第三十三話 鋼鉄の優しさ

 ショッピングモールの二階を走りけ、天井てんじょうにゆるキャラのえがかれた、あのステンドグラスのあるけにおどり出た青柱正磨せいちゅうせいまは、眼下に見える人でごった返したフードコートを見下ろした。

 フードコートは買い物客で大変なにぎわいだった。赤んぼうをベビーカーに乗せた夫婦や、おいしそうなものを食べる子どもたち。その子どもたちのなんと楽しそうなことか。それらは青柱よりもはるかに幸せそうに見えるのだ。

 幸せという、青柱にとって非現実的な景色がそこにはあった。

 ヤツらは青柱に気がつくと、それまでの幸せそうな雰囲気ふんいきとは打って変わって、さも危険なヤツが現れたといわんばかりにさわぎ始め、事件でも起きたかのような動揺どうようが一気に広がっていったのだった。

「きぃゃあああああ!」

 青柱は自分が姿を現すだけでこのような悲鳴を上げられたのは初めてのことだった。それもそうだろう。家族連れの買い物客でにぎわうショッピングモールに、青柱は全裸ぜんらでいたのだから!

 青柱はだれがどう見ても完全にネバーウェアだったのだ!

「アヒャヒャヒャヒャヒャァア!」

 後ろから超撥水ちょうはっすい男もやって来て、フードコートのある吹き抜けにとどろくような奇声きせいを上げた!


 青柱正磨せいちゅうせいまはこの状況じょうきょうを見て思った。

 おれもコイツと同じネバーウェアなのか? 俺はネバーウェアになっちまったのか? なあ? これってマジなのかあ? くっそぉお! もともと俺はネバーウェアなんかじゃなかったんだ! 俺は好きでこんなんなったんじゃねえ! 俺だってテメェらと同じ普通ふつうの人間だったんだ! だけどよう! テメェらは知らねえだろうが、俺は人としてみにじられた上に、奴隷どれいみてえに知らねえところで勝手に売り飛ばされるようなヤツにまで成り下がっちまったんだ!

 なあ? 俺はネバーウェアになっちまったのか?

 後戻あともどりなんてできねえのか?

 社会復帰なんかできねえのかよ?

 俺には二度とフードコートでメシを食うこともできねえってのかあ?

 なあ? あんな楽しそうなところに、俺はもう行けねえっつうのかよ? 結婚けっこんして、子どもを作って、幸せそうにメシを食うこともできねえのかあ! なあ! 俺には絶対にできねえっつうのかよ! くっそお! くっそおおおお!

「うぉぉおおおおおおお!」

 怒号どごうを上げた青柱せいちゅうけの二階部分から高くジャンプすると、混雑したフードコートに飛び降りて、爆弾ばくだんのような轟音ごうおんを立てて着地した! その衝撃しょうげきたるやすさまじく、テーブルやイスだけでなく、そこにいた人々も吹き飛ばした! ヤツは単に二階から飛び降りただけでなく、ATP能力で重力を強めた上で、まるで爆弾のような衝撃を起こしたのだ!


 突然とつぜん爆風ばくふう見舞みまわれた太門だもんは、吹き飛ばされてきた食器の直撃ちょくげきを受けるも、すぐさま家族たちに目を移して安全の確認をした。むすめきかかえられた孫娘まごむすめおどろいた顔で一瞬いっしゅんこわばった後、すぐに大声で泣き出していた。太門の妻の方といえば、爆風のせいでイスから転げ落ちている。

大丈夫だいじょうぶか!」

 太門はすぐさま妻に近寄って抱きかかえた。

「ケガはないか!」

「ビックリした! なに? 何が起きたの?」

 妻は大丈夫のようだった。

「わからん! わからんが、ふせろ!」

 太門は娘と孫の方に顔を向け、姿勢を低くするよう指示した。しかし、娘は太門よりも後ろの方を見ている。

「きゃあああああ!」

 むすめが悲鳴を上げた。しかし、悲鳴を上げたのは娘だけではない。そこら中から悲鳴が上がったのだ。何かが後ろにいるようで、太門だもんり返ってみた。すると、どうであろう。

 そこにいたのは完全にはだかの男だったのだ!

 突如とつじょとして現れたネバーウェアの姿に太門左衛門はその目を疑った。

「あれは、ま、まさか……」

 それは完全にネバーウェア化した青柱正磨せいちゅうせいまの全裸姿だったのだ!

「せ、青柱! お前なのか! 何をやっているんだ貴様!」

 着地した姿勢の青柱が、身を起こしながらこの声に反応した。

「ああ? その声は……? だれかと思えば、その声は忘れねえぞ! 太門! テメェかあ!」

「何をやっているのか分かっているのか! こんなことはやめろ!」

「ああ? テメェに指図される筋合いなんかねえ! ここで会ったが百年目だ! ちょうどいいぜ! この場でテメェをぶっ殺してやる!」

 太門は冷静に考えた。自分一人で青柱を制圧できるのかと。ヤツが使う重力のATP能力は相当やっかいだった。この前はヤツの能力の前に自分だけでなくサクラもなすすべがなかったが、あの時は光合成仮面がおどろくべき決定力でもって、瓦礫がれきを上空に放り投げ、ヤツの能力を逆に利用した強烈きょうれつ一撃いちげきを命中させて撃退げきたいできた。おれにあんなことができるか?

 だが、やるしかあるまい!

 太門だもんは近くにあったイスを、目見当をつけて放り投げた!

「ああ? 光合成仮面のマネってかよ? そんなん当たっか! ナメんじゃねえぞ!」

 そういうと青柱せいちゅうはズドンと重力を強め、放り投げたイスは青柱に届きもせず、落下して粉々にくだかれ、しつぶされてしまった!

「ぐふぅ!」

 太門にも急激に体へ重力がのしかかり、えきれずヒザをついた。しかし、直射日光を浴びていないからか、あの時のような強烈きょうれつな重力ではない。この場で服をげば、あるいは戦うこともできるだろうか。

「青柱ぅう……」

 太門は全身の力をふりしぼって立ち上がろうとした!

「お父さん! やめて!」

 背後からむすめの声がする。

「今日は休みなんだから、お父さんが戦わなくたっていいじゃない! だから、やめてよ! お父さん!」

 これを聞いた青柱が反応する。

「なんだって? おい! 太門さんよう! 今『お父さん』って呼ばれたのか? あぁっははははは! コイツは傑作けっさくだな! おれがこんなヒデえ目にあってた時に、テメェは娘と幸せな家庭を謳歌おうかしてたってわけか! 孫を見て目を細めていたってわけか! そうかよ! うらやましいなあ! なあ! 太門だもんさんよう! ぜってえ許さねえ! テメェだけは絶対に許さねえ!」

 今の青柱せいちゅうは完全にネバーウェアだった! こうなってしまったヤツを一体だれに止めることができよう! 太門には無理かもしれない! しかし、これ以上青柱に罪を犯させるわけにはいかないのだ! 今、ここにいる太門が止めるしかないのだ!

「お父さん! やめてよ! みんなが見てる前だよ! 仕事じゃないんだから! お願い! はだかなんかにならないで!」

 太門はむすめの前で裸になって戦う姿を見せたことなど、いまだかつてなかった! それもそうだろう! 娘の前で裸になるなど誰にできようか! しかし、今の青柱を撃退げきたいするには服など着てはいられないのだ!

「青柱ぅぅぅ……」

 立ち上がろうとする太門の背後から娘の声がする!

「やめてよ! お父さん!」

 太門は渾身こんしんの力でもって立ち上がりながら、身につけていたシャツを破り捨てた!

「きゃあああああ!」

 この悲鳴は娘のものであったか、あるいは他の者の声であったかはわからない。しかし、太門は青柱の重力をものともせず立ち上がったのだ!

「くそ! 光合成が足りてねえのか! これでどうだ!」

 青柱せいちゅうは全力をしぼって重力を強めた!

「青柱ぅう!」

 しかし、上半身はだかになった太門だもんも負けていない! 血管をき上がらせ、全身をふるわせながらも、立った姿勢をたもって青柱へ向かい歩き出した!

「くっそお……、立ち上がりやがったか! けどよ、立ったくれえで勝った気になんなよ! マジでムカつくヤツだなあ! ぐんだったら、全部脱げよ! なあ? 娘の前だからって脱げねえっつうのか? 太門さんよう! 幸せなテメェには失うものがあるっつうことかよ! おれにはそんなもん、もうねえんだ! 俺は全部失っちまったんだ! 丸裸まるはだかになっちまったんだよ! 上から見てんじゃねえ! このクソ野郎やろう! マジでぶっ殺してやる!」

「いい加減にしろ! 青柱!」

「うるせぇ! だまれ! この野郎!」

 いかくるった青柱は太門におどりかかった! 太門は上半身だけ裸になったとはいえ、全裸ぜんらの青柱と比べ光合成が足りていない! さらに重力が重くのしかかっているため、ガードを固めて青柱の攻撃こうげきを防ぐだけしかできなかった!

「おら! おら! おら! かかってこいよ! ああ? 太門さんよう!」

「くそ! 重力があるだけじゃない! パワーもヤツの方が上だ!」

 青柱せいちゅう猛攻もうこう太門だもんはたまらずボクシングのクリンチのような形で青柱にしがみついた! しかし、青柱はこれをはらおうとして激しく体をさぶる! それでも太門ははなされまいとして、なんとかしがみつき続けた!

「ガードを固めてヤツのスタミナ切れを待つしかないか?」

 しがみつかれた青柱の方では、激しく動いて振り払おうとするも、強めた重力と、それによって重くなった太門にしがみつかれているせいで、余計に体力が消耗しょうもうしていた!

「ぐぬぬぬぬぅ……、離せ……、離せよ!」

 青柱が全身に血管をかび上がらせながら、全力で太門を振り払おうとしたその時だ! 突然とつぜん太門が身を引いて、離れ際に青柱の顔面にフックをり出した! これはモロにクリーンヒットして、ヤツは一瞬いっしゅん気を失い、くずれ落ちてヒザをついた! しかし、そこでなんとかみとどまる!

「はあ、はあ、はあ……」

 光合成人間の息が切れるということは、光合成が間に合わなくなって、エネルギーが枯渇こかつしたことを意味している。青柱は重力のATP能力を使い続けて戦っていたため、エネルギーの消耗が激しかったのだろうか。いいや、そんなことはない。なぜなら、息を切らしていたのは太門の方だったのだ! この重力の中、立って戦っていた太門の方が先に、光合成エネルギーを使い切ってしまったのだ!

 それでも太門だもんは、青柱せいちゅうがヒザをついたチャンスをのがすまいとおどりかかった!

「青柱うぅぅ!」

 太門は三角絞さんかくじめをねらって青柱の右腕みぎうでをつかみ、両足で首を完全に決めた!

 勝った!

 その時だ!

「ぐぅぅぅううううう!」

 青柱はとたんに重力を弱め、腕にからみついた太門をそのまま持ち上げた! 光合成エネルギーの枯渇こかつした太門を持ち上げるのはわけもない! そして、再び全力で重力を強めると、太門をゆかたたきつけ、爆弾ばくだんでも落ちたかのような衝撃しょうげきがフードコートに炸裂さくれつした!

「ぐふぅ!」


 次の瞬間しゅんかん、太門は何も見えない真っ暗闇くらやみの中にいた。

 何が起きたのか理解できず、しばらく呆然ぼうぜんとしていたところ、自分がほのかな重さのあるものをいていることに気がついた。この重さの感覚には覚えがある。

 これはそうだ。

 赤ちゃんだ。

 そんなまさか。太門だもんがそっと自分の胸元に目を移してみると、どういうわけか生まれたばかりの赤ちゃんをいているところだったのだ。太門は思い出した。孫が生まれたばかりの時を。病院の保育器の中にいた、まだれそぼったままの新生児のことを。

 それはまるで、水風船に命を満たして産み落とされたかのように、少しでも傷つければたちまち破裂はれつして、命が飛び散ってしまいそうな、むき出しの命のかたまりであった。

 太門は思い出した。

 自分はこれを守らなければならないのだと。

 年老いた自分の命に代えてでも、この新しい命を守らなければならないのだと。

 太門が命を抱くその手に、そっとやさしく手をそえる者がいた。

 それは妻だった。

「あなた。おかえりなさい」

 そして、そのとなりにはむすめの姿もあった。

「お父さん、お誕生日おめでとう」

 そうだ。昨日は誕生日だったのだ。今となってみれば自分の誕生日など何もうれしくもない。それよりも生まれたばかりの命の方が、ずっとずっと大切なのだ。

おれたちは約束したよな?」

 そう声をかけてきたのは若かりしサザレだった。サザレは太門と同期だったのだ。東京で訓練に明け暮れ、飲み明かした、あのころのサザレであった。

太門だもんさん 一緒いっしょに守りましょう。私は太門さんについてゆきます」

 そういったのはサクラだった。

 サクラ、すまんが後のことはたのんだ。

「太門さん、何を弱気なことをいってるんですか。らしくないですよ」

 ゴウ。お前もいたのか。お前のような屈強くっきょうな男がいてくれて本当にたのもしい。後は頼んだぞ。

 ゴウの後ろにもう一人男がいた。光合成スーツを身にまとい、一心不乱に訓練へはげむその後ろ姿には見覚えがあった。

 いや、誰がこの後ろ姿を忘れよう! 忘れるはずもない!

 青柱せいちゅう

 お前もいたのか!

 お前は何をやっているのだ!

 訓練に励んでいるか!

 お前はだれよりも強くなれる!

 身体的にも、精神的にも!

 精神というものは、はじめは弱い者ほど、より強くなれるのだ!

 お前には才能がある! 向上心がある!

 お前を決して見捨てやしない!

 お前に期待してるんだ!


 この瞬間しゅんかん太門だもんはすべてを思い出した!

 そうだ! おれ青柱せいちゅうから致命的ちめいてき一撃いちげきを食らったのだ!


 思い出したぞ! 俺はやられてしまったのだ! だが青柱にこれ以上人を殺させてはならん! なんとしてもここで止めなければ! だから俺は青柱に殺されるわけにはいかないのだ!

 ここで死ぬわけにはいかん!

 青柱! 青柱!

 お前の力や才能は、正義のために使うべきものなんだ!


 なんと! 太門は青柱に殺されるその間際まで、ここまで落ちた青柱を見捨てていなかったのだ!

 しかし、太門の鋼鉄のような強い意志もむなしく、その目は光を見失いつつあった。妻やむすめの姿は知らぬ間に暗闇くらやみへ消えていて、サザレやサクラ、ゴウに続き、青柱の姿すら暗闇の中へと消えてしまうと、辺りは完全に真っ暗になってしまった。

 太門には何も見えない。

 太門は死んでしまったのだ。

 太門左衛門。享年きょうねん六十五さい。次の三月末をもって定年退職する予定だった。昨日ちょうど誕生日をむかえたところで、むすめがお祝いのために東京から帰省していたところだったのだ。(続く)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る