヘアーをしたボーイッシュな印象の美人……なんてキャラじゃないな、こいつは。いや美人なのは事実だが。


「な、なんだよ似鳥にたどり。いきなり脅かすな」


 この女の名は似鳥琉莉るり。俺の今の職場での同僚兼後輩兼チームメンバー。年は俺の3つ下で入社5年目。もう丸2年半以上、俺と一緒の班で仕事をしている。


「だってー。高槻パイセン、何回か声をかけたのに上の空なんすもん。しかも珍しくゲームでもツイッターでもなくてLINE開いてるみたいだし」

「お、おい。人のスマホを覗くなんて趣味悪いぞ」


 俺は慌ててディスプレイを手で隠す。

 ご覧のとおり、俺に先輩の威厳などないに等しく、この舐め切った態度が平常運転だ。

 似鳥はにやーっとおもちゃを見つけた子どものような笑みを浮かべる。


「おっ、その態度アヤシイっすねー? ひょっとして彼女できたんすか? ……いや、ないかあーパイセンじゃ。あ、ひょっとしてキャバクラのお姉ちゃんへの同伴依頼とか? いくら貢いだんすか?」

「あのなあ……」


 ここで、「おい似鳥。今時その発言は女から男へでもセクハラだぞ」とでも言い返せたらいいのだが。


「そんなわけないだろ。俺にそんな金はない」


 そんなことは言えない。たとえ客観的に見て似鳥のほうにいくら非があろうとも、男から女を訴えるなんて、今の日本の職場の空気じゃ現実的にはできやしない。『男らしくない』だの『プライドないんだな』だのあらゆる方向から集中砲火を浴びるに決まっている。


 ^

「第一、俺は仕事で愛想振りまいてくれる相手でさえうまく会話できないし、気まずくて早く帰りたくなるんだ。夜遊びなんて一番の苦手科目だ」

「威張ることじゃないっすねー。さすがのコミュ力。引くっすよー」


 だから、結局こうして道化を演じるしかないのだ。いくら傷ついても笑ってごまかし、泣き寝入りするしかない。毒男の肩身は狭い。


 ……のはずなんだけど。


「ところでパイセン。さっき昼休み中に美味しいと評判のモンブラン買ってきたんすけどあとで一緒に食べないすか? 今日残業マストっすよね?」

「昼休みとはいえ就業時間中に何やってんの。仕事しなさい」

「食べないんすか?」


「……食べる」


 モンブラン。アルプス山脈のモンブラン山に縁のない俺でも食いたくなるこの響き。


「いやー。チョロいっすねーパイセン」


 似鳥はまたにひひと楽しそうに笑う。口悪いのにキャラと豊かな表情で得してるよなこいつ……。


「……甘いものに罪はないからな」


 べ、別にお菓子くれるから許してるわけじゃないんだからねっ!

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